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子どもの心理療法の世界

はじめに


子どもの心理療法は奥深い世界です。
私は、臨床心理士として20年間、学校や教育相談施設などで、色々な子どもの心と触れ合い、悩みやしんどさと向かい合ってきました。
あるときは彼らの心の奥底にある豊かな生命力や表現力に心震える自分がいました。
また、小さなたましいに抱えきれない傷つきを目の当たりにしてなすすべもなくうなだれる自分もいました。
こうした子どもたちとの出会いによって、私はセラピストとして成長しやりがいを持って仕事を続けることができています。
今回は、私が出会ったケースを通して子どもの心理療法の世界をお伝えしようと思います。

なお、プライバシー保護のために実際のお子さんとは内容を変更しています。

ある乱暴な子どものケースから


「お前を殺す!」そう宣言した男の子は、私の体を日本刀でめった刺しにしました。
玩具の刀で斬られたので血は流れていませんし、もちろん実際には生きています。
セラピストである私は、想像と遊びの世界の中で斬殺されたのでした。
なぜセラピーの中で私は殺されなければなかったのか?
それは、この男の子の心の傷つきと関係しています。
 
男の子の名は、仮にAくん(8歳)としておきましょう。
Aくんは、学校で他の子に乱暴したり、物をとったりなどの問題を起こしていました。先生の言うことは聞けず、教室を飛び出すこともしばしばだったため学校も手をやいていました。
学校では、こういう子どもは「教室を乱す問題児」という扱いを受けます。また「発達障がいではないのか?」「病院に行った方がいい」などと言われることもあります。
Aくんのお母さんも、たびたび学校に呼ばれて苦労されていました。
そんな中、学校の先生に「Aくんは、情緒的にいろいろ大変そうだから、プレイセラピーを受けてはどうか?」という提案をされたそうです。
 

プレイセラピーとは?


プレイセラピーとは、子どもの心理療法の一種です。
大人の心理療法では悩みや傷つきを言葉にして吐き出すことで心を軽くするやり方をとります。
ただ、子どもや思春期では心の成長が途中なので気持ちを言葉にうまくのせられません。そこで、絵を描いたり体を使った遊びをしたり人形遊びをしたりなどの遊び(プレイ)を通して気持ちを表現させる手法が多く使われます。
私は、教育相談室のプレイセラピストとしてAくんと出会うことになったのです。
初対面のAくんは、年齢にしてはがっしりとした体形でやんちゃ坊主という雰囲気でしたが、なんともいえない愛嬌がありました。そして強気な態度の背後にどことなく怯えを隠しているようにも、感じられました。
お母さんと別れて一緒にプレイルームに入ると、Aくんは「わあ!」と歓声を上げました。
その部屋の中には子どもたちが喜ぶものがたくさんあったのです。
小さなサッカーゴールやボール。トランポリン、ラジコンカーやボールプールなどの体を使った遊具があります。それらを用いて遊べるくらいの広いスペースもあります。ドールハウスや粘土やクレヨン、積み木、そして箱庭療法の砂場やプラレールなどの創作遊びもできるようになっています。
 
プレイセラピーの基本的な考え方は「心の治療には、自由に遊べる安全な環境が必要である」というものです。
つらい出来事や不安などを扱うには、十分に配慮された環境が必要です。
プレイルームは、ただの遊び場ではなく子どもたちが心を開くための表現の場になります。遊具などもそういう目的で選ばれています。

Aくんはさっそくミニサッカーを私といっしょに始めました。1対1でボールを蹴りあい、シュートを決めると「イエーイ」とハイタッチ。
私はいっしょに遊びながら、Aくんがこちらの動きを読んで適度にルールを守っていることを感じていました。
(学校から聞いた話だと乱暴で手がつけられないという印象だったけど、実際には思慮深い子だ・・) 
セラピストは、子どもと楽しく遊びながら一方でその子のコミュニケーションや情緒などを観察しています。
遊ぶこともまた診察の一環なのです。
ゲームが一段落したところで、私はAくんに質問しました。
「どんなふうに聞いてここに来たのかな?」
表情が少し暗くなりました。
「なんかわかんないけど。お母さんに連れてこられた」
「なんでここに来たのか、なんとなくわかる?」
「たぶん・・僕が学校で悪いことばかりしてるからだと思う」
「そうか。じゃあ、叱られたりお説教されると思ってた?(Aくん、うなづく)ここはそういう場所じゃないよ。お母さんは、あなたが色々困ってるんじゃないかと心配だから、相談に来たんだよ。私も、Aくんは何か気持ちがもやもやしているんだと思うよ。(Aくん、うなづく)ここは、自由に遊んで気持ちをすっきりさせる場所なんだ。それから、ここでは何を話してもいい。困ったことや悩みがあれば、私が聞くからね」
と説明しました。
 
