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「たった一人に向けて書く」ことで他の誰かを傷つけてるかもしれない


「たった一人に向けて、文章を書きなさい」


ライティングの本を10冊読めばそのうち15冊には書いてある言葉だ。もう物書きならば耳にタコができるほど聞いたことがある言葉だと思う。

私も、完全に、同感だ。

たった一人に向けて書いた方が、いい文章に仕上がる。伝わる文章になる。だから「たった一人に向けて書く」。その意識はとても大切だと思う。だが、

「たった一人に向けて書くことで、別の誰かを傷つけているかもしれない」

私はこのことを理解しておくべきだった。


私は先日、こんなコンテストを開催した。

「なぜ、書くのか」をテーマにした自主開催のnoteコンテストだ。


このコンテストには「中間選考」と「最終選考」がある。

中間選考を担当する審査員は私のマネージャーだ(私、今独立して会社経営してマネージャーを雇っている)。そして最終選考を担当する審査員が、コンテストの主催者でもある私自身だ。


ここで一つ、疑問に思う人がいるだろう。


なぜ、コンテストの主催者が、最初から審査を務めないのか?


それは、私の職業が編集者だからだ。

編集者ということは、文章のプロだ。プロだから、応募してきてくれた人がどれだけ苦労して書いた文章なのか、わかってしまうのだ。

わかってしまうから、簡単に受賞作品として選んでしまう。

でも、それだとダメだと思った。


だって、このコンテストに応募してきてくれる人のほとんどが、「自分が書いた文章を読んでほしい」と望んでいるはずだ。

そして、それは誰に読んでほしいか?

人それぞれ答えは違うだろうけど、一つだけわかることがある。それは、

「編集者に読んでほしい」

とは思っていないということだ。


だからこそ、「編集者ではない」私のマネージャーを中間選考の審査員に任命した。

このコンテストに応募してきてくれる人は、「noteに遊びに来ている普通の読者」に読んでもらいたい。そう思っている人が多いだろう。だからこそ、まさにその「普通の読者」であるマネージャーを、中間選考の審査員に任命した。


中間選考を突破できないということは、

「普段自分が『この人に読んでほしい』と願っている、まさにその普通の読者に読まれない」

ということだ。

読まれないという経験は、つらい。本当に、つらい。だけどこの読まれない経験は、すなわち「じゃあどうすれば読まれるようになるかな」と前進につながる。


私も今まで、自分の文章が読まれない経験を何度も何度もしてきた。書いても書いても読まれない。じゃあ自分が書く意味って、ないじゃん。もう書かなくていいじゃん。もう誰も自分の文章なんか読まないんでしょ。じゃあもういいじゃん。

そう悔しい思いを何度も何度もした。

くじけそうになった時もあったけど。

書けない期間が1年も続いた時だってあったけど。

こんな悔しい思いをしたからこそ、「じゃあどうやったら読まれるのか」を死に物狂いで考え続けた。


だから今。
読まれないnoteを書くときもあるけど、読んでもらえた時は

「すごかった……」

と言ってもらえる文章を書けるようになってきた。

だから、私は本気で思っている。

「読まれなかった」という経験は何よりの財産になるって。



先日開催したコンテスト「なぜ、私は書くのか」。

この中間選考の審査をしている時。

審査員であるマネージャーは、泣いてた。



とある「2つの作品」にとても傷ついていた。

ひとつは、「攻撃的で、読んだだけで傷つく言葉」がタイトルにつけられた作品。

もう一つは、「クリックした後いきなりセンシティブな話が一行目から始まってしまう」作品。

センシティブっていうのは、たとえば「戦争とかセックスとか暴力とか薬物とか」そういうテーマのこと。そういうセンシティブなテーマが一行目から始まってしまう作品があったんです。




「なんで、こんなの、読まないと、いけないんですか」

とぎれとぎれに。泣きながらそう、言ってた。




「これはもう、やらせるべきではない」。

そう思った。だから伝えた。もうやめていいよと。審査員、やめていいよと。あとはこっちでなんとかするから、もうやめていいよと。そう、伝えた。


が、マネージャーはこう言った。

社長、言ってましたよね。

「なぜ、書くのか」という深いテーマである以上、読むのがつらい作品も応募されてくるよと。

だから、「審査員を務めるのは想像以上につらい」とすでに分かってることだよと。だから審査員をやってくれと言ったけど断ってもいいんだよと。そう、私に逃げ道を用意してくれましたよね。

でも、それを理解した上で私は引き受けたんです。でも、私は今、ズタボロになっている。つまり覚悟が甘かった。

でも、覚悟が甘かったのは社長の責任じゃない。私の責任です。だから、私は私の責任を果たさなきゃいけない。

だから、やります。このまま、審査員やらせてください。

と。


これは本当に迷った。


……心が壊れてしまうかもしれないからだ。

私はいい。私は慣れてるから。悪意のある文章や、攻撃的な文章や、センシティブな話を1行目からしてしまう文章に慣れているから。

編集者だからこそ、いろんな文章に触れる機会がある。だから、そういうネガティブな文章を読むことにも慣れているのだ。私は、良い意味で心の神経が死んでるのだ。


だけど彼女は慣れていない。だから壊れてしまうかもしれない。心はガラスのコップと一緒だ。割れるともう二度と同じようには元に戻らない。

本当に迷った。

迷って迷って迷ったあげく、彼女の覚悟に応えようと思った。だから、

「わかった、じゃあ審査員、続けて」

と伝えた。



その後、一緒に文章をつむいでいった。どんな文章かというと、

審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由

というタイトルの文章だ。

「本気でコンテストに挑んできた人たちに向き合いたい」。そんな理由から、「落とした理由」なんて本来は書かなくてもいい文章をつむいだのだ。


ただ、この「あなたを落とした理由」という文章を書くとき、マネージャーは泣いてた。

もう泣きまくってて書ける状態じゃないから、最後のほうなんてマネージャーがしゃべった言葉を私がテープ起こしして書いていた。そうしてテープ起こしされた文章を、読んでくれる人が読みやすいよう二人で整えて掲載した。



「女性が泣いているときは、本気で怒っているとき」

なんて言ったりするが、泣きじゃくっていたマネージャーは多分怒ってもいたと思う。とても攻撃的なタイトルの作品と、一行目から合図なしにセンシティブなことを話し初めてしまった作品を読んで。

