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審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由


【9月13日追記】以下のnoteを追加で掲載いたしました。
こちらを先にお読みいただいてから、本noteを読み進めていただけると幸いです。


以下、本文です。





「あなたを落とした理由」


こんなことを伝えるコンテストなんて、前代未聞ですよね。



noteで開催されているどのコンテストを見ても

「審査基準については、お問い合わせいただいてもご回答いたしかねます」

と、書いてあります。


ですが、5月14日から8月5日まで開催されたこちらのコンテスト。

このコンテストでは、「なぜあなたを落としたのか」。その理由を、審査員である私がきちんとお伝えせねばと思いました。



※本noteは、今まさに自分の文章が読まれずに苦しんでいる方が読んでしまうとさらに辛い思いをするかと思います。そのため、今苦しんでいる最中にいる方は絶対に読まないよう、どうぞよろしくお願いします。

※また、本noteは、「コンテストで絶対に受賞したいと思って応募した」という方と、その上で「なぜ落選したのかを絶対に知りたい」という方にのみ向けて書いたnoteです。「なぜ落選したのかを知りたい」という方以外はここでブラウザバックしていただけたらと思います。

「伝えたい人」以外に伝わってしまう。するとその人を傷つけてしまうかもしれない。だから、「落選した理由を知りたい」という方以外はここで閉じていただけたらなと思います。

※本noteに書いた「落とした理由」は、当然のことながら応募してきてくださったまさにあなたのその作品に「すべて」当てはまるわけでは決してない。その点、とても大切なことなのでここもお伝えいたします。

とある方が「最初からすべて鵜呑みにしようとは思っていませんでした」と、すばらしい文章を書いてくださいました。

ですが、これは逆に言えば「すべて鵜呑みにしてしまう」、つまり「すべて自分の作品に当てはめて考えてしまう」という方を出してしまう危険性があると感じました。

つまり、このnoteで書かれていることで、「すべて自分に当てはめて考えてしまい傷つく人が出てしまう」。そういう危険性がある。そのため、本noteに書いた「落とした理由」は、当然のことながら応募してきてくださったまさにあなたのその作品に「すべて」当てはまるわけでは決してない。この点もあらかじめご了承いただけますと幸いです。

※そして最後にとても大切なことを。本noteで書いたことはすべて「コンテストに応募する文章の場合は」という前提が入ります。「すべてのnoteがこうあらねばならない」ということは、決してありません。

あくまで「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由を記載しているという点をご理解いただけますと大変うれしいです。

noteは本当に自由な場所です。

のんびり文章を書いて楽しんだり、思考を整理したり、それこそ自分の気持ちを書き出して心を救ったり。そういうことができる場所です。

だから、「すべてのnoteがこうあるべき」ということを伝えているわけでは決してありません。あくまで、「この」コンテストで、「この」審査員が落とした理由を記載しているという、ただそれだけのことなのです。

その点、事前にきちんとお伝えしておかねばと思いここに記載いたします。



落とした理由を、落とした人たちに伝えたい

申し遅れました。私は「本コンテストを主催した藤原」のマネージャーです。藤原は自分の会社を経営している経営者です。つまり、社長です。私は藤原社長のマネージャーを務めてもう3年になります。

私は普段、手のモデル、いわゆる「手タレ」の仕事もしております。こういう雑誌に載ってるような写真。こういう写真の「手の」モデルをしているんです。

こういう写真です


私は結婚後の苗字がかなり珍しく、ここで苗字を書いてしまうと「モデルとしての売名」のように見えてしまうので苗字は伏せておきます。

ただお名前がないのも少し寂しいかなと思います。

今ちょうどジャスミンティーを飲んでいるのでジャスミンとおよびください。これを私のペンネームにします。ディズニーの映画アラジンに出てくるお姫様ジャスミンも大好きですし。


さて、今週の頭にコンテスト「なぜ、私は書くのか」の中間選考が終わりました。

誰を落とすか、誰を突破させるか。

審査員である私は、選び終わったんです。


中間選考が終わったので、当然「この作品が通過したよ」と応募してくださった皆さんに告知せねばなりません。


しかし私は昨日、社長である藤原にこう伝えました。「社長、中間選考の結果発表日、延期してください」と。理由は、

「私が中間選考で落とした人たちに、『なぜ、私があなたを落としたのか」を伝えたい」

そう思ったからです。


そう伝えると社長からは反対されました。

「いや中間発表なんてサラっとでいいじゃん。『中間選考突破したのはこの方たちです~』って、突破した方の名前を箇条書きで書くだけでいいじゃん」

と。


確かに、その予定でした。noteで開催されているコンテストも、中間発表はただただ「通過した方のお名前と作品名」を羅列しているだけです。だから私も、そうする予定でした。


しかし、気が変わりました。

ちゃんと挑んだ人たちに、真剣に向き合いたい。

そう思ったんです。


読まれなかった経験は、何よりの財産になる

「ちゃんと挑んできた人たちには、絶対に、『なぜ私があなたのnoteをクリックすらしなかったのか』そして『なぜ私があなたのnoteをクリックはしたけど最後まで読まなかったのか』。

これは絶対に伝えるべきだと思ったんです。

社長、前言ってましたよね。

『読んでもらえなかった』って経験には何よりも価値があるって。その経験があるからこそ、読んでもらうために何をすべきか、どんな努力をすべきなのかがわかるようになるって。

読んでもらえなかった経験は、物書きとして何よりの財産になるって」

「真正面から、このコンテストに挑んできた人たちに対して。

『あなたは中間選考突破できませんでしたよ』の一行で済ませていいわけがないと思うんです。

たしかに、そうやってラクすることもできますよ。突破した人の名前を箇条書きで書いて終わりにすることもできますよ。

でも、そうしたくないんです。ちゃんと挑んできてくれた人だからこそ、『なぜ読まれなかったのか』、それはその人にとってものすごい価値があることだから。だから伝えたいんです」


