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自分に求められている話し方を知る
会議などにおいて、言いたいことは良く分かるのですけれども、「ちょっとその表現は不適切なのでは」というような言い回しをしてしまい、結局言いたかったことよりも不適切な表現の方の印象をその場にいる人たちに強く残してしまい、場合によってはそのこと自体を叱責されてしまうというような場面にたまに出くわすことがあります。
よくニュースなどで世間を騒がせてしまう政治家の不用意発言などもこれに該当しますよね。
でも、本当に「不用意」で済ませてしまっていいのでしょうか。
多くの場合、こうした失言は一回こっきりでは終わりません。その後も続きますし、過去を掘り起こしてみるとザクザク湧いて出てきたりします。
では、なぜこのようなことが繰り返されるのでしょうか。
そしてまた、注目されてしまうのでしょうか。
先日ある記事を読んでいた際に、「役割語」という単語を知りました。
日本語学者による造語のようですが、ウィキペディアによりますと、
話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層・時代・容姿・風貌・性格など)を想起させる特定の言葉遣いである。主にフィクションにおいてステレオタイプに依存した仮想的な表現をする際に用いられる。
とあります。
わかりやすい例えだと、
おじいさんが話すのだとしたら、語尾は「~じゃ」とか、
少し高貴な女性が話すとしたら、語尾は「~なのかしら」とか、
嫌味な人の話し方だと「~ざます」
というようなイメージですよね。
こうした、人物が特定されるような表現を「役割語」というのだそうです。
そして、前述した会議の場での発言に当てはめて考えてみると、主張したい内容があったとしても表現する方法は無数にあって、その中からあえて自らが選び取った表現があり、その決定によってその人の人物像も決まってしまうということですよね。
ダメな表現を使用し続ける政治家は、人として「ダメな政治家」のレッテルが貼られます。
会議で失言をし続ける人も、またやらかしそうだなと「失言癖のある人」として周囲に認知されます。
となると、当事者として考えなければならないのは、「自分に求められている役割は何なのか」ということを知ることですよね。
政治家もそうですが、組織のリーダーのような立場であれば、リーダーとして求められている役割をいかに認識するか。
自分がその人の部下である視点から考えてみてもいいかと思います。
常に新たな失言を期待されるリーダー像なんて、本意ではないはずなのです。
そんなのは天然系の芸人くらいですよね。彼らだってもともとは本意ではなかったでしょうし。
本来知らず知らずのうちに、人は求められている役割を演じているはずです。
仲間と一緒にいる時には「オレ」という人も、大勢の前で話すときには「私」という主語にして使い分けていますよね。
ここの部分をもっともっと意識してみると、自分の発言を受け止めた相手がどのように感じるか、例えこの場にいなかったとしてもそのような表現をされた相手はどのような心証を抱くのか、「想像力の発揮」が強く求められます。
そうした想像力のない人のことを「学がない人」というのではないでしょうか。
自分の過去の失言から学べない人は、思想や価値観の上書きが起こりませんから、結局はまた同じような不適切な言動を繰り返していくのですよね。
今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。
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