「たった一人に向けて書く」ことで他の誰かを傷つけてるかもしれない
ライティングの本を10冊読めばそのうち15冊には書いてある言葉だ。もう物書きならば耳にタコができるほど聞いたことがある言葉だと思う。
私も、完全に、同感だ。
たった一人に向けて書いた方が、いい文章に仕上がる。伝わる文章になる。だから「たった一人に向けて書く」。その意識はとても大切だと思う。だが、
私はこのことを理解しておくべきだった。
私は先日、こんなコンテストを開催した。
「なぜ、書くのか」をテーマにした自主開催のnoteコンテストだ。
このコンテストには「中間選考」と「最終選考」がある。
中間選考を担当する審査員は私のマネージャーだ(私、今独立して会社経営してマネージャーを雇っている)。そして最終選考を担当する審査員が、コンテストの主催者でもある私自身だ。
ここで一つ、疑問に思う人がいるだろう。
なぜ、コンテストの主催者が、最初から審査を務めないのか?
それは、私の職業が編集者だからだ。
編集者ということは、文章のプロだ。プロだから、応募してきてくれた人がどれだけ苦労して書いた文章なのか、わかってしまうのだ。
わかってしまうから、簡単に受賞作品として選んでしまう。
でも、それだとダメだと思った。
だって、このコンテストに応募してきてくれる人のほとんどが、「自分が書いた文章を読んでほしい」と望んでいるはずだ。
そして、それは誰に読んでほしいか?
人それぞれ答えは違うだろうけど、一つだけわかることがある。それは、
とは思っていないということだ。
だからこそ、「編集者ではない」私のマネージャーを中間選考の審査員に任命した。
このコンテストに応募してきてくれる人は、「noteに遊びに来ている普通の読者」に読んでもらいたい。そう思っている人が多いだろう。だからこそ、まさにその「普通の読者」であるマネージャーを、中間選考の審査員に任命した。
中間選考を突破できないということは、
ということだ。
読まれないという経験は、つらい。本当に、つらい。だけどこの読まれない経験は、すなわち「じゃあどうすれば読まれるようになるかな」と前進につながる。
私も今まで、自分の文章が読まれない経験を何度も何度もしてきた。書いても書いても読まれない。じゃあ自分が書く意味って、ないじゃん。もう書かなくていいじゃん。もう誰も自分の文章なんか読まないんでしょ。じゃあもういいじゃん。
そう悔しい思いを何度も何度もした。
くじけそうになった時もあったけど。
書けない期間が1年も続いた時だってあったけど。
こんな悔しい思いをしたからこそ、「じゃあどうやったら読まれるのか」を死に物狂いで考え続けた。
だから今。
読まれないnoteを書くときもあるけど、読んでもらえた時は
と言ってもらえる文章を書けるようになってきた。
だから、私は本気で思っている。
「読まれなかった」という経験は何よりの財産になるって。
先日開催したコンテスト「なぜ、私は書くのか」。
この中間選考の審査をしている時。
審査員であるマネージャーは、泣いてた。
とある「2つの作品」にとても傷ついていた。
ひとつは、「攻撃的で、読んだだけで傷つく言葉」がタイトルにつけられた作品。
もう一つは、「クリックした後いきなりセンシティブな話が一行目から始まってしまう」作品。
センシティブっていうのは、たとえば「戦争とかセックスとか暴力とか薬物とか」そういうテーマのこと。そういうセンシティブなテーマが一行目から始まってしまう作品があったんです。
とぎれとぎれに。泣きながらそう、言ってた。
「これはもう、やらせるべきではない」。
そう思った。だから伝えた。もうやめていいよと。審査員、やめていいよと。あとはこっちでなんとかするから、もうやめていいよと。そう、伝えた。
が、マネージャーはこう言った。
と。
これは本当に迷った。
……心が壊れてしまうかもしれないからだ。
私はいい。私は慣れてるから。悪意のある文章や、攻撃的な文章や、センシティブな話を1行目からしてしまう文章に慣れているから。
編集者だからこそ、いろんな文章に触れる機会がある。だから、そういうネガティブな文章を読むことにも慣れているのだ。私は、良い意味で心の神経が死んでるのだ。
だけど彼女は慣れていない。だから壊れてしまうかもしれない。心はガラスのコップと一緒だ。割れるともう二度と同じようには元に戻らない。
本当に迷った。
迷って迷って迷ったあげく、彼女の覚悟に応えようと思った。だから、
と伝えた。
その後、一緒に文章をつむいでいった。どんな文章かというと、
というタイトルの文章だ。
「本気でコンテストに挑んできた人たちに向き合いたい」。そんな理由から、「落とした理由」なんて本来は書かなくてもいい文章をつむいだのだ。
ただ、この「あなたを落とした理由」という文章を書くとき、マネージャーは泣いてた。
もう泣きまくってて書ける状態じゃないから、最後のほうなんてマネージャーがしゃべった言葉を私がテープ起こしして書いていた。そうしてテープ起こしされた文章を、読んでくれる人が読みやすいよう二人で整えて掲載した。