だから、社長に頭を下げてお願いしました。

選ばれなかった理由は、この先物書きとして生きていく何よりの財産になる。そう思ったからお願いをしたんです。結果、社長からは

「しょうがないなぁ(笑)」

とOKが出ました。


OKが出たので「なぜ、あなたを落としたのか」、そのことを伝えるために文章を書き始めました。


書くのに2時間かかりました。

「勤務時間内に書いていいよ」と言われたので、勤務時間の隙間をぬいながら書き上げました。

「なぜあなたを落としたのか」。

それを皆さんに伝えるために書きあがったものを、社長に見せました。するとこう言われました。


全文書き直せ。


本当に、まっすぐ目を見て、こう言われました。

「怖くなったんだろ」

そう言われました。



もう一行目からバレてるぞ。怖くなったんだろ。

「あなたを落とした理由はこれです」なんてズバッというのが怖くなったんだろ。そんなこと言って嫌われるのが怖くなったんだろ。

もう全部の文章からそれにじみ出てるぞ。

いつも言ってるだろ。届けるまでが、仕事だって。

だって伝えたいことがあるから書いたんだろ。

じゃあその書いて終わりじゃないんだよ。その書いたことを「相手に届ける」までが仕事なんだよ。

この文章が、自分のために書いた文章なら届けなくていい。自分の頭を整理したい、自分の心を救いたい、後で見返すための備忘録にしたい。それなら、届けなくていい。なぜならそれは、自分のためだけに書いた文章だからだ。

だがこれは「自分が落とした人」に伝えるために書いたんだろ。なら届けるまでが仕事だ。

他人から「必死ですねwwwwwwwww」って指さされて笑われるぐらい、みっともないほど届けきることに執着するんだよ。

届けられないなら書かなくていい。書くために使うその時間を、自分の人生を豊かに過ごすために使うべきなんだよ。

届けられないなら、書くな。書いたなら、届けることに執着しろ。

だから、恐怖に、負けたら、ダメなんだよ。

「嫌われたらどうしよう」ってそのブレーキがかかると、伝わるもんも伝わらないからだよ。

悔しくないのか。私に昨日頭下げただろ。「伝えたいことがあるから、書かせてください」って頭下げただろ。

あの時の「伝えたいと思った自分」が、「だけど怖くてブレーキをかけた自分」に負けたんだぞ。悔しく、ないのか?

「ブレーキかける自分」がいることがダメだって言ってるんじゃない。そんな自分、誰だって内に抱えてんだよ。誰だって怖いんだよ。誰だってブレーキ踏みたくなるんだよ。そんなの当たり前なんだよ。

そうじゃなくて、そのブレーキかけようとする自分をぶちのめせって言ってんだよ。一瞬でいい。一瞬でいいよ。

そのブレーキかけてる自分に「この先3日は固形物食えません」ってなるレベルのボディーブローをぶちこむんだよ。

みぞおちを狙えみぞおちを。

そこ狙えばブレーキかけてる自分は10分くらいは気絶したままだから。その10分の隙をつくんだよ。その10分で、「伝えたい」と思ったその言葉をぶちまけるんだよ。

「伝えたいことがあるから、書かせてください」。

そう言っただろ。書きたい。伝えたい。そう自分で目標を立てたんだろ。

なら自分が立てた目標にくらい、自分で責任を持て。

最後まで責任を果たせ。そのために、ブレーキをかける自分に負けてんじゃないよ。ブレーキをかける、自分に、負けるな。二回言ったからな。



ステータスを「編集力」に全振りしている

うちの社長は、基本的に本当に何もかもがダメです。

ステータスを「編集力」に全振りしているせいで事務処理能力は壊滅的。書類の整理が特に苦手で「私の7歳の甥っ子のほうが、宿題のプリント整理うまいぞ」ってレベルです。


動作もドンくさくて、こないだはキーボードに三ツ矢サイダーをこぼしてました。「やっちゃったぁ」なんて言いながら

「自分でも『あーこんなところに三ツ矢サイダーの缶置いたらこぼすだろうなぁ』と思ったのよね」

と言ってました。こぼす予感があったのならどかせばいいのに。

しかも、こぼしたのはお水じゃなくてサイダー。サイダーにはお砂糖が入ってます。だからそのお砂糖のベタベタのせいで、キーボードを押すと「ぬちょ」と音がするんです。そしてぬちょ、のせいでキーが上に戻ってくるのがすごく遅いんです。


それから、昨日は社長と1on1ミーティングがあったんですが社長は「鼻の頭に」絆創膏をはってました。「どうしたんですかそれ」と聞くと、

「いや昨日さ~、ヨーカドーで買ってきた水ようかん食べようとしたのよ。あの、なんかプッチンプリンみたいな小さい容器に入ってるようかんね。

でさ、あれの蓋?のフィルムはがそうとしたら全然はがれなくて。全力出したらフィルムがはがれずにむしろ自分の手がガン!って私の顔に当たってさ~。

自分の爪で、鼻の先っちょ切っちゃったのよ~」

って言われました。



社長は、本当に、編集以外のことはてんでダメです。

「全文書き直せ」

なんて、「水ようかんを食べたくて必死にフィルムはがそうとしてできた傷に絆創膏を貼った顔」で言われましたからね。



3年一緒に仕事をしていて痛感します。
うちの社長は、本当に、何もかもダメです。



でもそれは、ステータスを「編集者」に全振りしているからだと思いました。


今皆さんが読んでくれてるこの文章だって、私は結局自分で書き上げることができなかったんです。

本当なら、自力で書き上げないといけない「ここぞ」という所だったのですが。コンテストの中間選考、8月下旬に発表しますと伝えてしまった以上、社長の力を借りてこの「なぜあなたを落としたのか」を書き上げました。


