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紫式部も娘の賢子も、清少納言も道綱の母も伊周の母もいる女房十六歌仙屏風…@トーハク

先日から東京国立博物館(トーハク)の、本館2階の7室……「屏風と襖絵」の部屋に展示されている3つの屏風をnoteしてきました。今回が3つめ……ということで最後です。

ラストは、《女房三十六歌仙図屏風》。三十六歌仙の女性だけのバージョンが、鎌倉時代の後期にかけてじょじょに固定化されていったそうです。

トーハクに展示されているのは江戸時代に描かれた、したためられたものです。歌仙が詠んだ和歌を書いた色紙と、歌仙の絵姿を描いた色紙とを一組にして屏風に貼られています。女房三十六歌仙と言いつつ、展示されているのは18人なので、片側だけしか残っていないのか、片方はどこか別のところにあるのかもしれません。

画:土佐光起筆、書:寄合書き
江戸時代・17世紀|紙本着色
個人蔵

女房たち……女性たちを描いていったのは、あの土佐光起さん。解説パネルには「宮廷の絵所預となり、やまと絵の伝統を継承する土佐家の再興を果たしました」とあります。土佐光起さんの絵って、けっこうトーハクに所蔵されていますね……。

この十六人・十六首の歌の解読を試みてみました。(一首は解読できず……)

第二扇の「不明 弁内侍」と記したところは、弁内侍なのかもしれないな……ということです

■第一扇

女蔵人左近(小大君)
たなはたに かしつとおもふ あふことを そのよなきなの たちにけるかな
七夕に かしつと思ふ 逢ふことを その夜なきなの 立ちにけるかな

「七夕の日に会えると思っていたのに、その夜がなくなってしまい、あっという間に過ぎ去ってしまったなあ。」


後鳥羽院下野

後鳥羽院下野(ごとばいんのしもつけ)
逢ふ人に 問へどかはらぬ おなじ名の 幾日いくかになりぬ 武蔵野の原

「会いたい相手に尋ねても、何も変わらない。いつまでも同じことばかりで、どれだけの時間が経ってしまったのだろうか、武蔵野の広い野原のように変わらずに。」

紫式部
みよしのは 春のけしきに かすめども むすぼほれたる 雪の下草

「美しい吉野の山は、春の景色に霞がかかってぼんやりしているけれども、雪の下では草がしっかりと覆われ、力強く息づいている。」

紫式部

■第二扇

不明……弁内侍(?)
をやまたに まかするみつの あさみこそ そてはひつらめ さなへとるとて
(続古今集)

「小山の田んぼに水を引いて、朝早く麻の作業をしていると、袖が濡れてしまうよ。田植えのために早苗を取ると言って。」

↑ はじめは全く分からなかったのですが、色紙に「小山田に…」と記されているのを、「おやまたに」で検索していたから出てこなかったのかもしれません。結論としては『続古今集』に、後深草院弁内侍として収められていました。

右大将道綱母
ふく風に つけてもとはむ ささがにの かよひし道は 空にたゆとも
(蜻蛉日記・新古今集など)

「吹く風に乗せて尋ねたい。あの蜘蛛の糸のように細く弱々しい道でさえ、かつてあなたのもとへ通ったその道が、たとえ空中で途切れたとしても。」

少将内侍(後深草院少将内侍)藻璧門院少将や弁内侍の妹
しらせはや とはかりものを おもふこそ ならはぬこひの はしめなりけれ
(新千載集)

「何の知らせもなく、何も予測できないで思い悩むことこそ、慣れていない恋の始まりなのだなあ」

少将内侍

■第三扇

伊勢
思ひ川 たえずながるる 水のあわの うたかた人に 逢はで消えめや

「私の恋心は絶え間なく流れる川のように続いている。水の泡のように儚いものかもしれないけれど、恋人に会わないまま消えてしまうだろうか、いや、そんなことはない。」

殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)
いのちありて あひみむことも さためなく おもひしはるに なりにけるかな
(新勅撰集)

「命があって、再び会うことも定かではないのに、そう思って待っていた春が、ついにやってきたなあ。」

清少納言

清少納言
夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

「夜を包み込んで、偽りの鳥の声で夜明けをだましても、決して逢坂の関は通してはくれないだろう。」

清少納言

■第四扇

土御門院小宰相
春はなほかすむにつけてふかき夜のあはれをみする月のかげかな
春はなほ 霞むにつけて 深き夜の 哀れを見する 月の影かな

「春になってもなお、霞んでいく景色の中で、深い夜の哀れさを感じさせるのは、月の光なのだなあ。」

大弐三位(紫式部の娘・賢子)
はるかなるもろこしまでもゆくものは秋の寝覚の心なりけり(?)
遥かなる もろこしまでも 行くものは 秋の寝覚の 心なりけり

「遠い異国(もろこし)までも行く者は、秋の寝覚めのような心情を持っているのだろう。」

八条院高倉

八条院高倉
我庵は 小倉の山の ちかければ うき世をしかと なかぬ日ぞなき

「私の家は小倉の山の近くにあるので、浮世の煩わしさとは無縁の日がない。」

■第五扇

高内侍(または儀同三司母・高階貴子)藤原伊周や隆家の母
あか月の 露はまくらに おきけるを 草葉のうへと なに思ひけん

「赤い月の光で、露が枕の上に置かれているのを見て、草の葉の上に何を思ったのだろうか。」

後嵯峨院中納言典侍(尚侍家中納言・ないしのかみけ・藤原親子)
歌が分からず……

一宮紀伊

一宮紀伊(祐子内親王家紀伊)
おくつゆも しつこころなく あきかせに みたれてさける まののはきはら

「置きゆる露も、無情に秋風にさらされて、みんな散ってしまった、真野のはきはら。」

■第六扇

式乾門院御匣(しきけんもんいんのみくしげ)
おなしよに たのむちきりの むなしくは みをかへてたに あふこともかな
同じ世に たのむ契りの 虚しくは 身をかへてだに あうこともかな

「同じ世に信じ合う契りが虚しいなら、たとえ身を変えたとしても、会うこともないのだろうか。」

相模

相模
みわたせは なみのしからみ かけてけり うのはなさける たまかはのさと
見渡せば 波のしがらみ かけてけり 卯の花さける 玉川の里

「見渡せば、波のしがらみがかかっている中で、卯の花が咲く玉川の里。」

藻璧門院少将(そうへきもんいんの)
それをたに こころのままの いのちとて やすくもこひに みをやかへてむ

「それを谷に、心のままの命として、容易に恋に身を変えてしまうのだろうか。」

<参照サイト>


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