なんて言ったりするが、泣きじゃくっていたマネージャーは多分怒ってもいたと思う。とても攻撃的なタイトルの作品と、一行目から合図なしにセンシティブなことを話し初めてしまった作品を読んで。
そう、言ってたくらいだから。
だから、『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』というnoteでこう書くことを許可した。
って書くことを許可したんです。
でも、「ちゃんとフォローはいれよう」と二人で決めた。
なぜなら、別にセンシティブなテーマを書くこと自体が悪いことでは絶対にないから。薬物や戦争や宗教や政治や病や命。そのことを書くこと「そのもの」が悪いなんてこと、絶対にない。
だから、こう文章をつむいだんです。
そう書いたんです。
でも、これじゃ足りなかった。
この文章を読んで、傷ついた人がいたんです。
しかも、よりによって
を傷つけたんです。
「一行目からセンシティブなことを書き始める文章は、暴力と何も変わらない」という言葉で、傷つけたんですよ。
その優しい人からは、こう言われました。
って。その方は勇気を出して、「こんなこと言われたら悲しい」と、私に伝えてきてくれました。
これはね、この私にすべての責任がある。
たしかに
と書いた。が、足りていなかった。全く、フォローが足りていなかった。
書くということは、「伝えたいことを相手に伝える」ということだ。
書くという行為をする以上、「伝えきる」ことが書き手として果たす責任なのだ。
だから、伝えたいことを「伝えきることができなかった」。そしてその結果人を傷つけた。だったらそれは
とちゃんとフォローを入れていたとしても。
「伝えきる」という書き手としての責任を果たせなかった、私の責任なのだ。
だからもっともっと、歌のサビのように
何度も何度も伝えるべきだった。
「センシティブな話を今からするよと合図してくれたあなたの作品は、暴力なんかじゃないよ」って。「センシティブなことだからといって、書いちゃダメなんてことは絶対にないよ」って。
だって大切なことだから。
もっと何度もちゃんと丁寧に伝えるべきだった。
に向けて「それは暴力なんだ」と伝えた結果、まったく関係のない優しい人を巻き込んで傷つけてしまったんです。
このことを、私は理解していなかった。
「落とした理由を書いてくれて、ありがとう」に甘えてはいけない。
このことを伝えたnoteのタイトルは、『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』です。
このnoteには、本当にものすごい数の「感謝の」コメントが寄せられました。
本当にものすごい数の感謝のコメントが来た。
という感謝が、こんなにもたくさん寄せられた。
正直、驚きました。マネージャーと二人で何度も何度も読みました。こんなにたくさんコメントが来るなんて予想してなかったから。そして感謝されるなんて思ってもいなかったから。
でもね、「責任者である私」は、この感謝の言葉に甘えてはいけないんです。
なぜならば、「これを掲載していいよ」と自分がGOサインを出したその文章で、人を傷つけたからです。
この文章で、まったく無関係の優しい人を傷つけたからです。
「こんなこと言われたら悲しい」って、言わせてしまったんです。「センシティブな話を、慎重に慎重に相手に伝えようと書いている優しい方」を傷つけたんです。
このことは、文章のプロとして絶対に理解しておかねばならないことだった。もう反省通り越して土下座です。
でも、当のご本人に謝罪のDMを送ったら
という旨の、ほんと~~~~に丁寧なご返信をいただきました。すごくすごく時間をかけて書いてくださってであろう、丁寧な丁寧なご返信です。本来だったら許されないことを私はしたのに、です。
しかもその後は、貴重なお時間を使って私とおしゃべりしてくれました。なんだかすごくね、盛り上がっちゃって(笑)。
本当はその時間を使ってゆっくり散歩でも行くことができただろうに。その時間で、少し横になって休むことができただろうに。その時間で、ちょっとお掃除して部屋をきれいにすることだってできただろうに。
私のために、時間を使って下さったんです。
いっぱい、優しい言葉をかけてもらいました。傷つけられたのは自分なのに。傷つけた側の「私に」、本当に優しい言葉をたくさん送ってくれました。
こんな簡単なことを理解していなかった私は正直落ち込んでました。こんなことも理解してなくて。悔しくて。情けなくて。落ち込む資格すらないのに。
でも、そんな風に「編集者失格だ」と落ち込んでいる私を慰めて励ましてくれるような言葉をたくさんいただいたんです。「私に傷つけられたのに」ですよ。
「たった一人に向けて書く」ことで「他の誰か」を傷つけてるかもしれない
今回、私は
ということを学びました。学びましたというか、教えていただいたんですね。これはもう絶対に忘れてはいけない。二度と「たった一人に書いた文章で誰かを傷つけてはいけない」。そう思いました。
あれに似ているなと思いました。
みんな会社に勤めてる人が多いと思う。会社でさ、ものすごく大きい怒鳴り声で怒られてる人って見たことない?