書き上げてる最中、最後の方はもうインタビューのようになってました。社長から

「ここのパラグラフでは何を伝えたい?」

と取材のように質問をうけ、それを回答し、一緒に文章を書いていく。そんな感じで書きあがりました。


審査員として、応募作品を落とすのはつらかった

今から「あなたを落とした理由」を丁寧に伝えていきます。

私は、正直。

たくさんの作品を落とすことで、自分が傷つきました。

「普段私の文章を読んでる人って、私のことこう思ってるのか」

と。客観的に自分を見ることになったからです。


私は会社の広報の仕事もしてます。だから広報として発信のために文章を書いています。

でも、まったく読まれません。


ちょうど今、文章を書く人間として苦悩の最中にいたところでした。


でも、この中間選考の審査員をつとめたことで、

「そうか、こうやって書くと『読まれない』のか」

と気づくことができました。私が落としたあなたのおかげで、前に進めることができたんです。


今回のコンテストのテーマは

「なぜ、書くのか」

でしたよね。でも、私にとっては

「なぜ、読まれないのか」

になったんです。


今回のコンテスト、中間選考を突破できるのは

・審査員である私がクリックしたnote
・そして、クリックした上で「私が最後まで読んだ」note

だけです。


クリックすらされなかった作品は、すべて落とされます。

そしてクリックはされたけど、「つまらないな」と途中で読むのをやめた作品も、すべて落とされます。


210件の応募があった中で、突破できたのは48人だけでした。

なぜ、残りの162人は落とされたのか。

なぜ、審査員である私はその作品を落としたのか。

なぜ、あなたの作品は選ばれなかったのか。


読まれなかった経験は、何よりの財産になる。
そう思ったから、「あなたのnoteを読まなかった理由」を、今から正直にお伝えします。


※繰り返しになりますが、今まさに「読まれなくてつらい思いをしている」という方はここで読むのをやめてください。さらにつらい思いをしてしまいます。元気になった時、その時にもしも「あのnote、やっぱり読みたい」と思った時に戻ってきて読んでみる。そんな温度感で気軽にブラウザバックしてもらえたらなと思います。

※また、タイトルにある通りあくまでこの「読まなかった理由」は、「この」コンテストで「この」審査員(つまりたった一人の人間という私)が読まなかった理由という意味です。私がいまからお伝えする「読まなかった理由は〇〇だ」という言葉は、「普段あなたが自由に楽しく書いている、コンテストに応募しない作品でもそうしてください」という意味ではないことをご了承ください。



読むからには、「得をしたい」

今回、中間選考を担当させていただいて一つ気づいたことがあります。

読むからには、得をしたい。

読者はそう思っているんです。


応募作品を見ていて気付きました。ものすごく上手な文章を書いている方がたくさんいるんです。魂が込められてるなと、ちゃんと伝わってくる文章がたくさんありました。


でも、魂が入っている「だけ」なんです。

入っているだけで、読んだ私に何の得もなかったんです。


私は、読んでいて気付きました。

共感、学び、感動、発見、癒やし、笑い

自分の貴重な時間を使って読むんなら、もうなんでもいいから得をしたかった。こういった「私にとっての得がない」と思った作品はすべて落としました。

私も、広報として書いた自分の文章を読み直しました。「これからの広報は、属人性が大切だ!」っていろんな本に書いてあるから。だから属人性を出しまくった文章を書いていました。

でも結局、属人性は出せていたけど「読んでくれる人に得はなかった」。そのことに気づきました。


読む人は、「楽をしたい」

また、もう一つ発見がありました。

読者は、楽をしたい

そう思っているんです。


読むのが楽だなと自分が思った作品は、中間選考を突破しました。逆に言うと、読むのが「大変」な作品はすべて落としました。


具体的に言うと、こういう作品です。

・専門用語が多すぎる(いちいち調べたくない)
・人名が多すぎる(先輩のBさんが~など登場人物が多く、覚えておくのが大変)
・漢字があまりに多すぎてお経みたいになっている
・改行がほとんど無くてもう本当に読みにくい
・太文字が多すぎて結局どこを強調してるのかわからない


私は今までずっと「読者は私の文章を一行ずつ真剣に読んでくれる」と無垢に信じていました。

でも、違うんですね。

真剣に読まれないからこそ、「楽に」読んでいただけるよう文章を整えるのは大切なんだなと学びました。


メインディッシュが出てくるのが遅い

また、「ここが文章のサビ!」というシーンが全然出てこない作品も落としました。


たとえば、ジュラシックパークっていう映画があるじゃないですか。あの映画で一番見ている人が興奮するのって

「大嵐の中、柵を破って恐ろしく巨大なティラノサウルスが登場する『あの』シーン」

だと思うんですよね。


今回私が落とした作品。

ティラノサウルスが、出てくるのが、遅いです。

だから飽きちゃって、途中で読むのをやめてしまいました。というか、ティラノサウルスが最後まで出てこない人もいました。

だから、落としてしまいました。



文章に慣れてない人は、それがレトリックだとわからない

また、これは恥ずかしながら私の読む力が足りなかったという話なんですが。

レトリックだとわからない作品もありました。

たとえば、うちの社長である藤原本人に向けたお手紙として書きあがっている作品がいくつかありました。

そのほかにも、マネージャーである私本人に向けたお手紙として書きあがっている作品もいくつかありました。


これ、私、「こういうレトリックだ」とわからなかったんです。

「あ、うちの社長に向けて書かれた手紙なのか。じゃあ私は読まなくていいよね」

と落としてしまったんです。

私に向かって書かれたお手紙も一緒です。

「あ、これは私に向かってかかれた手紙なのか。でも手紙ってことは私個人に向けて書かれた文章だから、中間選考を突破してもらって『これが受賞作品です』とたくさんの人に見せる必要、ないな」

と落としてしまったんです。


読んでくれている人全員が、読解力が高いわけではない。

「こういうレトリックなんだよ」と理解する力が弱い人もいる。

このことに気づかされました。


こういうタイトルのものは、そもそもクリックすらしなかった


そして皆さんが一番気になるであろう

「そもそも、クリックすらしなかった」

のはどんな作品か。


「なぜ、私は書くのか」という意味のタイトルがつけられた作品は、ひとつもクリックしませんでした。


なぜならばそもそものコンテストの名前が「なぜ私は書くのか」である以上、「なぜ私は書くのか」について書いていることは審査員である私はもう知っているからです。

だから、たとえば応募するコンテストのテーマが「なぜ書くのか」なら、応募作品に「なぜ私は書くのか」というタイトルをつけてはいけないんです。


「なぜ私は書くのか」というタイトルをクリックしてくれるのは、

「あなたの大ファンです!」

と言ってくれるファンだけなんです。だってファンだから。ファンだから、

「えー!この人が書く理由!?もちろん、知りたい!」

ってなるじゃないですか。


でも、私は、あなたのファンではなかったんです。残念ながら。

だから、「なぜ、私は書くのか」という作品が応募されてきても「別にそんなこと、知りたくないな」というシンプルな理由で終わってしまった。だから、クリックすらしなかった。



