hachigatsu_news

曲作ったり絵を描いたりしてます。

hachigatsu_news

曲作ったり絵を描いたりしてます。

最近の記事

Internet Smells 病気 どんな気持ちで作ったか

Internet Smells 病気 どんな気持ちで作ったか。 これは簡単に言えばART-SCHOOLのみたいなイメージとHASAMI groupみたいな気持ち。恋人のことを考えながら書いた。恋人と出会ってまだ友達だった頃のイメージ。鋭くて優しいなという印象があった。俺はその時期は精神的に不安定でお酒飲んで気を紛らわしていた。ツイッターに張り付いて何か思ったことを呟き続けていた気がする。別に悪いことを呟こうとしていた訳ではなくて、なんか音楽を聴いて思ったことやかっこいいと

    • パラダイスガレージが鳴っている部屋(詩のようなもの)

      パラダイスガレージが鳴っている部屋 タバコ臭くなった右手の指 流れが途切れないアルバムを聴いている コンセントの蛸足 燃えてしまったらどうしよう 文章と文章を接続させるのが苦手だ 詩みたいに文が書けたらな ピアノが上手に弾けたらなという感じに近い 僕の外したコンタクトは僕の見た景色を見ていた 目の上を泳ぐ埃 体を横にして部屋の窓から外を眺めていた 僕は何者にもなれずに普通の人生を送っていくのかな 毎日お酒を飲みながら好きな音楽を聴きたい 毎日お酒を飲みながら好きなギターのコー

      • チャザワの記録

        ライブに出るのにも一苦労で2500円のチケット8枚分と機材費3000円を払わなければいけないノルマライブに出て、来てくれたお客さん2人に感謝しながら精算の時にライブハウスの人にお金を払い、軽いアドバイス(いや説教)を受ける。打ち上げという名の酒を飲んでの現実逃避。帰りの電車に乗った俺に残ったのは両耳のピーっという耳鳴りだけだった。打ち上げで飲んだ薄っすいハイボール、あんなまずい酒はもう二度と飲まないと誓いを立てたが懲りずに次のライブ、また次のライブをやっていた。 お客さんの

        • 角谷美知夫、腐っていくテレパシーズを聴いている

          角谷美知夫、腐っていくテレパシーズ テレパシーなんてウンザリだ。から始まる12トラックのCD。途中にはライブ音源も3つほど挟まっていて、当時の70年代後半から80年代の時代の角谷が生きている世界が丸ごと詰まっているCD。このCDは現在1万円くらいするので俺はまだ手に入れられていない。これに1万を払う価値があるかどうかは人それぞれだと思うが、少なくとも俺にはその値段は払えないな。 そんな風に書くと良くないのかというと全く逆でずっとYouTubeでずっと音楽が聴ける時間はずっ

          YOWLL Fesに向けて

          10/27(日)新宿LOFT HALL & BAR「YOWLL  FES」に向けて思うことやら、諸々について書いてみました。 当時俺が高校二年生の頃「シュレディンガーの猫 - EP」がリリースされた。 その頃に森良太さんの書く曲を聞いた。アルバム「NON SUGAR」と『Brian the Sun」をそれから何年もずっと聴き続けることになる。 俺は比較的00年代の日本語ロックを好き好んで聞いているたちで、どのバンドも解散しているか活動休止をしているバンドがほとんどだった。

          YOWLL Fesに向けて

          菓子かごを揺らすバランス

          理由もなくうっすらとずっとしんどい状態が続いている。人と話すときは無理やり明るくしているので話し過ぎた後に後悔の念が俺を襲ってくる。ここ二年くらいは精神状態が比較的安定していたのかもしれない。とうっすらしんどい毎日が続いて、ようやく気づいた。 しんどい時に鬱っぽい曲を聴いて楽になっていた精神だったが、最近はそれも通用しなくなってきていている。というか俺の好きだった音楽が俺だけのものではなく、一般的に鬱な時に聞くと心が落ち着くとかダウナーな時に聞くと良いという人がいっぱいいる

          菓子かごを揺らすバランス

          緑色テクノ

          山沿いの道路ぎわに少し距離を保ちながら立っている家の明かりが、小さいなりに光っていて。階段の踊り場から見えるその明かりが印象的だった。なぜ印象的だったかと言うと特に意味もなく精神が落ち窪んでいる状態でふらふらしていた時に、真っ暗な外をふと見た時に目に入ったからだと思う。普段から目にしている小さな明かりがやけに珍しい感じで見えていたのだ。俺はふらふら歩いてみたり、ベランダでしゃがんでぼーっと音楽を聴いてみたり、自分の描いた絵を遠くから眺めてみたり。 音楽を聴きたくない精神状態