まさに、あれに似ている。
別に自分が怒鳴りつけられているわけではないのに。怒鳴りつけられているのは他人なのに。でも、自分に向かって言われているように感じる。そして、そのことでとても傷つく。
まさに、これですよね。
これは、あの「会社で他の人が怒られている所を目撃して、自分が傷つく」というのと、とてもよく似ています。似ているからこそ絶対にやってはいけないんです。
でも、他にも感謝の言葉を送ってくれた方たちがいっぱいいました
ただ、今回。
「あなたを落とした理由」なんて本当につらいnoteを読んでくださったかたからは感謝のお言葉がたくさん届きました。
ここからは、とてもあたたかいお言葉を届けてくださった方たちを紹介したいと思います(完全に順不同です)。
自己反省は大切だけど、自己否定は絶対にしちゃだめだ
まずはマリーさんというnoterさんの作品から。
マリーさんはまず、「中間選考を突破した」作品の共通点を分析されてました。すごかったです。分析が本当に見事で。
「たしかに!」と思いました。
確かに私、普段すきま時間でnote読んでて、「よくわからないな」と思ったらそこで読むの止めてる!(驚)
「わざわざ上に戻って読み直すことって、そういえばないなぁ」とすごく共感しました。
でね、マリーさんのもうなんかもう涙出た文章がこれ。みんなマジで読んで。
すばらしすぎませんか(泣)
私ね、自分が文章を書くときに一番大切なのは「反省」だと思ってるんです。
「なんで読まれなかったのか」「なんで他の方は読まれたのか」。この分析って宝物ですよ。だってその分析をちゃんとやれば、自分が物書きとして成長できるんだから。
でもね、自己反省はやったほうがいいけど、自己否定はしちゃだめ。
って思っちゃ、だめ。つい思っちゃうけどね(笑)。
マリーさんのこの、絶対に自己否定はしないという姿勢、私はできない日もたくさんあるからさ。これはすばらしいし、もう今日から見習おうって思いました。
「言葉をつかさどるなら、責任を持たねばならない」
次にご紹介するのはこちらのすーこさん。
まず、コンテストの裏側への「解像度の高さ」に驚いてしまいました。
これ、ここまで考えてくださっていることに感動した一方。
このすーこさんの上記の言葉で実は私、少し反省しました。
私ね。学生だったころ、自分が書いたエッセイとかコラムとか小説を、手あたり次第にコンテストに応募していた時期があったんです。
あれ、やるべきではありませんでした。
「あわよくば受賞できればいいや」で応募なんてするべきじゃなかったんです。
「あわよくば受賞できればいいや」なんて薄っぺらい気持ちで応募したその作品を、審査員は読みますよね。その読む時間が何分なのか何十分なのかはわからないんですが、私がもし応募しなかったら。
その審査員はもっと早く仕事を終えて、家に帰れていたかもしれないんです。
早く帰れていたら、家族と一緒にご飯を食べることができたかもしれない。子どもと一緒にテレビを見ることができたかもしれない。子どもが寝た後、自分の時間をとれたかもしれない。そして楽しみにしていた録画の映画を見ることができたかもしれない。
