最近の記事

無邪気な親不孝

「ママ、見て見て。ほら、ディディ」  未央が黒い子猫を抱えて帰ってきた。ディディとはアニメに出てくる猫の名前。未央は何事にもはまりやすい性格でそのアニメは10回以上も観たが、その度に駄々をこねた。 「魔女になりたい」 「空飛ぶホウキがほしい」 「パン屋さんになりたい」  どれも実現するはずはなく、強いてあげれば主人公の女の子と同じ赤いリボンを付けてあげたぐらいか。ここしばらくはそのアニメから遠ざかっていたがテレビである動物番組を観たときにふともらした。 「やっぱりディディみた

    • モノクロムな夜

      職場の飲み会の帰り道、その違和感は始まった。 店を出た後から不穏な空気が夜風に混ざっている。 酔いのせいではなくはっきりと背中越しに感じた。 まさか、ストーカー? 帰路を離れ、別の道を5分ほど疾走した。 気が付くと商店街にある店の前に戻っていた。 人通りはなく外灯も途切れ途切れにしか点いていない。 恐る恐る後ろを振り返ると影の姿はなかった。 振り切ったのか、諦めたのか。 全身から力が抜け、肩で大きく息をした。 安堵した束の間、黒い影が視界に現れた。 フード付きの黒いコートを

      • 決め球

        「アンパイアの代打?」  試合後、宗方はロッカー室で同期の仁井田に声を掛けられた。明日の試合に欠員が出たらしい。 「宗さんのジャッジは未だ健在だよ。あと1試合だけ頼むよ、な」  審判生活十八年目のシーズン途中、今季限りでの引退を申し出た。審判の定年まではまだ十年近くあるが、寄せる年波が目と肩の衰えを助長させていた。騙し騙しが通用するほど、甘い世界ではない。今日の試合も滞りなくこなせたが、すべてが完璧なジャッジだったかと問われれば正直自信がない。  返事に窮している宗方をよそに

        • Good bye kiss

          待ち合わせに遅れることに 何の遠慮も気兼ねもない 時間はあってないようなものさと 値打ちの欠片もないセリフ 瞼が最後の幕を閉じる頃 今から逢いたいと深夜のメール 電源を切らないわたしも 何かを期待していたのかしら さよならのあとに キスなんて もうどうかしてる 部屋に残る紫煙の余韻 また気配だけ残したのね 気づくのが遅かったわ 風のような貴方のシルエット 感じていた今夜のステージで いつもとは違う眼差しを でもタイトにヒールでは 遠ざかる貴方を追えない さよならのあ

          60歳からのラブレターの書き方 その1

          「何それ、ラブレター?」  オフィスで業務報告のメモ書きを机の上に置いたとき、彼女の突拍子もない一言に波流人氏は慌てて文面を見直した。「変」と「恋」を間違えたか、落書きでハートマークでも描いたのか。どう見ても数字が並んでいるだけだった。彼女を見返すと目元が笑っている。 「60のオジサンにラブレターなんてもらっても嬉しくないでしょ」 「そんなことないよ」  そもそも何の根拠があって波流人氏がラブレターを書く必要があるのか。思わせぶりな態度や、勘違いさせるような口ぶりを思い返して

          60歳からのラブレターの書き方 その1

          セピア色の約束(2008)

           都心を離れた閑静な住宅地にそのカフェショップはある。ゆったりとした店内にはジャズが心地よく響く。併設されたギャラリーにはかつて写真家だったオーナーの前野ジュンの作品が大きく引き伸ばされてバランスよく飾られている。その殆どが風景や建造物だが、一枚だけ異彩を放つ一枚の写真があった。  少し人目を避けるようにさりげなく。初めての客は物珍しそうに尋ねる。 「あの写真はどなたですか」 「娘です」 「あんな小さなお子さんがみえるんですか」 「いえいえ、20年前の写真ですよ」  名刺2

          セピア色の約束(2008)

          ポルカドットの憂鬱(2008)

          「困ったときのドットタイっていう話知ってる?」  オフィス近くのオープンカフェで部下の相談事に付き合わされた。気になる男性の誕生日プレゼントにネクタイを贈りたいが何がいいかアドバイスしてほしいという。そこでこんなウンチクを持ちだした。  ドットタイとは別名水玉模様のネクタイのことで、ネクタイ選びに迷ったらドットタイをはめていけば外すことはない。いわゆる無難でオールマイティーなネクタイだ。個人的にはストライプのカラーにこのドットタイをはめるスタイルが一番気に入っている。

