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奇縁h

目的地、琴平琴電駅まで約1時間。始発近くの駅、片原町から急いで電車に乗った薫の汗は車内のクーラーによって少しずつ乾き、肌寒さを感じた。
香川県のローカル鉄道ということもあり、ボックス席はほとんど無く、長椅子の一番左端に腰掛けたが、クーラーの効きは非常に良い。良すぎて少し肌寒く思うほど。
約20駅、多くの駅で停車しながら目的地の琴平琴電へ向かう訳だが、薫の座る座席の反対側の窓から見える風景は、やはり田んぼと畑で埋め尽くされている。
時折川が見えるが、その川の両端には必ず田んぼが見える。
薫の住む大阪でも都心から少し離れると時々田んぼや畑が電車の窓から見えることがある。しかしその奥には必ず建物が、マンションや小さなビルなどが見えている。
ここにそれはほとんど無い。奥に見える景色のほとんどは豊かな山々で、とても癒される。
10分ほど電車に揺られ、片原町から数駅離れた駅で扉が開いた時、夏の装いをした学生が10人ほど乗車してきた。
それまで電車に乗っている人はご年配の方がほとんどで、一人だけスーツを着たビジネスマンが乗っている程度。車内の平均年齢がグッと落ちた。
スマホで琴平琴電駅で落ち合う約束をしている山地と連絡しながら、普段の薫の生活では中々見れない光景を、電車の窓を通して薫は見つめる。
電車自体の進むスピードもゆっくりで、だが決して嫌気がさすスピードではなく、むしろこのペースで癒されながら電車に乗っていたい。そう思えるような、気がした。
電車の吊りビラには週刊誌の広告よりもローカル施設の案内が多く吊るされている。
金比羅山、栗林公園、丸亀城。どれも興味をそそられるものばかりだ。ま、栗林公園はつい先程行ったのだが。

