きらきらスクランブル上昇気流
noteに記事を上げるたび興味を示してくださる方があって、やはり人の繋がりというものは嬉しく温かく、そんな効果もあってか毎日noteしています。
今日は知らなくても全然いいことを書きます。
noteにおけるスタンスみたいなものですが、それがいちばん手っ取り早く書き手について伝わる気もいたしますのでまとめてみました。
1「スキ」ってこういう感じ
「スキ」してくださる方には単純に興味が湧いて必ず訪問させていただくようにしています。
わたしからの「スキ」は「ありがとう」も勿論あります。
でも義理のために嘘をつける人間ではないので自分のこころに風を起こした記事にしかアクションしていません。
共感だけでなく「自分は違うと思うけれど、そんなあなたを応援しているよ」って時にも「スキ」します。
興味が湧くと続けて記事を読んでしまってまるで爆弾攻撃のように押してることがありますが決して悪意ではありません。投げやりでもありません。
びっくりさせてたらお許しください。
2「フォロー返し」は辞書に載っていません
フォローはあまりしません。
フォローがもたらすのはメリットの側面だけではないからです。
準備が整っていないまま環境が変わるとすぐ影響を受けてしまうのです。
note公式のフォローを外そうか迷っているぐらいです。
能動的に刺激を受ける分には比較的バランスがとりやすいので、訪問はさせていただいています。フォローしていない割にはまた来たなと思われるかもしれません。
訪問して「スキ」してもフォローしないのは、興味がないからではありません。単純に自分のひとりになって落ち着ける場所がこのホーム画面でも必要なのだと、理解はできなくても知っていていただければ嬉しいです。
3 不自由を抱えた自由人が書いています
わたしは自由な人間です。
おおむね好きなことだけやって生きています。
思い込みや観念の書き換えに積極的に取り組みます。
わたしには不自由に苦しんでいることもあります。
代表的なのはお金です。
そんなに大した借金はしていない・・・とも言えるのですが。
わたしは実務的な数字に極端に弱いのです。近くに相性の良い感じの数字に強い人がいれば「モード」に入れると思うのですが・・・
わたしには数字はエネルギーというかアートというか・・・それも明確にわかるのではなくなんとなく曖昧に映ってしまう存在なので、非常に意識が乱れるのです。はい、変なこと言いましたね。これについてはいつか別に記事にします。
これまでの人生の収入のペースと借金を考えるととても果てない時間に感じられ、わたしは身動きが取れなくなってしまうのです。
お金は単純にエネルギーだという理解なので入ってくる心配はしていないのですが(何とかなるはずだという根拠のない楽観です)感覚が掴めないため使う予算が立てられず、闇雲に使うのを我慢している状態です。
お金の奴隷になる気は毛頭ないのですが、そこへきてコロナのせいで収入半減です。
わたしも自宅開業に向けて営業していたのを完全に水を差された形になりました。
わたしはお金に心を囚われてはいませんが、行動を制限された結果こころのままに生きられなくなっているのです。
なので「サポート」したいなと思わせてくださった素晴らしい皆さま。
少しお時間ください。
今は仕事を軌道に乗せるための投資、交通費を含めた学校に通うための費用以外はなにもかも削っています。もともとあまり食べませんが食費も削っています。
自分自身がこの状況においてもう少し「自由」を獲得できるまではお待ちください。
馬鹿な話、情けない話ですみません。
自動引き落としって100円足りないだけでも落ちないという当たり前だけど直面しないとわからない話とか、銀行に入金するのもまとまった金額でないと手数料を取られるとか、気にすること多すぎてパンク寸前なのです。
で結局払えるの?わたし。という胃の締め付けられる感覚。
収入が増えるか学校を卒業することで新たな借金が増えなくなるまでこれが続きます。なので、もう少し精神的ゆとりができるまでお待ちくださいね!
noteのサポート機能を見るといつもちょっとうずうずします。
仲間を応援できるって素敵。
感銘を受けた相手に「投げ」銭じゃなくて、応援の気持ち届けたいです。
そしてその時その瞬間誇れる自分で気持ちを届けたいな―なんて。
今はそれを夢見てその日の最高の自分を綴ります。
これも「好きなこと」ですから、やっぱりわたしは自由なのだと思います。
4 noteに綴っていること
そもそものnoteを始めた動機は不純でしたが(その人にコメントしたかったという一途な思いという意味ではとっても純粋でしたよ)いまは瞑想と同じように「自分に出会う場所」になっています。
瞑想は「真我」に出会う場所といえるのかもしれませんが、noteはここで綴る行為を通して現実の生活の中で「真我であるわたし」として表現していけたらという漠然とした未来に向けて「自分に出会う場所」となっています。
でも究極的に人間はみんな繋がっているから、ここでのわたしの気づきやひとつの表現が誰かその人特有の色がちょっと曇ったり沈みがちだったりしたときに変化のきっかけにでもなることもあるかもしれない。
そうなったらと思うとちょっとワクワクします。
5 表題について
挿入している絵に「Knowing My Way」なんて書いちゃってます。
英語ができる方にとってはおかしな文章なのかもしれません。
後に書くKnowing と Going My Wayをかけています。
自分なりにマイペースで誰かと比較することなく叡智の道を探究していければなんて軽い気持ちでつけています。
明らかにおかしいのは Ms No Name の Ms.←このピリオドがないことなんですけれどね。
Mr. や Mrs. に倣っただけと説明があったので逆らってみたのです。
性別的属性もない、ただの名も無きもの Ms NN。
軽く受け流していただければ幸いです。
6 違う切り口で自己紹介してみる
① 何属性か
こんな切り口で言ってしまっていいものか?