          ポルカドットの憂鬱(2008)

          LITTLE CHASER

          微かな気配に振り返ると子犬が後を付けていた。 夜も遅く仕方なく家に連れて帰ることにした。 一晩だけだぞ、今SNSで拡散してやるからな。 翌朝飼い主が引き取りに来た。 初対面だった。 黙っててもらえます? 何のことだ。 礼もそこそこに子犬を抱え上げドアを閉めていった。 廊下の端の方でもう一度ドアの閉まる音がした。

          LITTLE CHASER

          LOST BAR

          そのバーのボトルには思い出したい記憶ごとにラベルが貼られている。 夢、名誉、地位、家族─ 今夜も記憶の亡者たちがカウンターを占拠する。 突然、地震が起きボトルは全て割れ、床一面が記憶の海に。 指でなめてみるが何の味もしない。 所詮記憶など曖昧なものだ。

          SCRACTH

          気になる人がいた。 気持ちを伝えようか迷っていると 妻子の存在を小耳にはさんだ。 おかげで痛手を負わずにすんだ。 切られても、刺されてもいない。 でも、これでよかったのだろうか。 ほかっておけば忘れるような 子供みたいな傷ばっかり作って。 #忘れられない恋物語

          Squall

          コンビニで立ち読みをしていると突然の土砂降り。 傘立てに使いつぶしたビニール傘が一本だけあった。 人目がないことを確かめアパートまで拝借。 怒鳴り声とともに振り向くと 隣の住人がずぶ濡れになって立っていた。

          ファースト・ビター

          「ママはブラックだったよね」 オープンカフェで娘が運んできたトレイには 同じ二つのペーパーカップが乗っていた。 いつもの生クリームたっぷりのラテはもう飽きたのか。 どれどれこれが大人の味ですかと一口すする。 「にっが~。やっぱブラック無理~」 慌ててシュガーとフレッシュの封を切る。 「どうしてこんな苦いもの好きなんだろ」 そっか、そういうことね。 そういえば、あの人もブラック大好きだったな。 でもラテからいきなりはちょっと苦すぎるから 少しずつコーヒーに慣れていけばいいんじゃ

          ファースト・ビター

          紅いアンブレラ 01 SCRAMBLE

           雨は一人だけに降り注ぐわけではない ロングフェロー  信号が変わるとそれまで歩道に寄せられていた傘の群れが、スクランブル交差点の中心に向かって一斉に流れ出した。鬱陶しい雨と無数の傘に自由を奪われてか、あちこちで小さな接触や衝突が見られる。雨の日は数メートルの距離でさえ、対岸にたどり着くのもなかなか容易ではない。  そこを人目もはばからず走っている男と女がいた。傘を差していないため早く目的地に着きたいという以外に、何か他に理由があるように見える。意思疎通があるのかどうか、二

          紅いアンブレラ 01 SCRAMBLE

          7月によくある話

          「あら、また来たの」 「何か物足りなくてね」 「招かざる客なんですけど」 「つれないな。長い付き合いだろ」 「次の予約が入ってるし」 「また、あいつか」 「滅茶苦茶なところもあるけど、いつまでもうじうじしているよりましよ」 「悪かったな、湿っぽくて」 「あの人が去った後の真っ青な空がまたいいのよね」

          7月によくある話

          再会

          「あれ、姉さんじゃん」 「あら、久しぶり」 「こんなところで奇遇だね」 「どうしたの今日は」 「ちょっと風邪気味でね。姉さんは」 「私もちょっとそんな感じ」 「母さんもよくここに来てたらしいよ」 「親子で常連ってこと?」 「ハハハ、そうなるね」 「新しい生活はどう」 「なんとかうまくやっている。姉さんは」 「みんなよくしてくれるよ」 「この前の誕生日はどうだった」 「ちゃんとお祝いしてもらったよ」 「姉さん、食いしん坊だから、手作りバースディケーキとか」 「そうなの、下の子が

          忘れじのメロディー

          旅人は体を休めていた。 そこへギター弾きが来て曲を奏で出した。 幼い頃母が作った子守歌だという。 兄を探し求めた長い旅が今終わった。

          忘れじのメロディー