応募要項、本当にちゃんと読みましたか。

「クリックすらされない作品は容赦なく落とします」

って書いてあったと思います。なら、クリックされることに全力を注ぐべきなんです。

クリックする、理由が、ない。

シンプルにこれです。これがあなたのnoteをクリックすらしなかった理由です。


うちの社長がいつも言ってます。

自分が書いた文章は、読まれてナンボだ。だからな、クリックだよ。クリックさせることに全力を注ぐんだよ。

だから、タイトルがすべて。

Webの記事ってのは、タイトルがすべてだぞ。

と。あの言葉の意味が、審査をする側になって初めて理解できました。


このほか、あまりに攻撃的すぎるタイトルはクリックすらしませんでした。たとえばですけど。


※今から「私が昔実際に人から言われたとてもつらい言葉」が出ます。パワハラやいじめを受けて心の病と闘っている方は見ないでいただけたら幸いです。

本当に本当に本当に本当に、こんなこと書きたくないですけど。


たとえばこんなタイトルのnoteがあったら、あなたは、クリックしますか?






「お前なんか、消えちまえよ」





クリックなんて、するわけないでしょう。

「今日も一日が始まったなぁ~!いい天気だ!朝ごはんをしっかり食べて、今日も一日頑張ろう!」

って思った後に

「さて、今から吐きそうなほど最悪の気分に浸りたいなぁ♡ じゃあこの『お前なんか消えちまえよ』ってnoteを読んでみよう!」

ってならないでしょう。コンテストで応募された作品を審査しようとしているときに「お前なんか消えちまえよ」ってタイトルがあったら、審査員はこの言葉を「自分に向けて言われた」と感じるんです。



中身がどれだけ豪華なフレンチのフルコースだったとしても。

そのフルコースのお料理が入っている器が「飲食店街の路地裏によく置いてある、泥だらけで何なら虫の死骸がへばりついている汚い汚いあの水色のポリバケツ」だったら、そもそも蓋を開けようとも思わないでしょう。


つまり、そういうことです。


小論文は、読みたくない

そしてクリックしても最後まで読まなかったnoteもたくさんあります

それはどんなnoteだったのか?

自分で考えてみた結果、「一つだけ共通点がある」と気づきました。


理路整然としていたんです。


私が書く理由は3つあります。
一つ目はこれです。
二つ目はこれです。
三つめはこれです。
まとめると、こうです。以上です。

小論文なら、これでいいと思います。小論文ならば、これは100点。

でも、小論文を読まされても。
まったく心を奪われませんでした。


「理路整然とした文章ほどつまらんもんはない」

昔、うちの社長がぽろっと言った言葉です。

ああ、そうか。

理路整然とした文章ってただの小論文だ。小論文で、人の心を奪うことなんてできないんだ。そう、痛感しました。


早速できてないじゃん

そして「最後まで読んだけど」落とした作品もたくさんあります。

これ、どんな作品だと思いますか。


タイトルがおもしろそうだ。
クリックをした。
一行目も面白い。
リード文も面白い。
本文も面白い。
最後の一行も面白かった。

でも、落としたんです。

なぜだと思います?



実行できていなかったからです。

「私が書く理由は、私の文章で人を癒やしたいからです」
「私が書く理由は、私の文章で人に学びを与えたいからです」
「私が書く理由は、私の文章で人を笑わせたいからです」


じゃあ、今まさに書いている「その」文章で実行してください。



言ったそばから、実行できてないじゃん。

高校生の時、「あたし、ダイエットする」と宣言しながら左手でポテチのコンソメ味をむしゃむしゃ食べて母親からあきれられたことがありましたが、まさにあの時の自分を思い出しました。


「書く理由」を宣言したのなら。

今あなたが書いている「私が書く理由」というそのnoteで、まさに実行してほしかったんです。


「人を癒やしたいから」なんだったら、「人を癒やしたいから」と書いたまさにそのnoteで審査員の私を癒やしてほしかったんです。

「人に学びを与えたいから」なんだったら、「人に学びを与えたいから」と書いたまさにそのnoteで審査員の私に学びを与えてほしかったんです。

「人に笑ってほしかったから」なんだったら、「人に笑ってほしかったから」と書いたまさにそのnoteで審査員の私を笑わせてほしかったんです。


「人に笑ってほしいから書く」。

そう宣言したのなら、まさに「今」、実行している姿を見たかった。

だから、最後まで読んだけど、あなたの作品を落としました。



最後に、コンテストの裏側で行われてた裏話をします

そして最後に。

まさに「あなた」に伝えなくてはいけないことがあります。

その伝えなくてはいけない言葉は、とてもつらく苦しい思いをする言葉です。

つらい思いをするとわかっているから、そのつらい思いを和らげるために。そしてちゃんとそのつらい言葉が「伝わる」ように。


ひとつ、裏話をします。


「ブレーキをかけずに文章を書いたら、相手は傷つく」と言ったらド詰めされた話


全文書き直せ。

「ブレーキかけたら伝えたいことが伝わらない。だからブレーキを破壊してから出直してこい」。そう社長に言われて、私はこう言い返しました。


「ブレーキをかけずに言いたいことを言ってしまったら、相手を傷つけてしまうでしょう。

だから、ブレーキはかけるべきです」


結果、ド詰めされました。


違うよ。

傷つくからこそ前に進めるんだよ。
自分の文章が読まれなかった。
そしてなぜ読まれなかったのか。

その理由を聞くのはたしかに傷つく。
だけどその理由を知らないままだと一生二流のまま終わるだろ。

傷つくから強くなれるんだよ。
筋トレと一緒。あれ、ダンベルで筋繊維を傷つけてるだろ。その傷つけることによって、筋肉が「もっと強くならなくちゃ!」って鍛えられていくだろ。あれと同じだよ。

