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普通の感性って、そういう物なの?

晩秋になると思い出す、悲しい記憶がある。

母がいつも通う散歩道で、人懐こく話しかけてくる30代位のホームレスらしい男性がいるというのは聞いていた。
どうやら知的障がいがあるらしい。

私は「その人紹介して」と居ても立っても居られない気持ちで言った。

二昔前は知的障がい者を隠し、親が亡くなってホームレスになってしまうという話を聞いていたからだ。


その人は年末に散歩道の木にロープを掛けて、命を絶ったらしい。
ニュースにもならなかった。
近隣住民だけ噂話で知っていた。

私は半狂乱になって「どうして紹介してくれなかったの?障がい者でも辛い、寂しいという感情はあるんだよ!
絶望して木にロープをかける知力はあったんだよ。
うちの○ちゃんがそうなっていたかも知れないんだよ!」と言った。

母「○ちゃんだったら命に替えても守るよ。
でもそれだけで精一杯。
それ以上は他人の面倒までみていられないよ。
アンタに言って何ができる?一生面倒みられる?」

私「面倒はみられなくても、保護してくれる所を探すことはできたよ!
食事を差し入れして『あなたのこと見ているよ』と伝えることはできた!」

母は難もあるが、基本的に優しい常識人だ。
近隣住民も常識人だ。

それでも他人の命を「かわいそうに。でも仕方なかったね」と語れる神経が理解できなかった。

当時の担当医に『こんなことがあって落ち込んでいます』と打ち明けた時、
「花さんの心を川に例えると、今はエネルギー(水量)が低いから普段は気にも留めない川底のゴロゴロした岩が見えているだけです。
エネルギー(水量)が満ちてきたら気にならなくなります」と言われた。

今は大分回復しているが、この事を思い出すと今でも胸を掻きむしりたくなるほど苦しい。

普通の感性って何だろう?と思う。


私と子どもが信頼していた音楽教室の先生が、他界する直前も同じような事があった。

最期まで笑顔を絶やさず、レッスンを継続する為に手術しなかった。
誰にも内緒にしていた。

しかし私は察知した。
いつも明るい先生だったが、どんどん命が削られていっているような気がした。

他のレッスン生のママ友に相談したが
「この前会った時は元気そうだったから、大丈夫だよ。
もし具合が悪かったら、そんな姿ひとに見られたくないはずだよ。
出しゃばった事しないほうがいい」と言われた。

私は納得できなかった。
一人で飲食できそうなゼリー、お菓子、お茶を持って行った。
先生は起き出してきて「ありがとう!お菓子おいしかったよ!」と言ってくれた。


数日後、先生は意識不明のところをお子さんに発見されて救急搬送された。

数日の命と聞いてママ友と病院に駆けつけた。

先生は酸素マスクでやっと生かされている状態だった。

「先生、花です!○も来ています。早くお元気になって下さい」と言うと、手を差し出してきて、私と子どもの手をぎゅっと掴んだ。
意識が遠ざかっている中、耳は聞こえていたのだ。

私は号泣してしまい、病室を出たときからうずくまってしばらく立ち上がれなかった。

先生のお子さんから「良かったら付箋に一言書いて下さい」と言われ、
様々なペンを使いカラフルに仕上げイラストも描いた。

するとママ友は、それをまるっと真似して同じような(色使いも)文章を書いたのだ。

「同時に出すんだから、どっちが真似たか分からない」と思ったのだろう。
それを見て吐き気がした。
最期に送る言葉も体裁を気にして真似こじきをするんだと。
私を見下しているからできるのだ。
格上だと思った人にはできないだろう。


数日後、先生の葬儀があった。

私は子どもに「先生は亡くなってしまったの。今日は先生に最期の挨拶に行くよ」と言い聞かせた。

子どもは真剣な面持ちで「うん」と頷いた。
葬儀場では号泣する私と、先生を撫で抱き起こそうとする子どもがいた。
それ以降、子どもは「ピアノ!」という言葉を発しなくなった。


ちゃんと分かっているのだ。
母が何で泣いているのか。
自分はどうすべきなのか。


数ヶ月後、ママ友と会い先生の話になったとき
「うちの子も先生が手を握り返してくれたって言ってたよー。同じだねー」と言ってきた。

全然違う!
死の直前まで私がいてもたってもいられず、会いに行っていたこと。
病院で泣きながら心を込めてメッセージを書いたこと。
亡くなっても毎日泣いていたこと。
子どもが先生について一切話をしなくなったこと。

あなたと私(と子ども)のダメージは10倍違う。100倍かも知れない。
何で一緒くたにするの?
一粒の涙もなかったのに。

何でそんなに鈍感なの?恥ずかしくないの?
普段は私を見下して『あなたなんか格下よ』という態度をとっているくせに、都合がいい時だけ同じと言ってくる。



今日、ある事業者に面談してもらった。
お互いに疑問点や状況を聞き納得して契約の運びになった。

しかし一番のネックは、あの人(私が信頼できない人)だった。

あの人は他の支援者も首を傾げるほど、変だ。

それを察してある支援者が「私から言いましょうか?」と言ってくれた。
信頼できて仕事ができる支援者なので甘えてお願いすることにした。


それを聞きつけて、他の相談員から電話がきた。

相談員「今あの人に確認にましたが、受給者証はすでに花さんに送っているそうです」

私「家にはきてないよ。嘘じゃないの?もう一度確認してみて。
私は会ったことなくても、嘘は見抜けるんだ」

数分後、相談員「今電話で確認したんですけど、受給者証はまだ送っていないそうです」

私「やっぱりね。そうだと思ったんだ」

相談員「何で分かったんですか?」

私「何故か他人の考えていることや、嘘が見えちゃう特性なの。
今まで私が疑って外れたことなかったでしょ?」

相談員「確かにそうですね。怖いなー(笑)」



今日相談した支援者は、私より何倍も強くて賢い。

早晩追い詰めてくれるだろう。

私は他人の能力を見分ける判断力もある。


江戸時代は処刑された人の首が晒されていて、子どもたちも日常の風景として周辺で遊んでいた。とか

前近代のヨーロッパでは処刑が人々の娯楽だった。とか言われているが、

その時代でも私のような特性を持った人はいたはずだ。
記録に残っていないだけで。

現代の私でも、残酷で酷薄で思考能力を持たない人が大多数だと感じる。


バレなきゃいいの?ズルしてもいいの?
誰かがやっているのを見て見ぬフリをするのはいいの?

普通の人の感性ってこんな物なのか?


しかし現代で変なのは私の方なのだ。

差別に怒り、嘘に怒り、曲がったことができない。バカ正直。

それでも私は「おかしい!」と言い続ける。

いつかこの時代でも、こんなこと言ってた人がいた。と検証されるために。





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