セラピーに来る子たちは、(何をされるのだろう?)と不安になっています。(自分が悪い子だから)(親を困らせてるから)という罪悪感を持っている子もいます。
セラピストは、気持ちをほぐして子どもの立場を尊重します。セラピーにはていねいな説明や子どもの同意が必要なのです。

こうしてAくんは2週間に1回のプレイセラピーにやってくることになりました。
 

セラピストの気づき


すぐに私が気づいたのは、彼が大きな音にびくっと反応することです。
そして、自分の弱さを見せたがりませんでした。ゲームで負けることをいやがり、ときにはズルもします。
私の中で、Aくんについてのある「見立て」ができていきました。
 
並行して行われていたお母さんの面接の中で、数年来両親の関係が悪くなっていて、Aくんの前で夫婦のいさかいが絶えないこと、また父親はAくんが小さい時から怒鳴ったり叩いたりすることがあったこと、などが出てきました。
 
子どもの問題行動を考えるとき、目の前の「困った行動」に注意しがちですが、臨床心理では、子どもがどういうふうに生きてきたかを考えます。
怒られておびえた気持ちで育った子どもは、まわりを警戒し心を許さなくなります。また自分の弱みを見せないように、過度に強さをアピールすることもあります。
プレイセラピーで見せる彼のふるまいは虐待的な養育を受けてきたことのサインだったのです。学校での粗暴な行動も、家で父親からされてきた暴力を無意識に取り込んでしまったのかもしれません。

セラピーの深まり

 
さて、プレイセラピーも少しずつ進んでいきました。
体を使った遊びから箱庭づくりへ、Aくんの関心が移ってきたのです。
箱庭療法は、世界で広く行われている表現療法の一つです。砂が入れられた箱の上に自由にミニチュアを置き、心の世界を表現します。
Aくんの箱庭では、はじめは原始人たちが恐竜や猛獣におびやかされている様子が表現されていました。未開の人間は野生の力の前ではかよわい存在です。
私は、(まるで父親の前のAくんの心細さをあらわしているかのようだ)と思って見ていました。
数回のセラピーの中で箱庭の世界は変化していきました。
ある時、Aくんは「フック船長と戦うピーターパン」を置いたのです。
これが何を表現しているのかは明らかでした。
子どもの代表であるピーターパンは、悪い大人のフック船長をやっつけます。
Aくんの心の中で徐々にエネルギーが回復してきたように思えました。
不思議なことに、セラピーが始まると学校での問題行動がおだやかになってきたのです。
おそらく箱庭世界で「戦いのテーマ」を表現できるようになってAくんの心の中で何かが変わってきたのでしょう。
 
プレイセラピーが進み心の深い部分が表現されるようになると、子どもの生活や行動にも変化が出てきます。
私たちの心とふるまいはどこかでつながっています。
Aくん自身が意識しなくても彼の心にひそんでいた怒りやおびえがセラピーの中で受け止められたことが、ふだんの行動に落ち着きを与えたといえます。
このまま問題がおだやかにおさまれば安心と言うところですが、セラピーはここからが大変だったのです。

セラピーの危機:子どもの攻撃性と向き合う


プレイの内容は次第に激しいものになってきました。サッカーや野球ではものすごい勢いでボールが飛び、壁に当たり、棚のおもちゃが音を立てて落ちました。Aくんが攻撃的になってきて、私はだんだんこわくなってきました。
ある時、Aくんの蹴ったボールが私の体に当たり、思わず「痛いじゃないか!」と叫びました。
彼はニヤニヤ笑って「こんな程度で痛いなんて、お前はヘタレだな。俺は平気だ。ボールを投げてこい!」と命令します。
私は恐る恐るキャッチボールをはじめましたが、Aくんは「もっと強く!」と勢い良く投げ返してきます。ボールのスピードはどんどん速くなります。柔らかいゴムボールとはいえ、5メートルくらいの距離で飛んでくると恐怖です。私は「もう降参!別な遊びにしようよ」とギブアップしました。
Aくんは「ギャハハハ」と笑いました。
ある時は、おもちゃの刀を使ってのチャンバラ遊びです。
ここでもAくんの攻撃はしつこいものでした。私を壁に追い詰めて叩いてきます。あくまでプレイでのふるまいとは言え、私はつらい思いをしました。

