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テストで正確な「評価」はできない?『何のためのテスト?』第1章(読書会記録)
社会構成主義第一人者ガーゲンの「何のためのテスト?――評価で変わる学校と学び」のオンライン読書会の記録です。※あくまで個人の受け取り方・感想です。
第1章 テストの暴力的支配を超える
第2回は第1章。テストによる評価がいかに問題を抱えているか?について色んな角度で考察されています。
「テストの結果で評価をする」のマイナス要素
▶︎テスト結果に影響があるもの
例えば、個人の生活状況、自信の有無、教師の教え方など、同じテストを受けている全員が同じ前提条件に立っているとはいえない。なぜテストの結果だけで公平な評価をつけられると言えるのか?
▶︎評価が入ると創造性が失われる
自発的に生まれた創造的な活動も、テスト・評価という視点が入ると、良い点を取ろうという意識になり、創造性が失われてしまう。
▶︎経済活動を支える人間の生産工場
現状の学校教育でのテスト・評価は、大人になって就職して経済を支えていける人間を機械的に育てる装置。同じ品質になるように同じように知識を教え、納品チェックとしてテストがある。
▶︎何を持って「知識」とするか
そもそも、教えるべく「知識」自体も、文化的背景や時代などの関係によって異なってくるもの。教育を考える上で「関係」の視点で捉えることは欠かせない。
ざっと、1章を通じてこのような問題提起がなされています。
私自身は、なるほど確かに、と思うこともあれば、まだいまいちピンと来てないところもありました。
読書会での意見交換
読書会のメンバーの中には学校の先生もいるので、先生側の観点での面白い意見も出ていました。
実際、テストの丸付けの際、微妙な答えを丸にするかどうかは教師の主観になることもある
「成績のインフレ」が起こらないよう、相対評価が求められる場面も
教えられる側の性質は多様なのに、同じ条件で教えないと評価が不平等になるから、カリキュラムや教え方が一律になってしまう
評価前提でフィードバックをすると素直に受け止められないけど、評価に関係ないフィードバックは素直に受け止めてくれた
評価されても特段反応がない子どももいる
今回印象深かったのは、保育はできるようになったことをほめる(評価する)が、学校はできないことに注目されるという意見。
確かに、「評価」とまではいかないまでも、歩いただけですごいね!と言ってた幼少期に比べ、小学校に入ると「ここ間違ってるから直そう」がどうしても多くなってしまっていたなと反省しました。
また、ちょうど学校の通知表が返ってくるシーズン。子どもの「評価」を見ながら、これは一体何を評価されたんだろう?テストの結果なのかな…?絶対評価なのかな…?とふと立ち止まる良い機会になりました。
📖読書会記録
序章 ガーゲンの新作「何のためのテスト?」
第1章 テストで正確な「評価」はできない?
第2章 先生・生徒の新たな関係パターンとは?
第3章 「価値」を先生と子どもが共同探求で決めていく
第4章 小学校で「関係」に基づく評価を行うヒント
第5章 中学・高校で「関係」に基づく評価を行うヒント
第6章 教師1人が学びの責任を持たない、包括的なアプローチとは
第7章 学校自体も、多軸で評価をしていく
📖ガーゲンの前作「関係からはじまる」読書会はこちら
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