私は、その時間を奪ったんです。
すーこさんのこの文章を読んで、当時の自分の行為を反省しました。
そしてすーこさんは、こう続けています。
「あれこれ私に向かって書いてくださった文章じゃない!?」って思いました。
まさに今回、「たった一人に向けて書いた言葉で、他の人を傷つけた」私に向けて書いてくださったのかと一瞬思いました。
本当に、その通りです。
言葉は凶器にだってなりうる。人の命を奪うことだってできる。
だから、言葉を司る人間である以上、責任を持たなくてはいけない。
この言葉、一生忘れません。すーこさん、書いてくださって本当にありがとうございます。
「落選した自分の作品を添削してみた結果、添削できなかった~!(泣)」
次にご紹介するのは月野さん。
月野さんは、このnoteの中で「落選した自分のnoteを自分で添削する」というすごい試みをなさっています。
という文章から始まり、結果「添削ができない!」と苦しんでらっしゃいました。
これすっっっっっっっっっごくわかる。
私もね、ライティングの教科書とかで「これはこう直すといいんだよ」って添削の例とか出てても、自分の文章に活かせなくてつらい思いをした時期がありました。
でもね、これ、実はある方法で解決できるんですよ♡
これはね、他人に添削してもらうといいんです(笑)。
「いやでも誰に頼めば……」ってなると思うんですけど、結構簡単に見つかるんですよ~!noterさんでさ、「あなたのnoteを添削します!」ってサービスやってる人結構いるのよ!
私もすでに5人の方に添削してもらったけど、めっちゃよかったよ~!!!月野さん、時間に余裕あるときにぜひ探してみて下さい♡
そして月野さんは、最後にすごいことを書いてました。
やっぱりね、月野さんのこの文章を読んで思った。「物書きは、強くあらねばならない」って。
いつも強くある必要は全然ないと思うよ。弱るときだって絶対に誰だってあるしね(笑)。
でもそうじゃなくて、弱ってしまった後にちゃんとご飯食べてお風呂入ってゆっくり散歩してぐっすり眠って。ちゃんといつもの「強い自分」に戻せることが大切だと思うです。
「弱い自分にならないよう頑張る」のではなく、「弱ってる時期があってもいいけど、ちゃんと強い自分に戻れるよう無理なくちゃんと頑張れる」。これが大切なんだと思う。そしてそれこそが、「物書きとしての強さ」だと思う。
そして月野さんは最後にこう書いていらっしゃいました。
私、これ書けねぇ。
自分が落選したコンテストで、他の合格者の人にお祝いの言葉を送る。
これ、私多分できない。月野さんの器のデカさがすごいなと思いました。月野さん、すごくあたたかいお言葉、ありがとうございました。
「結果なんてどうでもよくなるほど、学びが多かった」
次にご紹介するのはRaMさんのこちらの記事。
こんなことを書いてくださってました。
RaMさんの、この言葉。「この後のほうが、真の厳しい道のり」というこの言葉。
すごいなと思いました。
「自分が今スタート地点に立ったんだ」「そしてここから前に進むんだ」という強い覚悟が伝わってきました。
それとこの文章!
