言葉を知らないのも良い人生
最近、「良い人生とはどんな人生?」
っていうのを日々自問自答しているんですけど、
良い人生を送る上でこれから幸福度を高める上で大事にしたいと思ったことを今日はつらつらと書いていきます。
タイトルにも書いてある通り、「言葉を知らないのも良い人生」っていうことなんですけど、今の時代って色々な言葉に溢れ返りすぎていて、言葉に出会う回数も言葉に触れる回数もめちゃくちゃ多いと思っているんですよ。
人生が辛いときに心の拠り所になってくれる言葉、何か挑戦をする時に背中を押してくれる言葉、とか、インターネットショッピングをする時に購買意欲を掻き立ているような言葉、もしくは今自分がいる別の環境で過ごしている人(自分とは違う職種の人や違う学校の人)の言葉がiPhoneなどの画面を手でスライドさせるだけで一瞬で見れると思います。
これを見て最近思うのが、言語化することが人類史上、上手くなっている人が1番多い時代なのかなと思いっていて。
もしくは視点を変えると、文字として可視化されているが故にそう感じるだけなのかなとも思っていて。
結論どっちでも良いんですけど。
何が言いたいかって言うと、
言葉って人間の感情を動かせるツールの1つだと思っているんですよ。
誰しも常日頃から言葉は当たり前のように使うと思うんですけど、
進学や就職などの面接だったり、人生の分岐点となるところでどんな言葉を吐くのかどんな言葉を使うのか、っていうのは繊細になる人が多いと思います。
ただ人生の中で何か選択をする時とか何かを選ぶ時って結構無意識の世界なものが多いと思っていて。
「なんとなくこっちの方が楽しそう」とか「知り合いに誘われてみて」とか言語化なんかわざわざせずに心の赴くままに行動してる気がするんですね。
いちいち行動する理由なんかつけないと思うんですよ。
今の時代みたいに言葉が溢れ返りすぎていると、
何かちょっとしたことでも行動する時や選択する時にはこうしないといけないとかこうあるべきなどのMust論が多すぎると思っていて。(SNSやYouTubeなどでよく見るやつ)
で、色々な言葉を見過ぎるとポジティブな言葉もネガティブな言葉も脳みそに植え付けられちゃって行動することに対しての制限がかかってしまったり、中々一歩踏み出せない人とか増えているのかなーと思っているんですよね。
例えると、聞いてもないのにガミガミ説教される感覚になのかなって思ってます。
過去の人が中々言語化できなかったモヤモヤを言葉にできる人はかなり増えていて感銘は受けるんですけど、言葉を知らないからこそ行動できるとか能動的に自ら選択するということ思うんですよ。
言葉を知ったり違う考え方を聞いたり、見たりすると誰しも感情よりも論理で物事を考えるように無意識になっていくと思います。
誹謗中傷や批判を受ける人とか病んでしまう人は、脳みそや心の中に誰かの言葉が刺さりまくるんですよね。
だからこそ、SNSを見ない勇気だったり、自ら携帯の使い方を制限して言葉を知らないように生きることは現代を生きる上でかなり大事なんじゃないかなーって思った次第です。
おわり。