〝ゴトッ!〟という鈍い音がした。
どうやら薫はスマホを落としたらしい。
目がかすみ、頭の中がボーっとしている。
どうやら少し、ほんの一瞬うたた寝をしていたらしい。
足元に落ちたスマホを拾おうと手を伸ばした瞬間、電車が大きなカーブに差し掛かったのか、ぐーっと横に傾く。
慣れている乗客がほとんどの車内では傾きに驚く客はおらず、みんな上手に体重移動をしている。
薫は椅子に座っていたとはいえ、腰をうかし手を伸ばしていたからか、その傾きに飲まれかけた。
左手で長椅子の端に着いている鉄のポールを掴み、右手でレザーバックパックを抱えたが、拾おうとしていたスマホは流石に救えず、傾いた薫の座る長椅子の反対側の長椅子へと滑りながら移動している。
カーブがおさまり、スマホを取りに行こうとした時、白い半袖のカッターシャツに紺のスラックス、恐らくどこかこの近辺の学校の制服を着た学生が薫のスマホを拾い上げた。
メガネを掛けたその男子学生がこちらへ歩いてき、「あ、これ、落とされましたよね?」と、少し顔を落としながら学生はスマホを薫に差し出した。
「ありがとうございます。助かりました。」
作り笑顔で学生にお礼を言ったが、スマホの裏側を手で触るとざらついた感触が指に残る。恐らく床を滑ったせいで傷が多く着いたのだ。まだ買ってそう長くないスマホなだけに、薫の本心は大きなショックを感じている。
「あと〝これ〟ももしかしてお兄さんのですか?」
そう言って彼が差し出したのは先程の電話番号とIDの書かれたメモ書き。つまりメイドさんの連絡先である。
あ、あーこれね!と言い焦りながら薫はそのメモ書きを掴んでカバンの中に突っ込むと、スマホを拾ってくれた男子学生は目をギョッとさせて薫のカバンの中を覗き込む。
一瞬恐怖のような、背筋に小さな悪寒を感じた薫は彼の目を見つめてみる。
すると彼は薫の右手を両手で力強く握り、やっと会えたー!と叫び出した。
白い夏服のブラウスを着た女子高生たちがスマホを触りながら話す声だけが聞こえていた車内で、年頃の男子が急に叫び出したため、車内の視線は薫と男子学生に集まり、体の中が急激に熱くなることを感じた。
「え、えーと、とりあえず横の席に座ります?」
「是非お話しましょう!」
気を使った薫の事はお構い無しで男子学生は薫の横の席に座り、目を輝かせた。
「これ〝おうちカフェ〟の会員証ですよね?メイドカフェの」
そういえばそんな名前だったか。男子学生は薫のレザーバックパックの奥底にチラッと見えた会員証を指さして言った。
薫は曖昧な記憶を頭の引き出しから探し出したが、ドタバタしつつ色々驚くこともあったせいで思い出せない。
んー、確かそうだった気が…言い出そうとした所で男子学生は「お気に入りのメイドさん誰ですか?」ワクワクとした輝く目で薫に質問をする。
お気に入りのメイドさん…何故だか言いにくい。言うなれば〝好きなアイドルは誰ですか?〟と言われた時、その好きなアイドルが実は元々知り合いで、成り行きで応援している。そんな感じで言いにくい。
渋々だが「らんk…」と言いかかけた時、また男子学生は薫の言葉を遮って「会員証の裏に書いてる名前見してくださいよ!」とまた目を輝かせながら薫に話す。
だが自分の口から話すよりは名前を見せるだけの方がまだ変な恥ずかしさは無いか…と思い自身の会員証を男子学生に渡そうとした時、カードの裏には〝らんらん(蘭香)〟と書いていたことを思い出した。
蘭香…メイドさん〝らんらん〟の本名。
隠しているかどうかはさておき、こういうのはあまり公にしてはいけないような、 そんな気がしてならない。
「らんらん…かな。裏に書いてる名前は。」
「え、らんらんちゃんですか!?僕もらんらんちゃん推しなんですよ!!!」
また純新無垢なキラキラと輝く目を光るメガネの奥で輝かせ、男子学生は薫の手を取って嬉しがった。
「らんらんちゃんいいですよね。可愛いし、優しいし。それに本当にお客さん思い。何歳か分からないけど僕と同じぐらいの年齢だと思うんだよなぁ」
ニコニコほくほくとした表現が似合うか。男子学生はそんな面持ちで〝らんらんちゃん〟の話を語り出した。
「僕が初めておうちカフェの前を通った時、らんらんちゃんが団扇を配ってたんです。それを貰ってね、少し緊張してたんですけど、らんらんちゃんの笑顔がすごく可愛くって。少し躊躇はあったけどそのままお店に入ってみて。そしたらドハマリして。あともう少しで僕のカードはプラチナなんですよ!」
嬉しそうに、そして誇らしげに男子学生は薫に〝らんらんちゃん〟との馴れ初めとおうちカフェ愛を語り尽くす。
「その、プラチナってなんなんですか?」
「あれ?お兄さんもしかしておうちカフェ初心者ですか?」
「ついさっき、1回しか行ったことはなくって。」
男子学生はまた大袈裟に驚いた素振りをしながら、そういう事だったんですね!と相槌を打った。
「おうちカフェにはですね、会員証に4段階の階級があって、何回〝ご帰宅〟するかによって会員証の種類が変わって行くんですよ!」
「お兄さんのはブロンズカード。これは初めて作ってもらえるカードの事です。次に10回〝ご帰宅〟するとシルバーカード。50回目で〝ゴールドカード〟。100回目で〝プラチナカード〟になるんですよ!」
「噂では〝ブラックカードも〟もあるらしいんですけどね…」
そういうと男子学生は財布の中から金色に輝くゴールドカードを取り出して見せた。
なるほど。薫のブロンズカードと違い、確かに綺麗な金色をしている。
「てことは君はもしかしてもう随分通ってるんじゃ…」
「そうですね。後2回ご帰宅すればやっとプラチナカードになります!」
「プラチナカードになると、特典で推しメイドさんと1時間カフェの中でお話が出来るんですよ!らんらんちゃんと…最高じゃないですか!きっと僕と同じぐらいの年齢で学校に通ってると思うし、学校の話しようかな。それとも普段の好きなことのお話しようかな。1時間も2人でお話できるなんて夢のようですよ!」
既にその時のシュミレーションをしてテンションが上がり過ぎて男子学生のメガネは曇り、 すごい早口になっている。
申し訳ない。らんらん…篠宮蘭香は学生ではない。21歳。お酒も飲めればタバコも吸える年齢なのだ。加えて性格は良いものの、相当な方向音痴で、そんなに口も良くない。
しかしここまで一人の男性を虜にしてしまうものなのか。メイドさんとは。
だが確かにここへ来る前、篠宮蘭香と出会った時、彼女は客の男にストーカー行為を繰り返されており、その男に殺されかけた。
今話してくれている男子学生は本当にらんらんの事が好きで、メイドさんであるらんらんを応援しているのだろう。その純真な思いがひしひしと薫には伝わってきて、薫の胸の奥をチクリと痛めつけた。
「僕ね、実は不登校だったんです。別にいじめがあった訳じゃないんですけど、なんか学校に行こうとすると吐きそうになって。それでいつものように学校に行かず制服で商店街を歩いていたら、らんらんちゃんと出会って。色々と彼女に話していると、すごく怒られて。学校を楽しいと思うか苦しいと思うかそんなの人の勝手だけど、高校を卒業するかしないかで人生は大きく変わるんだって。君はしんどいかもしれないけど、とにかく卒業だけは頑張ってみようよ。その代わりどんな相談でも私乗るから!だから一緒に頑張ろうよ!って。」
「まさかメイドカフェに行ってメイドさんに怒られるなんて思わなかったから初めは絶望したけど、こんなに僕と向き合ってくれる女の子は初めてで、本当に優しくて強い子なんだなってその時思ったんです。僕と同じぐらいの年齢なのにね。」
左手で短い髪の生えた頭をかきながら、嬉しそうに男子学生は話した。

