悩んでる人、死にたい人、相談窓口はお勧めできない
昨日とか、今日とか、ものすごく死にたくて、いつ死のう?いつ頃なら死ねる?どうやって?などと、さまざまな予定にもならない空想を繰り広げています。
だいたい、どうしよう?となると検索します。
「死にたい」とか「自殺 方法」とか。
でも出てくるのは大体相談窓口ばっかりです。
まあ、出てきたら最後に相談してみようかな、とか思って、安易に電話をかけてみたり、メールを送ってみたりして。
その相談のおかげで状況が良くなったことなんてない。
私の場合は悪化しました。
スタッフが多いところじゃないと、全然繋がらなかったり、返信が来ない。
まず、もう踏み切ろう!と思って、でも折角だし、最後に相談しても良いかな、誰かに聞いてもらっても良いかな、と期待して悩みを打ち明ける気持ちになっている状態で、なかなか返信がなかったら。
少なくとも、「あ〜あ」とはなりますね。
口で、
「自殺したくなったら相談してください」
というのは簡単です。
どんな理由であれ、それを守れないのは酷い話です。
当たり前ですが、所詮はビジネスです。
人がいなければ対応できないし、待っても全ての悩みをわかってもらえるわけでもない。
それに、「人を生かす」ということも、一種のビジネスです。
日本という国の経営のために、働き手である国民を減らさないという、人事ビジネス。
そこに道徳はありません。少子化対策も同じです。
道徳的・哲学的な思考ができる人であれば、解るはずです。
生と死は表裏一体で、生きていれば必ず死ぬ。死ぬということは、それまでは生きていたということです。
ならば、生きる自由だけではなく、死ぬ自由もあるべき。
望んで生まれてきていないのに、勝手な期待をかけられ、さまざまな枠にはめられて、肩身の狭い思いをして過ごすことが、苦痛な人だっています。
それでも安楽死が認められないのは、人が死ぬということが総合的な損失になるから。
国家にとって人口は勢力であり、戦力です。
普段は働かせて国の勢力を高める。
いざとなったら総動員させて、戦争に勝つ。
そんな勝手な理由で、死ぬ自由が奪われているという絶望。
やっと相談窓口につながって、相談しても、結局は人口減少を防ぐための緊急対応、みたいな対応しか受けられなかったです。
深く傷ついた心に、そんなものが響くわけないです。
私はこのまま、うつ病も、強迫性障害も、適応障害も、睡眠障害も、不安障害も、病院で治すつもりがなくなってしまいました。
悪化してくれれば、死ねるかもしれない。
首吊りより、身投げより、精神病で寝たきりになった方が楽に死ねるんじゃないか、と最近は考えています。