「これって、暴力と、何が違うんですか」

そう、言ってたくらいだから。


だから、『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』というnoteでこう書くことを許可した。

「攻撃的なタイトルと、一行目からセンシティブなことを話し始める文章は、暴力と何も変わらないよ」

って書くことを許可したんです。



でも、「ちゃんとフォローはいれよう」と二人で決めた。

なぜなら、別にセンシティブなテーマを書くこと自体が悪いことでは絶対にないから。薬物や戦争や宗教や政治や病や命。そのことを書くこと「そのもの」が悪いなんてこと、絶対にない。

だから、こう文章をつむいだんです。

もちろん、「センシティブなテーマだからコンテストで全部落とした」なんてことはしてません。ちゃんと、

「この作品は、センシティブなことを書いているよ」
「だから、読むとつらい思いをするかもしれない」

そういう合図を、審査員である私に送ってくれている心優しい作品は、ちゃんと中間選考を突破しました。

ちゃんと、合図を送ってくれた作品は心優しい作品だと思いました。

私を、人として扱ってくれた。

私のことを、「自分が話したいだけのセンシティブなテーマを聴かせる道具」として扱わなかった。

その思いやりとやさしさを、ちゃんと受け取ったから。センシティブなテーマではあったけど、「センシティブなテーマだからこそ」、慎重に相手に伝えようとするそのやさしさがあったから。

だから、ちゃんと中間選考を突破してもらったんです。

そう書いたんです。


でも、これじゃ足りなかった。



「センシティブなことを話すよ」と合図を一切送らずに、一行目からいきなり話し始めてしまう作品。

それは、ただの暴力と何も変わらない。

この文章を読んで、傷ついた人がいたんです。

しかも、よりによって

ちゃんと「センシティブなことを書くよ」という合図を送った上でセンシティブなことを書いている、心優しい人

を傷つけたんです。


「一行目からセンシティブなことを書き始める文章は、暴力と何も変わらない」という言葉で、傷つけたんですよ。

その優しい人からは、こう言われました。

「こんなこと言われたら、悲しい」

って。その方は勇気を出して、「こんなこと言われたら悲しい」と、私に伝えてきてくれました。



これはね、この私にすべての責任がある。



たしかに

「センシティブな話を今からするよ」と合図してくれた作品は、暴力なんかじゃないよ

と書いた。が、足りていなかった。全く、フォローが足りていなかった。


書くということは、「伝えたいことを相手に伝える」ということだ。

書くという行為をする以上、「伝えきる」ことが書き手として果たす責任なのだ。



だから、伝えたいことを「伝えきることができなかった」。そしてその結果人を傷つけた。だったらそれは

「センシティブな話を今からするよ」と合図してくれた作品は、暴力なんかじゃないよ

とちゃんとフォローを入れていたとしても。

「伝えきる」という書き手としての責任を果たせなかった、私の責任なのだ。



だからもっともっと、歌のサビのように

何度も何度も伝えるべきだった。



「センシティブな話を今からするよと合図してくれたあなたの作品は、暴力なんかじゃないよ」って。「センシティブなことだからといって、書いちゃダメなんてことは絶対にないよ」って。


だって大切なことだから。

もっと何度もちゃんと丁寧に伝えるべきだった。


一行目からセンシティブな話が始まる作品を書いた、たった一人の人」

に向けて「それは暴力なんだ」と伝えた結果、まったく関係のない優しい人を巻き込んで傷つけてしまったんです。



「たった一人に向けて書いた文章が、他の誰かを傷つけることがある」

このことを、私は理解していなかった。



「落とした理由を書いてくれて、ありがとう」に甘えてはいけない。


「センシティブな話を一行目から書いてはいけない」

このことを伝えたnoteのタイトルは、『審査員の私が、noteコンテストで「あなたを」落とした理由』です。

このnoteには、本当にものすごい数の「感謝の」コメントが寄せられました。

本当にものすごい数の感謝のコメントが来た。

「落とした理由を書いてくれて、ありがとう」

という感謝が、こんなにもたくさん寄せられた。


正直、驚きました。マネージャーと二人で何度も何度も読みました。こんなにたくさんコメントが来るなんて予想してなかったから。そして感謝されるなんて思ってもいなかったから。



でもね、「責任者である私」は、この感謝の言葉に甘えてはいけないんです。

なぜならば、「これを掲載していいよ」と自分がGOサインを出したその文章で、人を傷つけたからです。



「一行目からいきなりセンシティブな話が始まる作品は、ただの暴力と何も変わらない」

この文章で、まったく無関係の優しい人を傷つけたからです。

「こんなこと言われたら悲しい」って、言わせてしまったんです。「センシティブな話を、慎重に慎重に相手に伝えようと書いている優しい方」を傷つけたんです。



「たった一人に向けて書いた文章が、他の誰かを傷つけることがある」

このことは、文章のプロとして絶対に理解しておかねばならないことだった。もう反省通り越して土下座です。


でも、当のご本人に謝罪のDMを送ったら

「えっ!謝ることなんてないですよ💦」

という旨の、ほんと~~~~に丁寧なご返信をいただきました。すごくすごく時間をかけて書いてくださってであろう、丁寧な丁寧なご返信です。本来だったら許されないことを私はしたのに、です。


しかもその後は、貴重なお時間を使って私とおしゃべりしてくれました。なんだかすごくね、盛り上がっちゃって(笑)。

本当はその時間を使ってゆっくり散歩でも行くことができただろうに。その時間で、少し横になって休むことができただろうに。その時間で、ちょっとお掃除して部屋をきれいにすることだってできただろうに。

私のために、時間を使って下さったんです。


いっぱい、優しい言葉をかけてもらいました。傷つけられたのは自分なのに。傷つけた側の「私に」、本当に優しい言葉をたくさん送ってくれました。


「たった一人に向けて書いた文章が、他の誰かを傷つけることがある」

こんな簡単なことを理解していなかった私は正直落ち込んでました。こんなことも理解してなくて。悔しくて。情けなくて。落ち込む資格すらないのに。

でも、そんな風に「編集者失格だ」と落ち込んでいる私を慰めて励ましてくれるような言葉をたくさんいただいたんです。「私に傷つけられたのに」ですよ。


「たった一人に向けて書く」ことで「他の誰か」を傷つけてるかもしれない


今回、私は

「たった一人に向けて書く」ことは暴力になりかねない

ということを学びました。学びましたというか、教えていただいたんですね。これはもう絶対に忘れてはいけない。二度と「たった一人に書いた文章で誰かを傷つけてはいけない」。そう思いました。


あれに似ているなと思いました。

みんな会社に勤めてる人が多いと思う。会社でさ、ものすごく大きい怒鳴り声で怒られてる人って見たことない?