マネージャーと二人で一緒に喜びました(笑)。
伝えたいことが、RaMさんに伝わったんだと嬉しく思います。この一行、書いてくださって本当にありがとう。勇気を出して、あのnoteを公開してよかった。本当にありがとうございます。
次にご紹介するのはみうさん。私にとって衝撃的な一行がありました。
そうか。
「自分はセンシティブだと思ってない」ことが他人にとってはセンシティブかもしれない。文章を書く人間として、この思考は絶対に持ち合わせていないといけないなと強く思いました。
知らない間に誰かを傷つけているかもしれない。こんな恐ろしいことって、ないですよ。
ちょっとこのみうさんの言葉、衝撃的すぎてこの一行スクショしました(笑)。スマホの待ち受けにして何度も読もうと思う。
みうさん、大切なことを教えてくれて本当にありがとう。
「落ち込むのを通り越して笑える!」
次にご紹介するのはマユシムさん。まず、マユシムさんに謝らないといけないことがある。
まさに、「たった一人に向けて書いた文章でマユシムさんを傷つけたかもしれない」。そう思いました。
でもマユシムさんに向けて発したわけではないのに、マユシムさんを傷つけているんじゃないか。とても心配になりました。でも、マユシムさんはこう続けてらっしゃいました。
そう書かれていて少しだけ安心しました(笑)。落ち込まずに済んで、本当によかった……。
そしてこの文章はなんだかマユシムさんから励ましをいただいたような気持ちにもなりました。
そんな風に言ってもらえた気がしたんです。たしかに、そうだよなぁとしみじみ思いました。
「プロを目指しているわけではないけど、だからこそプロには負けたくない」
次にご紹介するのはディエムさん。
すごい一行が書かれていました。
ディエムさん、その意識を持っていたらもうプロだと思うんですよ!!(笑)
ディエムさんが書かれた文章は、これはもうプロ意識以外の何物でもない。これはもう断言します。プロ意識を持っている以上、もうディエムさんはプロなんです(笑)。
でも、いい言葉だと思いました。
こんな言葉をつむぐことができるディエムさんと出会えたこと、本当にうれしく思います。
「選ばれなかった理由くらい、向き合わないと」
次にご紹介するのはmaiさん。私はこの一行に心打たれました。
そうなんです。あんな「落とした理由」なんてnote、無視することだってできたはずなんです。
「読みたくない」。
そう思ったらクリックしないことだって絶対にできたんです。でもmaiさんは向き合おうと勇気を出した。
私正直、maiさんの立場だったらクリックできなかったかもしれません。怖いですもん。クリックできたとしても半年後とか。もうそんなレベルかもしれない。だからmaiさんの勇気はすごいと思いました。
そして、最後のこの一行、素敵でした。
うん。書く理由がある。そして書き続ける。
これ、できる人すごいと思う。できなくて書けなくなってやめてしまう人をたくさん見てきたから。
この最後の一行、昔の私だったらこの一行の価値はわからなかっただろうなと思いました(笑)。
書き続けることがどれほど苦難の道か、今は知っています。だからmaiさんの「書く理由がある」「だから書き続ける」。この言葉はすばらしいと心底思いました。
だからといって、応募した作品が駄目とは一切思っていません。
次にご紹介するのはみくまゆたんさん。まず前置きで
と、書いた上で
これ、まず「コンテストの責任者である私が」きちんとどこかのnoteで全員に伝えるべきだった。それこそ応募要項とかに書くべきだった。
落選したからといって、その作品がダメなわけでは絶対にない。
みくまゆたんさん、この大切な一行を言葉にしてくださって、本当にありがとう。
そしてこの一行、本当に好きです。
私だったら自分が生み出した、そのわが子のような作品を否定してしまうかもしれない。ダメだと思ってしまうかもしれない。そうして書けなくなってしまうかもしれない。だからこそ、みくまゆたんさんのこの
はとっても好きだと思いました。
「審査員って、やる気満々で楽しんで読むんだと思ってた」
次にご紹介するのはみかりさん。まず、落選したのに「参加してよかった」と書いてくださっていることに驚きました。
そして、すごく共感できるパラグラフがあった。
わかる。
私もこれ同じこと思ってた。学生の頃いろんな公募に応募しまくってたとき。審査員ってやる気満々で楽しみながらスイスイ応募作品を読むんだと思っていた。
という気持ちが、私にはどこかにあったと思う。
みかりさんが書いてくださったこの視点、大切だなって思いました。
私の心の傷を癒やすために書いているから
次にご紹介するのはあやめさん。この一行がまず最初に刺さりました。
届ける本気度が足りない。
私に言われているようで刺さりまくりました。
別のnoteでも書いたことがあるけど、私のnoteの下書きには
掲載するのを最後の最後でやめたnoteがいっぱいあるんです。
なぜ、掲載するのをやめたのか?