「書いても書いても誰にも読まれない」ってめそめそ泣いてんだったらもう強くなるしかないんだよ。

泣いてばっかの自分から抜け出すにはもう強くなるしかないんだよ。強くなるには傷つくしかないんだよ。だから傷つくってわかっててもそれは伝えるべきなんだよ。

「だから、あなたの文章を私は読みませんでした」って。

もちろん「傷つけ方」ってもんがある。

包丁で心臓刺したら死んじゃうだろ。包丁で心臓さしても心臓は「もっと強くならなきゃ!」なんて鍛えられないだろ。だから包丁で心臓を刺しちゃだめだ。

傷つける言葉を伝えることは大切だ。

大切なのは傷つけ方だ。そこをはき違えるな。

「言わないと前に進めないことは言うべき」
「言わなきゃ気が済まないことは言わないべき」
って言葉があるだろ。まさにあれだよ。

言わないと前に進めないだろ。言わないとその人は一生、死ぬまで、誰にも読まれない二流の物書きのままだぞ。二流のままでいいわけないだろ。

伝えたいことがあるから書いてんだろ。じゃあ伝えたいことを伝えられるよう、一流の物書きにならないといけないんだよ。

だから、傷つくってわかってても伝えないといけないんだよ。その傷つくってわかってる言葉を伝えるためには、ブレーキかけたらダメなんだよ。

「相手のために、私はブレーキをかけなければいけない」って今言ったな。

本当は違うだろ。

本当はただ、怖くなっただけだろ。

だからブレーキをかけたんだろ。「相手のため」なんてニセの気遣いでうわべをコーティングして結局は自分のことを守ろうとしただけだろ。

バレてんぞ。文章を見て、一瞬でわかったぞ。自分を守るためだけに、ブレーキをふんだなって。

もう一度言う。「ブレーキを踏む自分」をぶちのめしてこい。ぶちのめして相手が気絶しているその10分の隙に、「伝えなきゃいけないことを伝えたい」と思った自分のアクセルを全開にして思い切り書くんだよ。

今から他の業務、ぜんぶストップしていい。
全文、書き直せ。

できるって知ってるからこそ、言ってるからな。

何言ってもムダなやつに「書き直せ」なんて私普段、絶対言わないだろ。

だから、もう一度言う。全文、書き直せ。全責任は私がとる。だから安心してブレーキぶっ壊してこい。



だから、書き直しました。

最後の最後まで伝えるべきか迷った、最後の理由。

「なぜ、あなたのnoteを読まなかったのか」

本当に傷つくと知っているけど、でも、それを今からお伝えします。


「だから、何?」に答えられないなら、その一行は書くべきではない


たとえばの話なのですが。

「私が」今この場で、こう書いたら皆さんどう思いますか。

なぜ、私は書くのか。

私は「自分の人生で学んだことを整理するために、そして忘れないために」文章を書いています。

そしてその文章を、noteで公開することでもしかしたら誰かの役に立てるんじゃないか。そんな思いでnoteを更新しています。

私のこの思いが、あなたに、届きますように。

これ読んでどう思いましたか。





知らんがな。






そう、思いませんか。


今私の文章を読んでくれている人の中に、「私が書く理由」をなんとしても知りたい。



そう思う人は一人もいないんじゃないんですか。



なぜならこの中に「私のファンだ」と言ってくれる人は一人もいないからです。

だから、「なぜ書くのか」を私がちゃんと真剣に書いたところで、あなたはこう感じると思うんです。

「知らんがな」

と。


もちろん、「知らんがな」文章を書くのがいけないという意味では決してありません。


「コンテストに応募をしてしかも受賞をしたい」という場合であれば、審査員に「知らんがな」と思われては受賞ができないという意味ですよ。

noteは自由に言葉をつむげる場所。

人から知らんがなって思われたってそんなの気にすることなんて、全然ないんです。好きに自由に自分らしく書いていけばいいんです。



ですが、「伝えきらなければいけない」文章の場合は別です。

私は会社の広報として毎日文章を書いています。この文章は時々社長に添削をしてもらってます。

その添削の時に必ず言われる言葉があります。すべての行で、このツッコミが入るんです。

あのさ、この一行あるじゃん。

この一行ってこういうことが書いてあるよね。そこで聞きたいんだけど。

この一行を読んだ人には、どんなメリットがあるの?

と。

これは詰められているわけではなくて、ただの確認作業です。「メリットがないなら、削除しちゃったほうがいいよね」という確認作業。

「この一行を読んだ人には、どんなメリットがあるの?」とは、つまり

「だから、何?」

というとてもシンプルなツッコミです。つまり、読者にとって、「読むメリットがない」文章は一行たりともあってはならない。そういうことなんです。


あなたが書いた「なぜ、書くのか」というその文章。

その文章を読んだ人は、はたして「得」をしましたか。


声を出して笑った。
疲れがふっとんだ。
すっごく癒された。
楽しい気持ちになれた。
悩み苦しんでいた苦悩が消え去った。
モヤモヤしていた気持ちが言語化できた。
明日からも頑張って生きていこうと、前向きになれた。

読んでくれた人にとっての「得」がないなら、私たちの文章はこう思われてるんです。


知らんがな。


皆さん、他の応募者の作品を読みましたか。

ほとんどの方が読まなかったんじゃないですか。まさに、それです。

ほとんどの人は「他人の書く理由」になんて、興味を持たないんです。


かろうじて興味を持っていくつかの作品を読みに行ったとしても、「最後まで読んだ作品」は少なかったでしょう。なぜなら読んでくれるあなたに「得」がないからです。だから、途中で読むのをやめたんですよね。