そこから暫く薫は男子学生とおうちカフェとらんらんのことを話しながら電車に揺られた。
時間も随分と過ぎ、田んぼや畑の風景が少なくなるにつれ、降車の人も増えていった。
羽間駅に停車し、次の駅を確認すると〝榎井駅〟とあった。
榎井駅。琴平琴電駅まであとひと駅。
「僕次の駅で降りなきゃ行けないんで」そう言って男子学生長椅子から立ち上がり、斜めがけのエナメルバッグを肩にかけて吊革を持った。
「ありがとうございました。色々とお話できて。ぼく元々友達が居なくって。だからもちろんおうちカフェの話ができる人も一人もいなくって。お兄さんとこうしてお話できて、とても楽しい時間でした。ありがとうございます。」
礼儀正しいのかそうじゃないのか、あまり分からないがとても優しくて、良い子であることは確かなようだ。
電車がブレーキをかけ、慣性の法則で男子学生の体がぐにゃっと曲がった時、薫はレザーバックパックから手帳を取り出して、白紙の一枚手帳から切り取る。
使い慣れたボールペンで自身の携帯電話の電話番号を書き写し、男子学生に差し出した。
「これ、僕の電話番号。僕は香川県在住じゃないけど、良かったら今度一緒におうちカフェ行こうよ。チャットアプリのアカウントは電話番号の登録で追加出来ると思うから。」
すると男子学生は顔をほころばせ、「行きましょうよ!絶対に!電話します!連絡しますから!」
とても嬉しそうにした。
そして榎井駅に停車し、男子学生は電車の扉を出ようとした時、忘れていたことを薫に伝えた。
「並田 心です!なみたしん!僕の名前です!」
「僕は根元 薫です!」
心が電車を降り、扉が閉まる直前薫は扉の前に立ち、「でも、らんらんのご指名は僕が取るから!」
何故か言いたくなった。直後扉が閉まり、薫の言い逃げになったような気がしたが、悪い気はしない。
男と男の約束。男と男の宣戦布告。

レザーバックパックを肩にかけ、そのまま長椅子の一番端に立ち、ガラガラの電車が終点駅に着くまでの数分間、豊かな自然を眺めていた。
電車が琴電琴平駅へ停車し、扉が開いて改札に向かった。
駅は古風な、小京都を思わせる。そんな雰囲気の場所。
改札を出ると空は薄らオレンジ色の夕焼けが広がっている。
駅を出ると石でできた大きな鳥居が建っている。
ここは金比羅山近く。ただ思っていた以上に近いところに鳥居が建っていたため薫は驚いた。
かなり大きいものなので、見上げていると「根元!」と声をかけられたことに気づいた。
振り向くと川の上に架かる石でできた橋の上に、1台の軽自動車が停車し、その前に見覚えのある親父顔の男性が立っていた。
山地だ。
薫が香川県に来た理由。大学時代のゼミの友人。
赤い半袖のポロシャツにベージュのハーフチノパン、軽自動車のボンネットに手をつきながら脚を絡めて立つその姿はどこかダンディーな、22歳には中々見えない、そんな雰囲気を漂わせる。
「大学の卒業式以来かー。久しぶりやなー。」香川のイントネーションで山地は薫に声をかける。
見た目もそうだが、その低く落ち着いた声も山地をダンディーに見せる大きな要因だと、薫たち同ゼミの仲間たちは語る。
「ごめんちょっと遅れたかな。」
薫は小走りで山地の元へ駆け寄り、小さく頭を下げた。
「とりあえず荷物家に置いてどこか食べに行こうか。」低い声でダンディーに山地は話しながら運転席へ乗り込む。
薫も助手席を開けて乗り込み、レザーバックパックを後部座席の上に置いた。
「とりあえずそれじゃ何食べたい?」
香川県を知り尽くした男、山地は少し得意気に薫に声をかける。
だが薫の思いは1つ。
「美味いうどんが食べたい。」
山地と薫の2人は車内で下品に笑いながら、車は山地家へと向かった。








あとがき

皆様最後まで今回も見ていただきありがとうございます。
今回こそは薫の旅がゆっくりまったり進むと思いきや、今回もまたよく分からない人に絡まれちゃった薫くん。
〝おうちカフェ〟…あのメイドカフェってそんな名前やったんですねぇ。
もちろん名前もモデルとなるメイドカフェから取りました。
名前だけですが今回もらんらん(蘭香)が登場しましたね。
しかも結構なキーマンとなっちゃいました。
本来の構想としては名前程度は出しても一瞬と考えていたのですが、書いているうちに欠かせない内容に笑
そしてそして、遂に登場しましたね。山地君。
山地君は薫の大学時代のゼミの友人なんです。
詳しくはまた今後の展開に合わせて書きますが、ダンディーな方なんです。
見た目も声もダンディーってちょっと反則ですよね。
この山地くん。実はモデルは筆者の学友なんです。
筆者が大学入学後、すぐに出来た友人で4年までずっと一緒に研究してきた仲間なんですね。
書いていてとても懐かしい気持ちになります。
学生時代の思い出はかけがえの無いもので、それは形を変えてそれぞれに大きな財産となるのでしょうね。
みんな違う学生生活。だからみんな違った物語が生まれ、みんな違った価値観で生きられる。
それが生きることの楽しさなんでしょうね。

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