届ける本気度が足りてなかったから。ただ自分の思考を整理するために書いただけの「文章のフリをした自分のためのメモ」だったから。
だから、掲載しなかった。
このあやめさんの「届ける本気度が足りない」という言葉。私に向けて言われているような気持ちになりました(笑)
これ、絶対に忘れないよう胸に刻みます。
そして最後にこの一行。
これ、とても大切な言葉だと思いました。
書くことの治癒力は、本当にあなどってはいけない。絶対に、あなどってはいけないんです。
書くことで、自分を癒やすことができる。本当に癒やすことができるんです。
noteにも「自分を救うために書いている」って人いっぱいいるでしょ。あれはね、みんな必死に生きようとしてるんですよ。
結局、自分を助けられるのは
ってわかってるから。だからなんとか生きようと必死に書いているんです。
自分を癒やして傷を治して。
でも傷を治した後に。
また次の傷におびえながら。
それでも生きていこうと必死に書いているんです。
あやめさん、
って書いてくださいましたよね。
だから、書き続けてください。
「書き続けてください」っていうのは、つまり「生きてください」って意味です。
「私は、私の心の傷を癒やすために書いている」。
自分を救おうとしている。ちゃんと自分を助けようと戦っている。その姿が目に浮かびました。
だから、本気で思いました。
今日も、あやめさんが健やかに過ごせていますように。
健やかに過ごせない日があったって、別にいいんです。年中無休で元気いっぱいな人なんていませんから(笑)。でも、
と私は本気で思っています。
なぜならあやめさんが、自分を癒やそうと戦っている人だから。
「今すぐ消えてしまいたい」と思った日だって、きっと、あっただろうに。
それでも前を向いて、自分を癒そうと、癒やすために書こうと、つまり「生きていこう」と決めて必死に闘っている人だから。
だから、本気で思っています。
「健やかでいてほしい」って。
そう本気で思っている人が、この地球上に一人、確実にいる。それだけは絶対に忘れないでください。
そして最後にお礼を。
「健やかでいてほしい」。
そんな風に本気で思える人に出会えたこと。これってとても幸せなことだと思うんです。「健やかでいてほしい」と思えるそんな人に出会えたのは、あやめさんがこのコンテストで応募をしてきてくださったからです。
だから、「健やかでいてほしいという相手がいる幸せ」を私に与えてくださったのは、間違いなくあやめさんです。
だからお礼を伝えたい。
あやめさん、本当にありがとうね。
書くこと、決めたはずなのに、実行できてなければ、書いてないのと同じ。
次にご紹介するのはdaisyさん。daisyさんは、
と前置きした上でこんなことを書いてくれました。
ここの太文字。
私に言われているように感じてすごくドキっとしました。
そうか、たしかにそうだな……。伝えたいことがあって書いた。書くと決めた。でも書いた結果、伝えられてなければ書いていないのと同じ。
そうか、なんだかすごく腑に落ちました(笑)。これ、文章を書くとき常に胸に刻んでおこうと思います。daisyさん、これ、言語化して下さって本当にありがとうございます。
「私はスタートラインに立った」
次にご紹介するのは中村さん。中村さんはすごく根本的なことを考えてらっしゃいました。
と書いた上でこう綴っています。
ここ、すごく安心しました。
「根本を問うショックを受けた」って書かれてたから、「もう書きたくない」って思ってしまったのではと。そう本気で不安になりました。
でも、中村さんはそれでも書きたいと言ってくれた。
「私がそれでも書きたいのは、やっぱり書くことが好きだから」というこの言葉。なんだか、すごく元気をもらえました。
そして中村さんは最後にこう書いてらっしゃいました。
と。
「落選はゴールじゃない。スタート地点だ」。中村さんのこの前向きな所、とっても好きです(笑)。見習わねば。
「落選して感謝したの、初めてかも」
次にご紹介するのは八神さん。
めちゃくちゃポジティブで、この「落選しました!」のnoteそのものがエンタメコンテンツに仕上がってて「さすが小説家だ……」って思ってしまいました(笑)。
ほんとにみんなに読んでほしいので一部抜粋!
