先生・生徒の新たな関係パターンとは?『何のためのテスト?』第2章(読書会記録)
社会構成主義第一人者ガーゲンの「何のためのテスト?――評価で変わる学校と学び」のオンライン読書会の記録です。※あくまで個人の受け取り方・感想です。
第3回は第2章。「今の学校教育は工場生産と同じだ!」という批判を展開した第1章に対し、1つのアンサーとして「関係性の観点で捉えてみよう」と提唱してる章でした。
関係で捉えるとは?
第2章の前半は、前作「関係からはじまる」の総まとめ編といった感じでした。
▶︎会話は1人では成り立たない
人と人との関係というのは、個の総和でできているのではなく、相手がいて初めて成り立つもの。共創していくもの。(関係からはじまる第2章)
▶︎誰もが変幻自在的存在
学校では「生徒」と呼ばれる人でも、家では「息子」「お兄ちゃん」、友達からは「◯◯な奴」と、いろんな顔を持ってる。(関係からはじまる第5章)
▶︎相手の返事で会話のパターンが変わる
とある1つの発言に対して、いくつもの返事のパターンがあり、その返事によって生まれる関係性や新たな会話が無数にある。(関係からはじまる第4章)
理想のパターン
上記の「関係で捉える」ことを学校の現場に置き換えて、1つの会話例が書かれていました。
「先生と生徒」の一般的に思い浮かべる会話はパターン1ですが、他にも可能性として「先生が悪い」と指摘するパターン2や、ヘルプを求めるパターン3など、生徒側の応答によっていろんな可能性があります。
関係性の観点で見ると、パターン1は先生の発言を「注意」として捉えていて、パターン2は先生を「横暴な人間」と捉えていて、パターン3は先生が「理解のある人間」と捉えているとも言えます。
会話1つをとっても、その展開パターンや、関係性をつくっていく可能性がたくさんあるんだなあということに納得。
そして、この中で言えばパターン3のような、プラス思考で創造的な会話を、「生成的関係」と本書の中では定義していて、そういった関係性を学校の中で増やしていくことが重要ということが書かれてしました。
知識が必要な意味
第1章でも、そもそも教えるべく「知識」自体も、文化的背景や時代などの関係によって異なってくると書いてありましたが、改めて、「事実を知る」ことより、「関係的なプロセスへの参加の方法を知る」ことが重要だと書かれています。
これを読んで、え?じゃあ知識って全然必要ないの?と一瞬思ったのですが、読書会の中で、「知識を得ることを否定しているわけではない。ただ、重要なのは知識を得ることよりも、知識を得たことでそのコミュニティに参加ができるようになるということ」ということを聞いてなるほどと思いました。
それは、例えば「国語」を習って、漢字や文法の知識を得ることで、日本語のコミュニティに参加ができるようになる、ということ。知識=そのコミュニティの共通言語、みたいなものかなあと思いました。
読書会での意見交換
今回一番面白かった投げかけは、会話の相手は人じゃなくChatGPTでもよいのか?という問いです。
これは色々話しても自分の中ではまとまらないので、読書会の中で出た意見をまとめておきます。
とある役所で福祉課の窓口に動物ロボットおく実証実験をして、おおむね好評だったらしい
落合陽一は自分のプロフィールを微細に入れておいて、自分がレポートをどう解説するかをGPTでやってるらしい
現状は、GPT側からスタートの会話がないし、継続的な関係性が作れない
GPTは人格がないから変幻自在的存在とは言えない?←そもそも「人格」が必要なのか?「学習していることを話す」は人間も同じ
AIと関係の中で意味を作っていけるのか
AIとの会話や関係性については、考えていくとすごく奥が深そうだなと思いました。
果たして、「生成的関係」のことと評価の部分がどのように関わってくるのか?
先読みせず、読書会に合わせて1章ずつ読んでいっているので、この先どんな展開になっていくのか楽しみです。
📖読書会記録
序章 ガーゲンの新作「何のためのテスト?」
第1章 テストで正確な「評価」はできない?
第2章 先生・生徒の新たな関係パターンとは?
第3章 「価値」を先生と子どもが共同探求で決めていく
第4章 小学校で「関係」に基づく評価を行うヒント
第5章 中学・高校で「関係」に基づく評価を行うヒント
第6章 教師1人が学びの責任を持たない、包括的なアプローチとは
第7章 学校自体も、多軸で評価をしていく
📖ガーゲンの前作「関係からはじまる」読書会まとめはこちら
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