まさに、あれに似ている。

別に自分が怒鳴りつけられているわけではないのに。怒鳴りつけられているのは他人なのに。でも、自分に向かって言われているように感じる。そして、そのことでとても傷つく。


まさに、これですよね。

「たった一人に向けて書いた文章が、まったく関係のない他の誰かを傷つけてしまう」

これは、あの「会社で他の人が怒られている所を目撃して、自分が傷つく」というのと、とてもよく似ています。似ているからこそ絶対にやってはいけないんです。



でも、他にも感謝の言葉を送ってくれた方たちがいっぱいいました

ただ、今回。

「あなたを落とした理由」なんて本当につらいnoteを読んでくださったかたからは感謝のお言葉がたくさん届きました。

ここからは、とてもあたたかいお言葉を届けてくださった方たちを紹介したいと思います(完全に順不同です)。


自己反省は大切だけど、自己否定は絶対にしちゃだめだ

まずはマリーさんというnoterさんの作品から。

マリーさんはまず、「中間選考を突破した」作品の共通点を分析されてました。すごかったです。分析が本当に見事で。

(中間選考を突破した)どの作品も共通して言えたのは、読みやすさでした。
やはりサラサラと読めるというのは大事だな、と。

限られた時間の中で、しかもそれが細切れ時間だったりすると、サラサラと読めないとけっこうしんどい。
いちいち引っかかって少し戻って読んだりするのはストレスですもんね。

「たしかに!」と思いました。

確かに私、普段すきま時間でnote読んでて、「よくわからないな」と思ったらそこで読むの止めてる!(驚)

「わざわざ上に戻って読み直すことって、そういえばないなぁ」とすごく共感しました。


でね、マリーさんのもうなんかもう涙出た文章がこれ。みんなマジで読んで。

だけどね。
noteの僻地の私の記事にたくさんのスキをいただけたということは、お馴染みさんにも通りすがりさんにもクリックはしていただけたのだろうと思います。
そして、私に伝えたいことがあってコメントをくださった方がいたのも事実。
だから、伝わった部分もある記事ではあると思うんです。

すばらしすぎませんか(泣)

私ね、自分が文章を書くときに一番大切なのは「反省」だと思ってるんです。

「なんで読まれなかったのか」「なんで他の方は読まれたのか」。この分析って宝物ですよ。だってその分析をちゃんとやれば、自分が物書きとして成長できるんだから。

でもね、自己反省はやったほうがいいけど、自己否定はしちゃだめ。

「どうせ私なんて……」

って思っちゃ、だめ。つい思っちゃうけどね(笑)。

マリーさんのこの、絶対に自己否定はしないという姿勢、私はできない日もたくさんあるからさ。これはすばらしいし、もう今日から見習おうって思いました。


「言葉をつかさどるなら、責任を持たねばならない」

次にご紹介するのはこちらのすーこさん。
まず、コンテストの裏側への「解像度の高さ」に驚いてしまいました。

審査員の大変さは計り知れない。多忙で疲弊しているなか、膨大な時間をかけ、脳の疲労と感情の起伏を経験しながら応募作品を読んでいかなくてはならない。

そんななかで、要項を満たしていないどころか、傷つくような言葉や内容が書かれていたら。

ただでさえぼろぼろになりながら向き合って苦しんでいる審査員が、そんな文章に触れてしまったら。想像するだけで涙が出てきてしまった。自分が審査員だったらそんなの耐えられない。どれだけ心を痛めて身を削りながら審査をされているのだろうか……。

これ、ここまで考えてくださっていることに感動した一方。

このすーこさんの上記の言葉で実は私、少し反省しました。


私ね。学生だったころ、自分が書いたエッセイとかコラムとか小説を、手あたり次第にコンテストに応募していた時期があったんです。

あれ、やるべきではありませんでした。

「あわよくば受賞できればいいや」で応募なんてするべきじゃなかったんです。


「あわよくば受賞できればいいや」なんて薄っぺらい気持ちで応募したその作品を、審査員は読みますよね。その読む時間が何分なのか何十分なのかはわからないんですが、私がもし応募しなかったら。


その審査員はもっと早く仕事を終えて、家に帰れていたかもしれないんです。

早く帰れていたら、家族と一緒にご飯を食べることができたかもしれない。子どもと一緒にテレビを見ることができたかもしれない。子どもが寝た後、自分の時間をとれたかもしれない。そして楽しみにしていた録画の映画を見ることができたかもしれない。

私は、その時間を奪ったんです。

すーこさんのこの文章を読んで、当時の自分の行為を反省しました。


そしてすーこさんは、こう続けています。

プロじゃないなんて関係ない。些細な一言で、受け取った人が傷ついて悲しい末路をたどることがある。それは、書き言葉だけでなく、話し言葉であってもだ。
言葉を司る人間である以上、責任を持たなくてはならない。

「あれこれ私に向かって書いてくださった文章じゃない!?」って思いました。

まさに今回、「たった一人に向けて書いた言葉で、他の人を傷つけた」私に向けて書いてくださったのかと一瞬思いました。


本当に、その通りです。

言葉は凶器にだってなりうる。人の命を奪うことだってできる。

だから、言葉を司る人間である以上、責任を持たなくてはいけない。

この言葉、一生忘れません。すーこさん、書いてくださって本当にありがとうございます。



「落選した自分の作品を添削してみた結果、添削できなかった~!(泣)」

次にご紹介するのは月野さん。

月野さんは、このnoteの中で「落選した自分のnoteを自分で添削する」というすごい試みをなさっています。

これを読んで、あぁ私は中間選考は突破できていないなとすぐに分かりました
そして思いました
書き直してみよう!
せっかくこんなに詳しく教えてもらえているのだから、吸収しないともったいない!
ということで早速自分で添削していこうと思います

という文章から始まり、結果「添削ができない!」と苦しんでらっしゃいました。


白状します
タイトル以外も華さんとジャスミンさんの記事を参考に添削・修正をしてみようと試みたのですが、
せっかく答えを教えてもらっているのに、自分の文章を添削できませんでした

これすっっっっっっっっっごくわかる。


私もね、ライティングの教科書とかで「これはこう直すといいんだよ」って添削の例とか出てても、自分の文章に活かせなくてつらい思いをした時期がありました。

でもね、これ、実はある方法で解決できるんですよ♡

これはね、他人に添削してもらうといいんです(笑)。

「いやでも誰に頼めば……」ってなると思うんですけど、結構簡単に見つかるんですよ~!noterさんでさ、「あなたのnoteを添削します!」ってサービスやってる人結構いるのよ!