そして八神さんは最後にこう書いてくださいました。
「落選して感謝したの、初めてかも」。
この言葉をいただけただけで、あのnoteを公開したこと、本当によかったと安堵しました。八神さん、この言葉をつむいでくれて、ありがとう。
普通、コンテストに落選した人たちのための無料赤ペン先生なんてやらない
次にご紹介するのはかずさん。
まずこのnoteのタイトルが「命の時間を削ってくれるなんて」に感銘を受けました。そうですよね……時間って命そのもの。だから本当に、そのことを受け止めてくれたこと。感謝いたします。
かずさんはnoteの中でまずこう書いていらっしゃいました。
その上で、こう続けていました。
「傷つくのは、自分が心の奥で気づいているけど、できていないこと」。
私こんなの考えたことなかったです。
今思い返してみると、たしかにそうかも。他人から「正論」を言われて傷ついた経験、私にもあります。でもそれって、「実は自分も気づいていたから」だったのかも。
これすごいこと教えていただきました。たしかにそうかも。かずさん、これ、言語化してくださって本当にありがとうございます。
「血の通った相手が読むことをちゃんと考えたか」
次にご紹介するのはおすぬさん。
まず、おすぬさんは最初にこう書いてくださいました。
「落選した理由を伝えるなんて、傷つくと思うから、読みたくない方は本当に読まなくて大丈夫よ」という合図。
マネージャーと一緒にあちこちにちりばめました。ちゃんとそれが伝わっていた。それがわかって、本当に安心しました。おすぬさん、ありがとう。
そしておすぬさんは次にこう続けていらっしゃいました。
「応募することを、相手に丸投げしていたかもしれない」。
ドキっとしました。
私、さっき書いたように「学生時代に手あたり次第に公募に応募しまくっていた時のこと」を思い出しました。
まさに、あれ、丸投げでした。
みたいな気持ちがどこかに絶対ありました。
そうか。コンテストに応募する時、丸投げはやってはいけない。おすぬさんのこの言語化、すごかったです。
決してこのタイプする指は止まらない
次にご紹介するのはそうたいさん。
ここの文章が好きすぎるので紹介します(笑)
そうなんです。
落選することは屈辱なんです。誰だってがっかりする。誰だって悲しい思いをする。誰だって思い切り落ち込むんです。
でも、その上でそうたいさんは「タイプするこの指は止まらない」と思い切り宣言してくださった。
そうたいさんのこの闘志、しかと受け取りましたよ!
負けたことがあるというのはいつか立派な財産になる
次にご紹介するのはゆずさん。
ゆずさんはすごくすごくすごくすごく丁寧にご自身の作品を振り返っていました。
でもその上で、最後にこう締めくくっていらっしゃいました。
「負けたことがあるというのはいつか立派な財産になる」。
スラダンは読んだことがあるのでもちろんこのセリフは知っていました。が、ゆずさんのこの振り返りのnoteで、上から一行ずつ読んでここでこのセリフが出るとスラダンで読んだ時とはまたちがった響き方があって素敵でした。
ゆずさんワールドでこのスラダンの名台詞が出てくると、響き方が違う。なんて言ったらいいのかな……。
っていうような夜に。家のベランダで夜風に当たりながら、この負けた経験は財産になる。
と自分で決意をする。そういう姿が浮かびました。
ゆずさん、いつもnote読んでます。素敵な言葉をつむいでくださって本当にありがとう。
ゆずさんの言葉で、一日を優しい気分で過ごせている人が、ここに一人いるんですよ(笑)。それを、忘れないでくれたらうれしいです。
「ブラクラnote、書いちゃってませんか」
次にご紹介するのはもぐさん。
前回掲載された「なぜあなたを落としたのか」というnoteでは
って話をしました。
この話をふまえて、もぐさんのこのたとえ話がすごすぎたので紹介させてください。
そうか。
「はじめまして」の人に、センシティブな話をいきなりする。これってあのブラクラと同じなんだ。
この例え方にはうなりました。これすごい。やっぱり、いい文章を書く人ってたとえ話がすごいと思う。そう感じました。
もぐさんのこの作品はちょっともう刺さるところが多すぎて(笑)。全部紹介しきれずにすみません。一番刺さったのがこの例え!!
ってちゃんと自問しながら書いていこうと思います。もぐさん、すごく衝撃的な例えをありがとうございました。
「失敗しても、それでも前を向いて歩いていこう」と書いてくれた人
次にご紹介するのははそやmさん。
はそやmさん、すごく素敵な二行、ありがとうございました!