駅前でティッシュを配っている人っているでしょう。あのティッシュ、受け取ってみるとティッシュの中に小さなチラシが入ってますよね。

あれ、チラシだけだったら誰もうけとらないでしょう。なぜなら

「広告を見たくて仕方がない」

って人はいないからです。

ティッシュという「得」があるから、誰も興味を持たない「広告」を見てもらえるんです。これは、文章も一緒なんです。



「落としてしまってごめんなさい」なんて死んでも言いません

正直、身につまされました。

審査員を務めて、皆さんの作品を落とすのがつらかったです。「選ばれなくてかわいそう」という意味じゃないです。

「私の文章って、読者から見るとこう見えてるのか」

という意味です。その意味で、とてもつらかったです。


でも、この「読者から見るとこう見えるのか」という地点に立てたことは本当に価値があることだと思います。皆さんのおかげで、今私はこの地点に立てています。

たしかに私はあなたを落としました。でも、

落としてしまって、ごめんなさい

なんて死んでも言いません。


読まれなかったその経験は、何よりの財産になる。
だから、落としました。
だから、落とした理由を勇気を出して伝えました。

怖かったけど。「落とした理由を伝えねば」とたんか切ったくせに急に怖くなってブレーキかけて社長にド詰めされたけど。


それでも、落とした理由を「あなたに」伝えることができてよかった。

そう、思います。


結果は明日、発表されます

さて、中間選考の発表は明日8月31日(土)に発表されます。

210件の応募があった中で、中間選考を突破できたのは48人だけでした。

どの作品が突破できて、どの作品が突破できなかったのか。


明日、このnoteで発表します。ドキドキするかとは思いますが、たとえ落とされても

「それは価値ある財産だ」

と、そう思っていただける。そう確信しています。



皆さん、貴重なお時間を使ってここまで読んで下さり本当にありがとうございました。本当に、ありがとうございます。

明日、またこの場でお会いできることを楽しみにしております。

社交辞令ではなく、本気で、です。本気で楽しみにしております。



それでは、よい一日を。




マネージャーのジャスミンより







みなさん、おはようございます。審査員のジャスミンです。

さて、結果発表の日になりましたね。



すみません、ちょっとモスバーガーに行ってました。どうしてもあの期間限定の「白いモスバーガー」が食べたくなってしまって。本当はお昼「前」に結果発表できるはずだったのに、

「ちょっと我慢できないんでモスバーガー行ってきます」

とスラックで離席する旨を社長に伝えて、お食事して今帰ってきました。

皆さんが楽しみになさってた結果発表、モスのせいで遅れてしまいすみませんでした。

いやモスのせいじゃないですね、私の食欲のせいですね。すみません。


さて、みなさん。本日、これより結果発表を行います。


まず、皆さんにお礼申し上げます。

正直、皆さんのコメントに驚きました。

「なぜ、あなたを落としたのか」

なんて、バッシングの嵐が来るのを覚悟で書きました。でも、頂いたのはこんなご感想ばかりでした。

本当に、とても驚きました。



▼いただいた感想の一部を抜粋


ツイッター以外でも、コメント欄でたくさんのご感想をいただきました(すべて紹介しきれずすみません)。

この度はありがとうございました。
そして「誰かを選んだり落としたりしなくちゃいけない」重圧、大役を終えた上に「なぜ、あなたを落としたのか」と文章にしていただきありがとうございました。

どちらに転んだとしても、ジャスミンさんが書いてくださったこの記事には大切なことを教えてもらえました。

納得できたから、もう落ちても落ち込まないと思います。

落ち込む暇があったら、もっと自分が書いた後に読み返したり、他人の読まれている文章を読みます☺️

200件を超える応募に一人で向き合い、真正面から真剣にぶつかっている姿勢が文面からあふれ出していて心から敬意を表したいと思いました。

この記事を読むまで、私は自分の書いた記事に間違っていた部分がないかをいろいろ気にしてしまいました。でもジャスミンさんはその200倍を超える恐怖に向き合っていらっしゃっることに気づきました。私だったら、絶対この立場から逃げたくなります。

このあと結果が出て、もしかしたらその反応に対してジャスミンさんにもいろいろ思うところが出てくるのかもしれません。でも、どのような内容であってもこの文章をあえて書かれることまでされたジャスミンさんの選考を心から尊重したいと思います。

この度はありがとうございました。

なぜ書くのか。
あらためて考えてみるに、なにを書くのか、の思いなしに、この答えはないのかもしれませんね。
実際に記事を書く、ということから少し離れた今のタイミングだからこそ、自分ごととして受けとめられる、考えられる……そんな氣持ちもいたしました。
コンテストに参加させていただけた価値をかみしめています。
素敵な記事を、ありがとうございました!

読みながら、思い当たるフシがありすぎてありすぎてw
明日はノーブレーキで突っ込んでくるとのことなので、全身全霊で受け止める準備をします! よっしゃ来いっ!

だから「発表を土曜日に」されたのかなぁ?
なんて考えたりして。

ほんと、どこまで行っても、優しいの。
びっくりする。

この記事を読んで何だか凄く「あぁ、人生って面白い!」と思えました。自分の足りない所に向き合っていこうと爽やかに前を向けたのはこの記事のおかげです。それが苦いものと共にあるとしても。

真剣に向き合ってくださってありがとうございます。
いまのところ4回くらい舐めるように読んだり斜め読みしたりしましたが、これから先何回も読み返すことになると思います。

ジャスミンさんの文章も魂に直接衝動を与えてくるタイプで、読んだ後、精神が疲労していました。(それほど熱量がある!)