私もすでに5人の方に添削してもらったけど、めっちゃよかったよ~!!!月野さん、時間に余裕あるときにぜひ探してみて下さい♡


そして月野さんは、最後にすごいことを書いてました。

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです
何で答えを教えてもらってるのに
自分はそれを活かせないんだろう?って、、

華さんジャスミンさん
せっかく熱量のこもったものすごい記事を届けてくれたのに、しっかり受け取りはしたのですが、すぐには活かせず修正できず変われませんでした、本当にすみません、、、
しかし全然心は折れていません!(←折れろ)

やっぱりね、月野さんのこの文章を読んで思った。「物書きは、強くあらねばならない」って。


いつも強くある必要は全然ないと思うよ。弱るときだって絶対に誰だってあるしね(笑)。

でもそうじゃなくて、弱ってしまった後にちゃんとご飯食べてお風呂入ってゆっくり散歩してぐっすり眠って。ちゃんといつもの「強い自分」に戻せることが大切だと思うです。

「弱い自分にならないよう頑張る」のではなく、「弱ってる時期があってもいいけど、ちゃんと強い自分に戻れるよう無理なくちゃんと頑張れる」。これが大切なんだと思う。そしてそれこそが、「物書きとしての強さ」だと思う。


そして月野さんは最後にこう書いていらっしゃいました。

そして中間選考を突破された48名の方々
おめでとうございます😊

私、これ書けねぇ。

自分が落選したコンテストで、他の合格者の人にお祝いの言葉を送る。

これ、私多分できない。月野さんの器のデカさがすごいなと思いました。月野さん、すごくあたたかいお言葉、ありがとうございました。


「結果なんてどうでもよくなるほど、学びが多かった」

次にご紹介するのはRaMさんのこちらの記事。

こんなことを書いてくださってました。

藤原華さんのマネージャーさん(ジャスミンさん)の
言葉を噛み締めるように読みました。
でも、読んでいくと、

なんだか結果がどうでもよくなるほどの
学びの多い記事でした。


すでに、何回も拝読しました。

この後のほうが、真の厳しい道のり。

ありがとうございます。

RaMさんの、この言葉。「この後のほうが、真の厳しい道のり」というこの言葉。

すごいなと思いました。

「自分が今スタート地点に立ったんだ」「そしてここから前に進むんだ」という強い覚悟が伝わってきました。


それとこの文章!

「なんだか結果がどうでもよくなるほどの学びの多い記事でした」

マネージャーと二人で一緒に喜びました(笑)。

伝えたいことが、RaMさんに伝わったんだと嬉しく思います。この一行、書いてくださって本当にありがとう。勇気を出して、あのnoteを公開してよかった。本当にありがとうございます。



次にご紹介するのはみうさん。私にとって衝撃的な一行がありました。

自分にとって普通なことが、他の方にとってはセンシティブなのかもしれません。
ようやく、少しずつ日常生活を送れるようになった私自身のことなんて、私が過去を乗り越えてそれでもなんとか生きていることは、読んだら気分が悪いのかもしれません。
でも、世の中にはたくさんの方がいるので、そういう視点もあるということは知っておかなくてはならないな、と思いました。
相手を不快にさせることのないように。
自分が傷つくことも避けるために。


そうか。

「自分はセンシティブだと思ってない」ことが他人にとってはセンシティブかもしれない。文章を書く人間として、この思考は絶対に持ち合わせていないといけないなと強く思いました。

知らない間に誰かを傷つけているかもしれない。こんな恐ろしいことって、ないですよ。


ちょっとこのみうさんの言葉、衝撃的すぎてこの一行スクショしました(笑)。スマホの待ち受けにして何度も読もうと思う。

みうさん、大切なことを教えてくれて本当にありがとう。



「落ち込むのを通り越して笑える!」

次にご紹介するのはマユシムさん。まず、マユシムさんに謝らないといけないことがある。

審査員さんが落とした方の理由の中に
私の投稿じゃないかと思われるものが
書かれていた。

まさに、「たった一人に向けて書いた文章でマユシムさんを傷つけたかもしれない」。そう思いました。

でもマユシムさんに向けて発したわけではないのに、マユシムさんを傷つけているんじゃないか。とても心配になりました。でも、マユシムさんはこう続けてらっしゃいました。

私の記事にまんまと当てはまってる。
ここまで書かれると
落ち込むのを通り越して笑えるね!w

そう書かれていて少しだけ安心しました(笑)。落ち込まずに済んで、本当によかった……。


そしてこの文章はなんだかマユシムさんから励ましをいただいたような気持ちにもなりました。

「落ち込んでる暇があったらもう笑い飛ばして前に進め」

そんな風に言ってもらえた気がしたんです。たしかに、そうだよなぁとしみじみ思いました。


「プロを目指しているわけではないけど、だからこそプロには負けたくない」

次にご紹介するのはディエムさん。

すごい一行が書かれていました。

プロを目指しているわけではないけど、だからこそプロには負けたくない。
賞や栄誉に飾られることがない、伝わる文章が書ける人間に近づきたい。

ディエムさん、その意識を持っていたらもうプロだと思うんですよ!!(笑)


ディエムさんが書かれた文章は、これはもうプロ意識以外の何物でもない。これはもう断言します。プロ意識を持っている以上、もうディエムさんはプロなんです(笑)。

でも、いい言葉だと思いました。

プロを目指しているわけではないけど、だからこそプロには負けたくない。賞や栄誉に飾られることがない、伝わる文章が書ける人間に近づきたい。

こんな言葉をつむぐことができるディエムさんと出会えたこと、本当にうれしく思います。


「選ばれなかった理由くらい、向き合わないと」

次にご紹介するのはmaiさん。私はこの一行に心打たれました。

中間選考さえも突破できませんでした。
正直、久しぶりに胸がズキズキしたし、落ち込んだし、こんな気持ちには蓋をして、見て見ぬフリをすることもできるのですが……
「選ばれなくてそのままにしてるようじゃ無理か。選ばれなかった理由くらい、向き合わないと。