なんかね、はそやmさんのこの二行でこの言葉を思い出しました。
って言う言葉です。
失敗をしたら、もちろん反省して次に活かさないといけない。
でも、失敗ってつらいことじゃないですか。落ち込むじゃないですか。でも、だからこそ「反省して学びを得たらもうきれいさっぱり忘れる」。このこともプロとして大切っていう意味だそうです。
はそやmさんの書いてくださった文章からは、こういう「落ち込まずにチャンと前を向いて進んでいく」という姿が見えてとても勇気をもらえました。
私はそやmさんみたいにこんなすぐ明るくなれないタイプだから(笑)。この言葉、書いてくださってありがとうございました。
「絶対に、あなたの魂を奪う物語を書いてやるんだ」と言ってくれた人
次にご紹介するのはみどりさん。
と書いてくださったのと同時に
と書かれていました。
みどりさん、人間失格なんてこと、そんなこと絶対にないですよ。そんなこあと絶対にない。人間失格なんて自分自身に言う必要なんて、全然ないですよ。書けなくなっちゃいますから(笑)。だから、絶対にそんなことないですよ。
みどりさんの最後の文章。何度も読みました。
もうこの一行。しびれ散らかしました。
心に火が灯ったんだなって、一瞬でわかった。
なんかもう、この灯が私の心にまで燃え移ったよ(笑)
この言葉、私も文章を書くとき忘れない。みどりさん、灯のおすそわけ、本当にありがとうございます。
「こんなこと誰も教えてくれない」
次にご紹介するのはシマななこさん。
まず、ななこさんはこう書かれていました。
そうなんです。つらかったですよね……。
だから、「つらかったら読まなくていいよ」という合図をあちこちにちりばめた。
でも、足りなかったです。
ななこさんの「こんなこと誰も教えてくれない」という言葉に甘えちゃだめだと思いました。ここはちゃんと受け止めて反省すべき点だと思いました。
でもその上で、ななこさんはこう書いてくださいましたよね。
「それが分かってよかった」って。この一文をいただけただけで、マネージャーと二人であのnoteを作り上げたかいがありました。ななこさん、この言葉、書いてくださって本当にありがとうございます。
自己否定だけは、しないでね
みんな、ここまで読んでくれてありがとう。
繰り返しになっちゃうんだけど、自己否定だけは絶対にしないでね!
私は、文章で失敗したときは「自己反省」はしている。でも「自己否定」だけは絶対にしない。
なぜなら書けなくなってしまうから。
書けなくなったらもうその時点で物書きとしての命は尽きる。だから、否定はしちゃだめだ。これだけは、約束してほしい。華さんとの、約束ね。
みんな、書くのが好きでしょ。だから書いてるんでしょ。
だから、書き続けたいってきっとみんな思ってるはず。書き続けたいなら、自己否定なんてしちゃだめだ。根拠なんてなくていい。自信をもって、自分の言葉をつむいでほしい。
私も、そうするから。一緒に、書いていこう。
グランプリはもう決まってる
さて、最後にリマインドを。
noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」。最終発表は9月中旬です。
って今思ったでしょ(笑)
いやごめん……わざとじゃないんだ。
実は私今、新しい会社を設立してる最中でさ。2社目の株式会社つくってるの。その設立で少し仕事が忙しくなっちゃって(泣)。
だから最終発表がどーーーーーーーーーしても9月中旬になってしまった。本当にごめん。
創作大賞の中間発表とかぶってしまって本当にごめん。創作大賞でソワソワしてるのに「なぜ、書くのか」のコンテストでもソワソワするとか。ダブルソワソワだよね。最悪だよね。ほんとにごめん。
ちなみにグランプリはもう決まってます♡
もう見た瞬間決めました。この人だって。もうね、読み終わった瞬間
負けた!!
って思いました(笑)。
いやもうすごい敗北感を味わったんだよね。
でも、その敗北感の、なんとまぁすがすがしいことよ。
味わってよかったと思える敗北感なんて、初めてだ。闘志を燃やされる。心に火を灯してもらえる。そんな敗北感だった。
問題は残りだね。
中間選考を突破した48作品のうち1作品はもうグランプリ決定。問題は残りの47作品のうち、どれを残すか。
正直なことを書いてしまうと
全部好きーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!(泣)
ってなりました。マジで。
でもこれ、贅沢な悩みだよね。全部好きって言える作品と出会えた。コンテストの責任者として、こんなうれしいことってないよ、ほんとに。
最終選考の審査員として。そしてコンテストの責任者として。立派に務めを果たしてみせる。
頑張るから、みんな見てて。コンテストの審査、本気で頑張るよ。
ということで。
ここまで読んでくれて本当にありがとう!!
9月中旬、コンテスト「なぜ、私は書くのか」の結果発表会場でまた会おうね!
まだまだ暑い日が続くからこまめに水分とってね~!!
ではまた!
華より