でも行きましょう。
火属性で闇属性でお笑い属性です。で、つまんないぐらい真面目属性です。
すぐに火がつくけど単独で燃え続けられません。
世の中の禁忌とされること、明るみに晒されることを避けるような話題にわりと抵抗がありません。概念としてのタブーがあまりなく、基本的に人間としての興味の方が勝ります。
ただし人に対する尊重を欠く行為には吐き気がします。怒りの源です。
ときどき破壊衝動に襲われます。
ルールが嫌いです。概念に縛られるのが嫌いです。
そういう人を見ると時に攻撃的態度にでます。
その後、好きで縛られている人を尊重していなかったなと、後でひとり反省会します。
宗教はやりません。外側から見ています。
スピリチュアルということばは便利なので使いますが、ふわふわした層ではなくディープで現実的な層にいます。
精神世界系ともいわれますね。
わたしの現実の認識の仕方と言動の規範の元となっているのはゲリー・ボーネル・ジャパン(後の(株)ノウイング)とそこに関わった人たちです。
書籍でしか知らない方々からも多大な学びをいただいています。
あと。ヲタク属性というかマニアな資質を持っています。
表現が控えめなのは誇れるほど何かを極めてはいないからです。同属というと失礼に当たるかと遠慮していますが、基本は深く追究するタイプです。
人を理解したいという欲求から、興味ある属性の方々へ感覚を伸ばしていくことがあります。そこで同じように盛り上がったりすることもあります。
そんなときは一時的に別属性も獲得したようになります(腐、の属性とかアクティブ属性とか)。
うっかりテントとかアウトドア用品を揃えそうになったりしますが、1年の休日の予定に全くそんな要素がないことを数年たって気づいたりします。感覚を伸ばすのは時に無意識でやっているからです。
資金なくて良かった・・・
② HSPとかエンパスとか
既に記事には書いていますが所謂HSP(Highly Sensitive Person:ハイリー・センシティブ・パーソン)であります。
生まれつき「非常に感受性が鋭く敏感な気質を持った人」と説明されています。
生い立ちの記憶を殆ど持たないわたしですが、ことあるごとに「感受性が高いね」と言われたのを覚えています。
安全な範囲でではありますが人との交流を求める気持ちはあります。
また意外かもしれませんがステージに立つのは好きです。演劇部、放送部、大学では落語研究会まで経験し(これはすぐやめました)成人してからはゴスペルにミュージカルとどんだけ目立ちたがり状態ですね。
内向型なのに不思議なのですが、基本的に声を使うこと演技することが好きなのだと思います。
ただやっぱり感じすぎてしまうので活動に限界を感じてお休みしました。
もう一つの特性エンパスについてはなかなか認め辛いところもありましたが、そういうと説明がつくことが多いので今は受け入れています。
どちらの特質についても、相手のその時話している内容より本質的に抱えている問題に反応してしまったり、その人が持て余している感情に飲み込まれるだけだったり、刺激が多すぎてテンパっていたり、相手の気持ちがわからないことはいっぱいあります。
自分の感情を含め距離を置きすぎて、すごい冷酷な反応を返してしまうこともあります。
まだまだ振り回されっぱなしの性質ですが、受け入れてからは意図的に使ったり線も引きやすくなったりしているように思います。
特に音に敏感なわたしは音についての配慮をその都度相手にお願いしたりイヤホンでガードしたりもできるようになりました。
香りやもふもふ生地などお気に入りのフィーリングをもたらしてくれるものを身近に置くことでバランスもとりやすくなりました。
というわけで診断がついたことで処方箋を自分でだせた感じですね。
まだ知ってから僅かな時しかたっておらず、先に触れた形而上学の学びなど知らないうちに対処していたことも多いので、他の方の助けになれるかと言ったらわかりません。
こういう人目線で書いていますよ、というお知らせです。
③ 誰が書いているのか、書かされているのか
哲学的なことを論じようというのではありません。
ざっと記事を見ると気づかれるかと思いますが、記事によって若干文体が変わります。
今の段階では読みやすいよう手は入れていますが、基本的には自分の中から来たものを来たノリのまま綴るというスタイルをとっています。
書いているときは考えていません。書いていないとき考えています。
手が止まった時は自分の文章の中に入りなおします。もう一度その世界の流れとかに繋がる感じです。
自分では人格がどうのとか全く思っていませんが、モードみたいなものがあるのかもしれないなぁなんて漠然と思っています。
そんなわけで、なにかの縁で複数回訪れて記事を読まれた方の中には嫌悪感を示される方もあるかもしれませんが、事情というのはそういうわけなのです。
昔は「書かされている」ときもありました。チャネリングに興味を持っていたころです。
巫女体質(たぶん)は変わりませんが、今はそういう状態はなくなったように思います。書いているのは「わたし」です。
7 おわりに
最初自己紹介でテンパったまま記事の投稿を始めたわたしですが、少しここに慣れ始めたところでいまのわたしをまとめてみました。
文章を書かなくなって久しいわたしにはうまく伝えられているか到底自信はありませんが。
noteの世界はきらきらなスクランブル交差点です。わたしはそこでいちばん人通りの少ないところを歩いていますが、時折くるふわっとした上昇気流に意識がスパイラルを起こします。
そうしてわたしは踊るように歌うように、次のオクターブへ螺旋階段を描いていきます。
どこにもいかない
ただここにいる
無限のいまここで
わたしはじぶんへと回帰する
わたしはわたしであるものへと