そうなんです。あんな「落とした理由」なんてnote、無視することだってできたはずなんです。

「読みたくない」。

そう思ったらクリックしないことだって絶対にできたんです。でもmaiさんは向き合おうと勇気を出した。


私正直、maiさんの立場だったらクリックできなかったかもしれません。怖いですもん。クリックできたとしても半年後とか。もうそんなレベルかもしれない。だからmaiさんの勇気はすごいと思いました。



そして、最後のこの一行、素敵でした。

「選んだ人」だけを発表すれば良いものを、こうして、「選ばれなかった理由」を届けてくださったことで自分と向き合うことができ……きれいごとに聞こえるかもしれませんが本当に感謝しています。
藤原さん、ジャスミンさん。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
この経験を今後に活かせるよう、まずは苦しくても今日書いたこの文章を時々読み返しながら、今後も書き続けていきたいなと思います。
今はまだうまく言葉にしきれないけれど。私に「書く理由」が何かしらあるということだけは、間違いないので。

うん。書く理由がある。そして書き続ける。
これ、できる人すごいと思う。できなくて書けなくなってやめてしまう人をたくさん見てきたから。

この最後の一行、昔の私だったらこの一行の価値はわからなかっただろうなと思いました(笑)。

書き続けることがどれほど苦難の道か、今は知っています。だからmaiさんの「書く理由がある」「だから書き続ける」。この言葉はすばらしいと心底思いました。


だからといって、応募した作品が駄目とは一切思っていません。

次にご紹介するのはみくまゆたんさん。まず前置きで

このコンテストにおいて、もっと重要な部分が欠けていたからではないかと……。
 それは、ずばりテーマである「書く理由」が弱かったからかなと。

と、書いた上で

やはり「本気で書く仕事がしたい」「○○のために書きたい」という方々と比べると、その部分がどうしても弱かった気がします。
だからといって、応募した作品が駄目とは一切思っていません。
理由は、感想を書いてくれた方、スキをくれた方が沢山いたからでしょうか。

これ、まず「コンテストの責任者である私が」きちんとどこかのnoteで全員に伝えるべきだった。それこそ応募要項とかに書くべきだった。

落選したからといって、その作品がダメなわけでは絶対にない。

みくまゆたんさん、この大切な一行を言葉にしてくださって、本当にありがとう。


そしてこの一行、本当に好きです。

私だったら自分が生み出した、そのわが子のような作品を否定してしまうかもしれない。ダメだと思ってしまうかもしれない。そうして書けなくなってしまうかもしれない。だからこそ、みくまゆたんさんのこの

「だからといって、応募した作品が駄目とは一切思っていません」

はとっても好きだと思いました。


「審査員って、やる気満々で楽しんで読むんだと思ってた」

次にご紹介するのはみかりさん。まず、落選したのに「参加してよかった」と書いてくださっていることに驚きました。

まだ中間選考ですよ?
通過した作品を、また選ばないといけないのに、それより先に「あなたを落とした理由」を書く。
つくづく今回のコンテスト、参加して良かったな〜と思いました。



そして、すごく共感できるパラグラフがあった。

わたしは、審査員が作品を読み進める際、
「コンテストに応募してくれてありがとう〜!」
「どの作品が良いか選ぶの楽しみ〜!」
「よっしゃ!!!読むぞ!!!」
どんな作品でもどんなジャンルでも、好意的にやる気全開で読むんだと思ってました。そして、スパンスパンと機械的に進めていく、とも。
だからこれが抜け落ちていた。


わかる。

私もこれ同じこと思ってた。学生の頃いろんな公募に応募しまくってたとき。審査員ってやる気満々で楽しみながらスイスイ応募作品を読むんだと思っていた。


だって審査員だもん。

読むのが仕事だもん。

私の文章を読むのは「当然でしょう」

という気持ちが、私にはどこかにあったと思う。

みかりさんが書いてくださったこの視点、大切だなって思いました。



私の心の傷を癒やすために書いているから

次にご紹介するのはあやめさん。この一行がまず最初に刺さりました。

私が応募した「脳が『書け』ってうるさいんだ。」の中の、
とにかく、
・書いて自分の思いをアウトプットしたい
・誰かに届けたい
私は今、そんな気持ちなのだ。
前半は本当です。
でも、後半は嘘です。
なぜなら、届ける本気度が足りないからです。

届ける本気度が足りない。

私に言われているようで刺さりまくりました。


別のnoteでも書いたことがあるけど、私のnoteの下書きには

「全文書き終わったのに」

掲載するのを最後の最後でやめたnoteがいっぱいあるんです。


なぜ、掲載するのをやめたのか?

届ける本気度が足りてなかったから。ただ自分の思考を整理するために書いただけの「文章のフリをした自分のためのメモ」だったから。

だから、掲載しなかった。


このあやめさんの「届ける本気度が足りない」という言葉。私に向けて言われているような気持ちになりました(笑)

これ、絶対に忘れないよう胸に刻みます。



そして最後にこの一行。

なぜ自分の思いをアウトプットしたいくせに、心のどこかで「読まれなくてもいいや」と思っているのか。
なぜ「私の体験談をエッセイにするけど、ワンチャン誰かのお役に立てればなー」程度の気持ちなのか。
答えはシンプル。
私は、私の心の傷を癒やすために書いているからです。