          ワンマンライブ「Charlotte」を終えて

          ワンマンライブ「Charlotte」を終えて 大久保駅は色んな人がいる、若い人から年配の方、色んな人種の人色々な目的の人が都道433号を行き交っている。すれ違う人がお互いを全く気にしておらず今後一生すれ違うことがないかもしれないそんな空間が広がっている。たくさんの物販を折りたたみ式のカートに積み、俺は人とぶつからないようにゆっくりとライブハウスに向かった。 大久保HOTSHOTの小山田さん(ブッキング、PAをやっているメンバーの大学の先輩)の初対面の印象は最悪だった。下北

          ワンマンライブ「Charlotte」を終えて

          フルーツサンド

          僕が小学生の頃、母に連れられて都内の大きめの公園のお祭りのようなものにつれていってもらった。お祭りといっても和風な感じの祭りというより、なんか洋風な感じというかイベントというかそういうやつ。母の大学時代の知り合いがフラダンス的なものに出るのを見に行ったんだと思う。公園の入って少しいったところにフルーツサンドを売っているお店があってそこで好きなものを買っていいよと言われ選んだ。生クリームたっぷり塗られたいちごのやつと、キウイのやつを一つづつ買ってもらった。綺麗に整えられた草が生

          フルーツサンド

          しまうま電車

          *特に意味ないです。 俺の苦悩が冗談にされている。 冗談でした、で済まして笑われている。 誰も俺の見てくれを馬鹿にしていないというポーズを取っているが、実際はどうだ。ずっと馬鹿にされている。 冗談なんだけど、と文末につけて彼と僕は交互に殴り合っている。血の滲んだ匂いが煙みたいに回ってきている。次第に骨の突き出したところが瘡蓋になっている。 瘡蓋のひび割れたところからこっちを覗き見ている。実感するまでのタイムラグをうまく利用して、その場をやり過ごすのはもうやめてくれ。

          しまうま電車

          図画工作

          毎朝、次の日が来てしまったことに絶望する。昨日一生懸命1日をこなして、眠りについたのに、すぐまた1日を始めなければいけないなんて残酷だ。あまりに酷すぎる。人は簡単に絶望できる。5時に目が覚めてしまって、その時間に起きてしまったら、もう一度眠りにつくためには1、2時間かかる。結局寝れる時間は起きてしまった時点で少ないということが明らかだ。 布団を畳んで、ハツカダイコンに水をやって、パソコンの電源を入れた。朝ご飯はあとでいいからとりあえずギターを録音しよう、昨日はシューゲばっか

          第二回 「前作SleepInsideについてとその他の諸々」Ctrl+C&Ctrl+V コラム 

          二週に一回あげれたらいいなと第一回で言ったにも関わらず、数日経ち第二回です。飽きないうちに書いておくのも手かと思うので。今回のアルバムが出て5日経ったわけですが、反響というか皆さん聞いてくれているみたいで嬉しいです、ありがとう。 作曲する時のイメージやら作詞のイメージやらとか、聞いている人には伝わりづらいかなぁ、伝わらなくて当然くらいのマインドで制作しているんですが、エゴサしてみると鋭い指摘やまさにそれです。みたいなこと書かれていて、ありがたいねぇという気持ちになった。みな

          第二回 「前作SleepInsideについてとその他の諸々」Ctrl+C&Ctrl+V コラム 

          第一回 Ctrl+C&Ctrl+V コラム 

          (by八月のニュース) SleepInsideの1年ぶり通算7枚目のフルアルバム「Ctrl+C&Ctrl+V」リリース、そしてキャリア初ワンマンライブ開催に伴い、アルバムについて書いたり、最近のトピックについて書く連載することにした。2週間に一回を目標として載せていこうと思う。 第一回は今回のCtrl+C&Ctrl+Vについて書いていこうと思う。 軽い自己紹介。SleepInsideは八月のニュースの宅録ソロバンドとして2018年8月に活動を始めた。2022年当たりから

          第一回 Ctrl+C&Ctrl+V コラム 

          美術部の頃の話

          高校に入学してから、僕はずっと続けていたサッカーを辞め、美術部に入ることにした。絵を描くことがずっと好きで、中学生の頃は漫画を描いていた。漫画雑誌に投稿などしていていた、もっと絵が上手だったらなと漠然と思っており、美術大学に進学したいと思うようになっていた。1年生の間は男子バレーボール部と兼部しており美術部は週に1度行く程度だった。バレー部の雰囲気が合わなかったため、一年の終わりくらいに辞め、美術部に毎日通うようになった。部員は少なく、僕の学年は僕含め3人しかおらず、しかも他

          美術部の頃の話