匿名でマシュマロも一件届いていたそうです。

▼こちらです。



皆さん、本当に、ありがとうございます。もうなんとお礼を言っていいかわかりません。


正直こういうコメントの嵐を覚悟していました。

「なんで俺を落としたんだ!」
「俺こそが受賞者になるべきだろう!」
「ふざけんな!時間かえせ!」

というコメントの嵐を覚悟していたんです。


社長にも伝えました。

「バッシングの嵐が来ますよ」

と。でも、社長からは即座にこう返されました。


いや、あのさ。そんなこと、わかってんだよ。
わかってて、「書きな」って言ってんだよ。

読まれなかった経験は何よりの財産になる。
だからこそ、「あなたの文章を読まなかった理由」を伝えたい。
そう思って「書かせてください」って私に頭さげたんだろ。

そう言われて、書いていいよと「私が」許可を出した以上、そのすべての責任をとるのが「私の」仕事なんだよ。バッシングの嵐が来るなんて、そんなのわかりきった上で「いいよ」って言ってんだよ。

あのさ、上司が何のために存在しているか、わかってないね。

安心して「失敗できる」環境を、部下に提供するために上司はいるんだよ。

誰だって失敗しないと成長できないだろ。成長するためには失敗を重ねないといけないだろ。

だから「失敗できる環境」をちゃんと提供するのが上司の仕事なんだよ。ほんで実際に部下が失敗したら、すべての責任を上司がとるんだよ。その覚悟があるやつだけ「人の上」に立つことができるんだよ。

クレームが来たっていいんだよ。バッシングの嵐が来たっていいんだよ。

私のツイッターのDM宛に「ふざけんじゃねぇ」ってクレームが来るなんてわかりきってんだよ。そのDMでマンツーマンの大炎上が起こったって別にかまわないんだよ。もうその覚悟で「いいよ」って言ったんだよ。

「すべての責任は私がとるから、安心して全力で書け」って言っただろ。

じゃあここは私に背中を預けるべき所なんだよ。



そう、言われました。


こんな、やりとりがあったから。バッシングの嵐を覚悟して昨日「なぜ落としたのか」というnoteを書き上げました。このnoteを読んで、

俺のことを落としやがって。

そう怒る権利だってあるのに。



でも、そんな人誰一人いなかったんです。




さて、ここから中間選考の結果発表です。

210件の応募があった中で、どの作品が突破したのか。そしてどの作品が突破できなかったのか。

ご覧ください。

中間選考を「突破した作品」はこちらの48作品です。


※順不同です。

















































以上が、中間選考を突破した48作品でした。

中間選考を突破した48人の方、本当に、本当におめでとうございます。

さて、最終選考は9月中旬ですが、一つお知らせがあります。


この48作品を、つい先ほどうちの社長に渡しました(社長本人にも、「中間選考で誰が突破するのか」を知らせてませんでしたので)。


ただし、突破した方のnoteのURLは、

渡してません。


なぜなら、URLを渡すと誰が書いたかわかってしまうからです。


社長は、「普段Xなどで感想を毎回くれる人」に懐いてしまうタイプの人間なんです。

普段は他人の名前なんて本当に覚えないのに、感想を5~6回もらうとその人の名前を覚えてしまうんです(逆に言うと1回感想送られたぐらいじゃ全く覚えない)。


だから、突破した作品のURLは渡しませんでした。URLを渡してしまうと誰が書いたかがわかってしまう。誰が書いたかわかってしまうと

「この人いっぱい感想くれるから好き~♡ じゃあ賞あげちゃお♡」

と、やってしまいかねないからです。


「感想をくれるから」。

ただそれだけの理由で賞を授与する。

こんな失礼なこと、他にありますか。


たしかに、感想をくれた方は大切な人ですよ。感想をもらえるから、文章を書くことができている。だから、感想をくれる人は「一緒に文章をつむぎあげた」大切な人です。

でも、その大切な人を、「大切にするそのやり方」は間違えてはいけない。


「感想くれるから賞をあげる」。これはまさに、大切にするそのやり方を「盛大に間違えている」いい例だと思うんです。


だから、URLは渡してません。代わりに、中間選考を突破した作品の文章をWordにコピーしてPDF出力して渡しました。つまり、

「この文章を誰が書いたのか、まったくわからない」

という状態で渡したんです。


敗北感を与えた人だけが、グランプリを受賞できる


今回のコンテスト、お手本作品として社長のこのnoteが掲載されましたよね。

▼このnoteです

このお手本作品、最後にこう書いてありましたよね。


審査員はこの私だ。

ぶちのめしにこい。



と。

ぶちのめすってことは、相手を倒すってことですよね。

つまり、最終選考でグランプリを受賞するのは、最終選考の審査員である藤原本人に

「敗北感」を与えることに成功した人間だけ

ということです。


だから、中間選考を突破した48人のみなさん。

この先にも敵がいますよ。

私なんかよりはるかに恐ろしい怪物が。


皆さん、自分の作品を読み返してみてください。

「負けた……」ってうちの社長に言わせる文章、書けてますか?


グランプリをとれる人間なんて、ただの一人もいないかもしれない。さて、どういう結果になるか。全く予想がつかないです。


最終結果は9月中旬。

皆さん、期待して待っていてくださいね。私も中間選考の審査員を務めた人間として、とても楽しみです。どの作品が、グランプリをとるんでしょう。

わくわくしますね。



落選作品

さて、ここからは「私が落とした」落選作品の紹介です。

※そもそもの「応募条件を満たしてないもの」はご紹介しておりません。ご了承ください。

【追記】
※本コンテスト開催にあたり、「#なぜ私は書くのか」という「もともと存在していなかったタグ」を今回新しくつくりました。コンテストに応募するためだけのタグではありますが、「コンテスト応募用のタグである」とnoteに居るすべての方に告知することができませんでした。こちらは完全に開催側の私の不手際です。そのため、コンテストに応募するつもりではなかったのにタグをつけてnoteを投稿された方は、コメント欄で削除の要請をお願いいたします。こちら、本当に大変失礼いたしました。





































































































































以上が中間選考の結果発表でした。


「あなたを落とした理由」は、このnoteの冒頭で1万6,000文字もの大ボリュームで、徹底的に伝えています。

ただし、「今まさに自分の文章が読まれずに苦しんでいる方が読んでしまうとさらに辛い思いをするかと思います。そのため、今苦しんでいる最中にいる方は絶対に読まないよう、どうぞよろしくお願いします。