これ、とても大切な言葉だと思いました。


書くことの治癒力は、本当にあなどってはいけない。絶対に、あなどってはいけないんです。

書くことで、自分を癒やすことができる。本当に癒やすことができるんです。


noteにも「自分を救うために書いている」って人いっぱいいるでしょ。あれはね、みんな必死に生きようとしてるんですよ。

結局、自分を助けられるのは

最後は自分しかいない

ってわかってるから。だからなんとか生きようと必死に書いているんです。


自分を癒やして傷を治して。

でも傷を治した後に。

また次の傷におびえながら。

それでも生きていこうと必死に書いているんです。



あやめさん、

「私は、私の心の傷を癒やすために書いているからです」

って書いてくださいましたよね。


だから、書き続けてください。

「書き続けてください」っていうのは、つまり「生きてください」って意味です。


「私は、私の心の傷を癒やすために書いている」。

自分を救おうとしている。ちゃんと自分を助けようと戦っている。その姿が目に浮かびました。


だから、本気で思いました。

今日も、あやめさんが健やかに過ごせていますように。


健やかに過ごせない日があったって、別にいいんです。年中無休で元気いっぱいな人なんていませんから(笑)。でも、

「今日があやめさんにとって健やかに過ごせる日だったらいいな」

と私は本気で思っています。


なぜならあやめさんが、自分を癒やそうと戦っている人だから。
「今すぐ消えてしまいたい」と思った日だって、きっと、あっただろうに。
それでも前を向いて、自分を癒そうと、癒やすために書こうと、つまり「生きていこう」と決めて必死に闘っている人だから。

だから、本気で思っています。
「健やかでいてほしい」って。

そう本気で思っている人が、この地球上に一人、確実にいる。それだけは絶対に忘れないでください。


そして最後にお礼を。

「健やかでいてほしい」。

そんな風に本気で思える人に出会えたこと。これってとても幸せなことだと思うんです。「健やかでいてほしい」と思えるそんな人に出会えたのは、あやめさんがこのコンテストで応募をしてきてくださったからです。

だから、「健やかでいてほしいという相手がいる幸せ」を私に与えてくださったのは、間違いなくあやめさんです。

だからお礼を伝えたい。

あやめさん、本当にありがとうね。



書くこと、決めたはずなのに、実行できてなければ、書いてないのと同じ。

次にご紹介するのはdaisyさん。daisyさんは、

私は、この記事をみて、落ち込んだり、批判するつもりもありません。むしろ、ここまで厳しい目で、審査されているんだということがわかって、驚いて、有難いとも思っています。

愛のムチっていうと言い過ぎでしょうか?

と前置きした上でこんなことを書いてくれました。


伝えたいことがあるなら、ちゃんと書け。藤原華さん、ジャスミンさんのメッセージから、そんなことを考えていました。

すでにわかっていたことかもしれません。
でも、書けてなかった。

上手く書けなくても良い。
書くこと、決めたはずなのに、実行できてなければ、書いてないのと同じ。

また、書くことに向けて、エネルギーや勇気をもらいました。ありがとうございます。


ここの太文字。
私に言われているように感じてすごくドキっとしました。


そうか、たしかにそうだな……。伝えたいことがあって書いた。書くと決めた。でも書いた結果、伝えられてなければ書いていないのと同じ。

そうか、なんだかすごく腑に落ちました(笑)。これ、文章を書くとき常に胸に刻んでおこうと思います。daisyさん、これ、言語化して下さって本当にありがとうございます。


「私はスタートラインに立った」

次にご紹介するのは中村さん。中村さんはすごく根本的なことを考えてらっしゃいました。

落選したことがショックだったのではなかった。
自分が文章を綴ることに何の意味があるのだろう?
私は文章を書き続ける資格はあるのだろうか?
という根本を問うショックである。

と書いた上でこう綴っています。


私がそれでも書きたいのは、やっぱり書くことが好きだから。
誰に認められるものでもなくても、誰に届くものでなくても、
書いているときは自由に、ありのままの自分でいられるから。


ここ、すごく安心しました。


「根本を問うショックを受けた」って書かれてたから、「もう書きたくない」って思ってしまったのではと。そう本気で不安になりました。

でも、中村さんはそれでも書きたいと言ってくれた。

「私がそれでも書きたいのは、やっぱり書くことが好きだから」というこの言葉。なんだか、すごく元気をもらえました。


そして中村さんは最後にこう書いてらっしゃいました。

このコンテストに挑むことで、自分の文章の未熟さを痛感し、まだできる努力もしていないということに気づく
「スタートライン」
に立たせてもらえたこと。

と。


「落選はゴールじゃない。スタート地点だ」。中村さんのこの前向きな所、とっても好きです(笑)。見習わねば。


「落選して感謝したの、初めてかも」

次にご紹介するのは八神さん。


めちゃくちゃポジティブで、この「落選しました!」のnoteそのものがエンタメコンテンツに仕上がってて「さすが小説家だ……」って思ってしまいました(笑)。


ほんとにみんなに読んでほしいので一部抜粋!

いやはや、これには驚いた。
聞いたことありますか?
「自分の落選理由」
少なくても私は初めてでした。
で、この記事を読みながら、もう思い当たるフシがあるわあるわw
「あー、ダメだこりゃ!」
と、「納得」させられてしまった。
これじゃあ無理だよね。
「倒すつもりで来い!」って言ってる人の手前で、こっちが「納得」しちゃったら。
「納得」ってのは、「全面降伏」と同じだもんね。



そして八神さんは最後にこう書いてくださいました。

それにしても、ほんとに得るものの多いコンテストでした。
「届ける」ってことの難しさが、想像以上だった。

そして、藤原さんとジャスミンさんの、愛。
もうね、すごいんだ。
厳しいんだけど、優しいの!

なんていうか、「保護者目線」って言ったらいいのかなー?
少なくても、今時の「先生」よりは愛があると思う。
金八先生の時代なら別かもだけど。

大人になって、こんな感情持つことになるなんて・・・。
幸せ💕
落選して感謝したの、初めてかも。
いろんな意味で。
関わった全ての皆さん、ありがとうございました!