私の中で、Aくんとのプレイセラピーが恐怖になってしまいました。
 
あるとき、さんざんにAくんが散らかしたプレイルームを片付けながら、ぼんやりと考えていました。
(なんで、自分はこんなつらい目にあわないといけないのだろう?)
そして、はっと気づきました。
(これは、Aくんが今まで父親から受けてきた虐待の再現じゃないのか?)
大人からの理不尽な攻撃や暴力の前で子どもは無防備です。
逃げ場のない恐怖や、いつ叩かれるかわからない不安、そしてやり場のない怒り。Aくんは小さい時からそういう体験で傷ついてきました。
プレイセラピーという場で、それまで抑えていた心の傷つきが表出されてきたのです。
私は心のどこかで、それにおびえを感じていた。それが逃げ腰のセラピーになっていたのです。
Aくんはそれに腹を立てたのだと思います。
 
心理療法というものは、ただ気持ちを吐き出せば癒されるわけではありません。
セラピストが、その人に向き合って受け止めてはじめて変化が生まれます。
秘めてきたネガティブな部分や怒りなどを、セラピストがひるまずに受け入れることで治療は深まります。
セラピストは、自らの中に「気持ちを受けとめる器」のようなものをつくる必要があるのです。
Aくんの傷つきは、楽しいボール遊びやピーターパン人形という枠の中では納まりきれないものでした。互いのリアルな身体を通して表現される必要があったのでしょう。
(俺のことをちゃんと受け止めろ!)という叫びが聞こえてくるようでした。

セラピストの覚悟・そして殺害


私は、じっくり考えて覚悟を決めました。
(今度Aくんが、戦いを挑んできたら、逃げずに受け止めよう)
次の回、Aくんはチャンバラ遊びをしました。互いに刀を構えてにらみ合います。Aくんは鋭い居合で、切り付けてきます。私も刀で受けます。
「さあ、こい!」Aくんが叫びます。
こうなると遊びを超えています。私も応戦し、我を忘れるような戦いが続きました。
ついに刀がぶすっと私の胴を貫きました。
もちろん本当にではありません。あくまでジェスチャーではありますが、本当に切られたように思いました。
私は崩れ落ち、Aくんはまたがって、何回も刀でとどめをさしました。
私はそこにしばらく横たわっていました。もうろうとして自分は本当に死んだように感じていました。
Aくんは、毛布をもってきて私の上にかけてしばらく見下ろしていました。やがて、「もう起きていいよ」と声を掛けました。
私は、のそのそと起き上がり、二人はなんとなく並んで座りました。
そのままセラピーの終了まで無言のままでした。
 
彼が帰った後、(もしかするとAくんはもうセラピーに来ないかもしれない)という不安がありました。
彼は攻撃性を表現し、プレイの世界で父=男性セラピストを倒すことができました。
それは一つのセラピーの成果でしょうが、楽しい場所だったはずのプレイセラピーが、心の修羅場のようになったことで、Aくんに罪悪感を背負わせたのかもしれません。
果たして、その次の回は体調不良でキャンセルになりました。私は、しばらくこのセラピーが果たして正しかったのかを悩みました。
 
しかし2週間後、Aくんはやってきました。少し大人びた印象になった彼は「キャッチボールやろうよ」と声をかけてきました。Aくんの投げるボールは、こちらが取りやすいタイミングやスピードです。目線で間合いをとって、互いが心地よくキャッチしやすいボールのやり取りが続きます。私は、ボールの感触を確かめながら(Aくんの中で何かが変わってきた)と感じました。
 

死と再生の物語


 プレイセラピーでは、大事な局面で「死と再生」がテーマになります。
セラピーが心の深い部分に達するとき、死をテーマにした表現が登場し、そこをきっかけに子どもの新しい世界が広がることがあります。
しかし、イメージの世界とはいえ、死は死ですから、子どもとセラピストにとってハードな体験になります。

もともと子どもにとって成長することは時に命がけの体験です。
虐待を受けてきたAくんには生きることそのものが戦いでした。
そういう子たちの心は、死がとても近いところにあるのです。
Aくんが傷ついた心を再生するには、セラピストと共に命がけで「死のイニシエーション」を体験する必要があったのです。

その後Aくんは落ち着いて人と付き合えるようになっていきました。おびえたり、無理に自分を強く見せなくても、そのままの自分でいられることができるようになったのです。現実の世界で再び生を取り戻したのです。

プレイセラピーの魅力


プレイセラピーは楽しいだけではなく、心の傷と向かい合う、しんどい体験でもあります。セラピストは、プレイの中で子どもの悲しみや怒りに出会います。そこに寄り添うことで、心が回復し成長していけるように援助します。セラピーのプロセスは平たんではありません。
セラピストは相当な心のエネルギーを使います。
ただ私はこの仕事に大きなやりがいを感じます。
それは、子どもたちの治癒力のすばらしさや心の世界の奥深さに魅入られているからでしょう。

#天職だと感じた瞬間   


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