繰り返しになってしまいますが、

「落としてしまって、ごめんなさい」

なんて死んでもいいません。


代わりに、心からの感謝をお伝えいたします。

無職屋さんCさん、富山佳奈利さん、えいさん、うさぎやさん、さなさん、おすぬさんさん、とあるアラサーの絶対に見られたくなかった日記さん、ぶらうん太郎さん、HARU MAKIKOさん、ミキティさん、しっぽさん、スイートバジルさん、ゆうさん、なつめももこさん、みかりさん、ゆき(由紀)さん、なべともさん、ケータローさん、ちゃりれれさん、ハットリ さん、ひいろさん、mineさん、中村彩理さん、daisyさん、花千世子さん、月野 羽唯さん、大谷義則さん、おばけさん、maiさん、Junko Satoさん、ももまろさん、ゆうこと。さん、まつむらnoteさん、はぴび/ナイルの水を飲んだからさん、黒豆柴さん、はるまふじさん、Satoruさん、しゃんしゃんさん、貴田明日香さん、ヨッシーさん、叶井ゆきさん、雲州鳩さん、ゆにさん、はこべさん、美咲さん、しおさん、アルロンさん、渡良瀬あやめさん、まいTチャンネルさん、小暮沙優さん、ウエダヤスシさん、はつさん、うみのちえさん、偏光さん、喜木凛さん、ゆずさん、夏山りんごさん、ももまろさん、つくだとしおさん、TANOSHIKA 翼祈(たすき)さん、クルクリさん、茅の樹さん、八神 夜宵 さん、美咲さん、皿うどんサラウンドさん、シマななこさん、クププさん、ちーこさん、泉悠壮さん、チェブラーシカさん、mograさん、タミシオシ大chanさん、pekomoguさん、MINOさん、なつき希さん、哲 13さん、だまさん、早時期 仮名子さん、みくまゆたんさん、はそやmさん、そうたいさん、おはるさん、りーもさん、はしさん、美咲さん、高草木陽介さん、おいはる(矢尾春香)さん、眠り猫さん、ma8さん、エンジニア777さん、ゆづさん、八々 - ややさん、伊勢野マリーさん、ながちろさん、夜舟蒼さん、kanakanakanaさん、ずっきーさん、三毛田さん、須山ゆずさん、Nami Hanagakiさん、びす男さん、lionさん、CHIHIROキャリア&ファッションカウンセラーさん、やまだ めぐみさん、はたらくたぬきちさん、長橋 知子さん、たい焼きさん、etsukoさん、ぎらす屋ぎらすさん、makioさん、OgAz/水無瀬あずささん、たつのこ龍次郎さん、ゴトーアヤノさん、かじやま にゃんさん、ツバミーナ・ガオさん、ただの素人さん、TAiRA(たいら)さん、つっき〜さん、琴美(こつ)さん、マユシムさん、なごやっこ和(かず)さん、シガナイ コウシヤさん、マイトンさん、かずみんさん、はるのもみじさん、花澤薫さん、テラさん、西園寺えるさん、kahoさん、kanakanakanaさん、trafalgarさん、山羊的木村さん、のざわあらしさん、シノスケさん、藤峰 みのりさん


「あなたの」おかげで、「読まれる文章とはどうやったら書くことができるのか」、自分自身を振り返って深く深く学ぶことができました。

そしてあなたのおかげで学ぶことができたからこそ、成長するチャンスを与えてもらったからこそ。

そのお礼として、勇気をふりしぼって「なぜ、落としたのか」を全力で書きました。



あなたと一緒に、物書きとして一歩だけでも前に進めたこと。

それを、誇りに思います。


ありがとうございました。



それでは、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。

今日は土曜ですね。お仕事お休みの方も多いかなと思います。

私はこのあと、映画『キングダム 大将軍の帰還』を観に行きます。大好きな王騎将軍に会えるのかと思うともう楽しみで仕方がありません。結末を知ってるので今からもう泣きそうです。


皆さんも、素敵な休日をお過ごしくださいね。




それでは、さようなら。




マネージャーのジャスミンより




※9月6日追記
コンテスト責任者である藤原です。

コメント欄で「セクシュアリティはただの当人のアイデンティティであり、初対面の人に隠すも隠さないも本人の自由」というご指摘をいただき、「セクシャリティに該当する項目」の中からセクシャリティを削除しました。
これはもう本当にごもっともだと納得し、深く深く深く反省いたしました。

セクシャリティって、たとえば初対面の方に「関西出身なんです~」と伝えるのと何ら変わらないことだと思うんですよ。

私は渋谷区の会社に勤めていたことがあるんですが、渋谷区には同性パートナーシップ制度があります。だからパートナーが同性という方とお会いする機会がすごく多かったんですね。

でも、こういったセクシャリティって、初対面の方に伝えてはいけないなんてこと、絶対にないですよね。

というか確かに私も、初対面の方と話の流れで「パートナーが同性なんだですけど」と言われても「そうなんだー」と返した後そのまま話題が進むだけ。

たしかこの時は「パートナーが同性で、スポーツブラを勝手に使われてケンカになった」みたいな話をきいて、「そうか……パートナーが同性だとそういうケンカも起きるのか」と思いました。「異性同士のカップルは何か悩みがあっても、Google検索すればすぐ似た悩みが出て来て解決しやすいけど、同性の場合は検索結果が少なくて困る」と相手の方が言っていたのを思い出しました。

セクシャリティというアイデンティティを初対面の人に伝える。

アイデンティティって人それぞれ持ってると思うんです。たとえば地域というカテゴリにしぼれば「自分は福岡県民である」とか「自分は関西人である」とか。そういうアイデンティティって、別に相手に伝えてはいけないなんてこと絶対にないじゃないですか。

セクシャリティも同じです。これと、まったく同じなんです。初対面の方に、自分のセクシャリティを伝えてはいけないなんてこと、絶対にない。改めてそう思いました。

そんなことにも気づかずに「センシティブなこと」にセクシャリティを入れたこと、そしてそのことにより人を傷つけたこと。心よりお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした。

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藤原華|編集者
もしこのnoteが面白かったら300円サポートお願いします!😭肩こりと背中の痛みがひどくて椅子にすわれないことが多くて……。整形外科で回300円の電気治療してるんだけど、いただいたサポートでもっと電気治療通いたい!!頂いた治療費、大切に使わせて頂いてます🙇