「落選して感謝したの、初めてかも」。


この言葉をいただけただけで、あのnoteを公開したこと、本当によかったと安堵しました。八神さん、この言葉をつむいでくれて、ありがとう。



普通、コンテストに落選した人たちのための無料赤ペン先生なんてやらない

次にご紹介するのはかずさん。


まずこのnoteのタイトルが「命の時間を削ってくれるなんて」に感銘を受けました。そうですよね……時間って命そのもの。だから本当に、そのことを受け止めてくれたこと。感謝いたします。


かずさんはnoteの中でまずこう書いていらっしゃいました。

落とした「あなたの」ために書いてくれた。
あなたは、中間選考に落ちました
普通、この連絡はそもそもこない。
普通、コンテストに落選した人たちのための無料赤ペン先生なんてやらない



その上で、こう続けていました。

正直、読むのが怖かったよ。
でも、傷つくことはなかった。
本音で人は傷つかない。
傷つくのは、自分が心の奥で気づいているけど、できていないことだ。嘘をついている自分が見えるからこそ、深く傷つく。

「傷つくのは、自分が心の奥で気づいているけど、できていないこと」。

私こんなの考えたことなかったです。



今思い返してみると、たしかにそうかも。他人から「正論」を言われて傷ついた経験、私にもあります。でもそれって、「実は自分も気づいていたから」だったのかも。

これすごいこと教えていただきました。たしかにそうかも。かずさん、これ、言語化してくださって本当にありがとうございます。


「血の通った相手が読むことをちゃんと考えたか」

次にご紹介するのはおすぬさん。


まず、おすぬさんは最初にこう書いてくださいました。

落選理由や華さんとのやりとりを何度も読みました。落選理由を書く動機、書く姿勢。真剣に向き合ってくださってることが伝わってきました。言いにくいことも、「いまからナイフ出すよ」と刃をちらつかせて前置きしてる。

「落選した理由を伝えるなんて、傷つくと思うから、読みたくない方は本当に読まなくて大丈夫よ」という合図。

マネージャーと一緒にあちこちにちりばめました。ちゃんとそれが伝わっていた。それがわかって、本当に安心しました。おすぬさん、ありがとう。



そしておすぬさんは次にこう続けていらっしゃいました。

丸投げしてたかもしれないと思いました。(かもじゃなくてしてた)
応募するという行為、内容について。
血の通った相手が読むことをちゃんと考えたか。

「応募することを、相手に丸投げしていたかもしれない」。

ドキっとしました。


私、さっき書いたように「学生時代に手あたり次第に公募に応募しまくっていた時のこと」を思い出しました。

まさに、あれ、丸投げでした。

「はい、応募したよ!あとは知らなーい!あとは審査やっといて!」

みたいな気持ちがどこかに絶対ありました。

そうか。コンテストに応募する時、丸投げはやってはいけない。おすぬさんのこの言語化、すごかったです。



決してこのタイプする指は止まらない

次にご紹介するのはそうたいさん。


ここの文章が好きすぎるので紹介します(笑)

全部おもしろい内容にしてやりたい。
今にみてろ。読者が(T_T)お腹を抱えて笑って
何あのそうたいってnoter、痛々しいけれど(ほっといて!)
ド笑える
などと呼ばれる日まで決してこのタイプする指は止まらないからな。
闘志だけはもらえた。若干屈辱感ある。でもしょうがないよ。


そうなんです。

落選することは屈辱なんです。誰だってがっかりする。誰だって悲しい思いをする。誰だって思い切り落ち込むんです。

でも、その上でそうたいさんは「タイプするこの指は止まらない」と思い切り宣言してくださった。

そうたいさんのこの闘志、しかと受け取りましたよ!


負けたことがあるというのはいつか立派な財産になる

次にご紹介するのはゆずさん。

ゆずさんはすごくすごくすごくすごく丁寧にご自身の作品を振り返っていました。

なぜ人は他の人の書いたものを読むのか。
私の記事には
だから何?何のメリットがある?
その問いかけが甘かった。

でもその上で、最後にこう締めくくっていらっしゃいました。

「負けたことがあるというのはいつか立派な財産になる」って、
スラムダンクの山王工業の堂本監督も言ってたでしょ?

「負けたことがあるというのはいつか立派な財産になる」。


スラダンは読んだことがあるのでもちろんこのセリフは知っていました。が、ゆずさんのこの振り返りのnoteで、上から一行ずつ読んでここでこのセリフが出るとスラダンで読んだ時とはまたちがった響き方があって素敵でした。


ゆずさんワールドでこのスラダンの名台詞が出てくると、響き方が違う。なんて言ったらいいのかな……。

仕事が終わって子供を寝かしつけてやっと自分の時間がとれて、でももう寝ないと明日に響く

っていうような夜に。家のベランダで夜風に当たりながら、この負けた経験は財産になる。

「だから、財産にしてみせる」

と自分で決意をする。そういう姿が浮かびました。


ゆずさん、いつもnote読んでます。素敵な言葉をつむいでくださって本当にありがとう。

ゆずさんの言葉で、一日を優しい気分で過ごせている人が、ここに一人いるんですよ(笑)。それを、忘れないでくれたらうれしいです。


「ブラクラnote、書いちゃってませんか」

次にご紹介するのはもぐさん。


前回掲載された「なぜあなたを落としたのか」というnoteでは

「センシティブな話をするなら、今からセンシティブな話をするよ、だとかセンシティブな話ができるよう相手と信頼関係を築かないとね」

って話をしました。


この話をふまえて、もぐさんのこのたとえ話がすごすぎたので紹介させてください。

むかし、ブラクラって流行ったじゃないですか。
クリックすると不快な画像が流れるWebページ。
ブラクラnote、書いちゃってませんか。


そうか。


「はじめまして」の人に、センシティブな話をいきなりする。これってあのブラクラと同じなんだ。

この例え方にはうなりました。これすごい。やっぱり、いい文章を書く人ってたとえ話がすごいと思う。そう感じました。


もぐさんのこの作品はちょっともう刺さるところが多すぎて(笑)。全部紹介しきれずにすみません。一番刺さったのがこの例え!!

「あなたが今から掲載しようとしているそのnote、ブラクラになってませんか?」

ってちゃんと自問しながら書いていこうと思います。もぐさん、すごく衝撃的な例えをありがとうございました。



「失敗しても、それでも前を向いて歩いていこう」と書いてくれた人

次にご紹介するのははそやmさん。



今回の落選はいい勉強になったなと思いました。良い経験をさせていただきありがとうございます。プロ意識について改めて考えさせられました。まだまだ修行が足りないと反省していますが、
ガッカリはしませんよ!
だって私これからも頑張りますもん!

はそやmさん、すごく素敵な二行、ありがとうございました!


なんかね、はそやmさんのこの二行でこの言葉を思い出しました。

自分の失敗を「ちゃんと忘れる」こともプロの仕事の一つだ

って言う言葉です。


失敗をしたら、もちろん反省して次に活かさないといけない。

でも、失敗ってつらいことじゃないですか。落ち込むじゃないですか。でも、だからこそ「反省して学びを得たらもうきれいさっぱり忘れる」。このこともプロとして大切っていう意味だそうです。


ガッカリはしませんよ!
だって私これからも頑張りますもん!

はそやmさんの書いてくださった文章からは、こういう「落ち込まずにチャンと前を向いて進んでいく」という姿が見えてとても勇気をもらえました。

私はそやmさんみたいにこんなすぐ明るくなれないタイプだから(笑)。この言葉、書いてくださってありがとうございました。


「絶対に、あなたの魂を奪う物語を書いてやるんだ」と言ってくれた人


次にご紹介するのはみどりさん。

審査員だって人間なんだ。
この数日、ずっとわたしの中で響いていた言葉です。なにをいまさらと思うくらい、当たり前の事実なんだけど、これまで意識してなかったと気付かされて、そして、現実に生きる方々を人間扱いしてなかった自分に衝撃を受けました。

と書いてくださったのと同時に

人間失格です。
少なくとも、物を書く人間としては失格です。

と書かれていました。


みどりさん、人間失格なんてこと、そんなこと絶対にないですよ。そんなこあと絶対にない。人間失格なんて自分自身に言う必要なんて、全然ないですよ。書けなくなっちゃいますから(笑)。だから、絶対にそんなことないですよ。


みどりさんの最後の文章。何度も読みました。

いまのわたしにはいろいろ足りない。でも未来のわたしも足りないままでいるとは思いたくない。考え始めたから。始めたんだから終わらせない。信じたがってる。
絶対に、あなたの魂を奪う物語を書いてやるんだ。


もうこの一行。しびれ散らかしました。


心に火が灯ったんだなって、一瞬でわかった。

なんかもう、この灯が私の心にまで燃え移ったよ(笑)


「絶対に、あなたの魂を奪う物語を書いてやるんだ」。

この言葉、私も文章を書くとき忘れない。みどりさん、灯のおすそわけ、本当にありがとうございます。


「こんなこと誰も教えてくれない」

次にご紹介するのはシマななこさん。


まず、ななこさんはこう書かれていました。

【己の欠点】を指摘してくれる人などいない。
最初はこの記事を細かく読むことさえできなかった。己の欠点と向き合えなかったから。
でも少し落ち着いてから読むと、

【こんなこと誰も教えてくれない】と悟ったのであった。

読むのは少し辛かったし、ほんとーにみぞおちにも顔にも右フック左ストレートパンチ喰らった気分になりました。


そうなんです。つらかったですよね……。

だから、「つらかったら読まなくていいよ」という合図をあちこちにちりばめた。

でも、足りなかったです。


ななこさんの「こんなこと誰も教えてくれない」という言葉に甘えちゃだめだと思いました。ここはちゃんと受け止めて反省すべき点だと思いました。


でもその上で、ななこさんはこう書いてくださいましたよね。

でも、私にはやはり気合いもコンテストの趣旨の理解も技量も何もかも足りなかった。
それが分かってよかった。
自由に書き散らかしていた私は何者でもなかった。
ボコボコになって、また書き続けます。
挫折は人を強くするらしいので、それを実証したいと思います。
とりあえず褌締め直します。
藤原華さん、ジャスミンさん、ありがとうございました‼️(部活の高校生のテンションで)

「それが分かってよかった」って。この一文をいただけただけで、マネージャーと二人であのnoteを作り上げたかいがありました。ななこさん、この言葉、書いてくださって本当にありがとうございます。


自己否定だけは、しないでね

みんな、ここまで読んでくれてありがとう。

繰り返しになっちゃうんだけど、自己否定だけは絶対にしないでね!


私は、文章で失敗したときは「自己反省」はしている。でも「自己否定」だけは絶対にしない。

なぜなら書けなくなってしまうから。


書けなくなったらもうその時点で物書きとしての命は尽きる。だから、否定はしちゃだめだ。これだけは、約束してほしい。華さんとの、約束ね。


みんな、書くのが好きでしょ。だから書いてるんでしょ。

だから、書き続けたいってきっとみんな思ってるはず。書き続けたいなら、自己否定なんてしちゃだめだ。根拠なんてなくていい。自信をもって、自分の言葉をつむいでほしい。

私も、そうするから。一緒に、書いていこう。


グランプリはもう決まってる

さて、最後にリマインドを。

noteコンテスト「なぜ、私は書くのか」。最終発表は9月中旬です。

「いや創作大賞の発表とかぶるやんけ」

って今思ったでしょ(笑)


いやごめん……わざとじゃないんだ。

実は私今、新しい会社を設立してる最中でさ。2社目の株式会社つくってるの。その設立で少し仕事が忙しくなっちゃって(泣)。


だから最終発表がどーーーーーーーーーしても9月中旬になってしまった。本当にごめん。

創作大賞の中間発表とかぶってしまって本当にごめん。創作大賞でソワソワしてるのに「なぜ、書くのか」のコンテストでもソワソワするとか。ダブルソワソワだよね。最悪だよね。ほんとにごめん。


ちなみにグランプリはもう決まってます♡

もう見た瞬間決めました。この人だって。もうね、読み終わった瞬間

負けた!!


って思いました(笑)。


いやもうすごい敗北感を味わったんだよね。

でも、その敗北感の、なんとまぁすがすがしいことよ。

味わってよかったと思える敗北感なんて、初めてだ。闘志を燃やされる。心に火を灯してもらえる。そんな敗北感だった。


問題は残りだね。

中間選考を突破した48作品のうち1作品はもうグランプリ決定。問題は残りの47作品のうち、どれを残すか。


正直なことを書いてしまうと

全部好きーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!(泣)

なんで!?なんでこれのうち「どれか」を落とさないといけないの!?なんで!?

ってなりました。マジで。


でもこれ、贅沢な悩みだよね。全部好きって言える作品と出会えた。コンテストの責任者として、こんなうれしいことってないよ、ほんとに。

最終選考の審査員として。そしてコンテストの責任者として。立派に務めを果たしてみせる。

頑張るから、みんな見てて。コンテストの審査、本気で頑張るよ。


ということで。

ここまで読んでくれて本当にありがとう!!
9月中旬、コンテスト「なぜ、私は書くのか」の結果発表会場でまた会おうね!

まだまだ暑い日が続くからこまめに水分とってね~!!


ではまた!



華より




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藤原華|編集者
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