働くってなんだ?
夫の転職によりサンフランシスコに引っ越し、
2年前、私はいきなり無職になった。
英語学校に通っているので、一応、学生という身分か。
渡米するまでは東京で自営の飲食業、朝9時から入り帰りは夜中の1時を週6。1日のほとんどが仕事が占めていたので、学生になってからは、労働から解放された気分でとても楽しかった。
最初はね。
英語学校で誰かと会話すると、
What do you do? 職業はなんですか?←名前の次に聞かれること。
I"m a student and housewife(主婦)
何回も繰り返される質問に、私は段々居心地が悪くなっていった。子供もいない中年女に、働かない理由が見つからないからだ。
何か適当に軽く働きたい、人に言える肩書きがあればいいや。そんな気持ちになっていった。
とりあえずメキシカンレストランにキッチンの職を見つけ、週3で働くことにした。
店のレベルにもよるとは思うが、アメリカのレストランは効率が重要視されている。仕事は分業化され、プレップ(仕込み)専門の人と、仕上げ調理する人が別のことも多い。
誰かが急に休んでも、仕事はマニュアル化されているので、それほど困らない。誰かの穴は誰でも埋められる。感心するほど合理的。昨日まで来ていた人がいきなりクビ、または従業員の方で突然来なくなることも少なくなかった。
お互い干渉せず、割り振られた仕事を個々にこなすのみ。
携帯を見ながら仕事する者もいるくらい、責任は軽く、簡単で、私が正に望んだ良い環境だと思ったが、、
なんだろう、何かが違う、、、結局2ヶ月あまりで辞めてしまった。
正直に言おう、日本で店まで構えた自分がこんな簡単な仕事やってられっか、と奢った気持ちもあった事を。
それからは個人的にオーダーが来たパンやケーキ、和菓子などを自宅で作りレストランや日系のスーパーに卸して、儲けより、無理のないスケジュールと材料、出来に重きを置き、ゆるゆると働いた。
・・・・が、物足りない気持ちがいつもあった。
そんな時に、人が足りないからバイトに来ないかと、近所に住む日本人に誘われたのだ。
キンパ(韓国海苔巻き)を巻く仕事だ。誰でもできる簡単な仕事だと言う。早朝の4時間、時給20ドル、悪くない。
とりあえず、雇う側も私もお試しでやってみることになった。
オーナーは韓国人、朝の4時、アトリエに到着すると、日本人二人、韓国人一人が出迎えてくれた、というよりキンパを巻きながら、挨拶だ。笑顔を見せながらも、手は休めない。
大テーブルに私の分の巻き簾と手拭きとゴマ油の入った器が既に準備されていた。手前にエプロンと髪の毛ネットと手袋。着いて2分後には、私は見よう見真似でキンパを巻いていた。
このバイトは朝のファーマーズマーケットに卸すためのもの。とにかくスピードが勝負だ。
班長の韓国女性はさらに1時間早くきて材料の米を炊き、具材を刻んでおいてくれている。タイムリミットはオーナーが7時30分に取りにくるまで。
ノルマはない、巻けるだけ巻く、それが私達の仕事だった。
巻き終わったキンパは自分の横のトレイに乗せていくので、誰がどれだけ巻いたか如実にわかる。班長のは重さと巻きが均一で、しかも早い。誰でも出来る仕事と言われたが、均一にするのは難しい、歯応えが違う。どんな簡単な仕事も極めるなら奥は深い。
誰もが無心で競うように巻いていく。皆についていくように必死で作業していくと、手につける私のゴマ油もみるみる無くなっていった。
あ、ゴマ油が欲しい、でも、皆んな集中しているから言い出しにくい、、
と思った瞬間に前方からスッとゴマ油が足された。
はす向かいの班長が気づいていたのだ。彼女は自分の仕事をこなしながら、チームの状況を把握していた。私が顔を上げると目が合い、
大丈夫、その調子、そのまま続けて、と言う笑顔が見えた。
たかがゴマ油、だ。
だけど分かった、
私が欲しかったのはこれだ。
自分だけの作業だけでなく、お互いを気遣いカバーするチームワーク、それが一人で出来る何倍もの成果になる。
ノルマが無しだからと言ってサボる気配は微塵もなく、誰もがベストを尽くしている。
ゾクゾクした。いい意味で。
良い労働環境は作業内容のプライドの問題じゃなかった、
仕事に対する本気度だ。
こんなことで涙が出そうになるなんて、笑われそうで言えなかったが、私は胸が痛くて仕方なかった。久しぶりにこんなに一生懸命誰かと一緒に仕事ができた。
オーナーが出来上がったキンパを車に積み込み、朝の8時。やれやれと一息つく頃に、賄いが振る舞われた。残り物なんかじゃない、班長が朝早くからわざわざ仕込んでくれていたおかゆや韓国惣菜だ。
同じ釜の飯を食う。
日本の飲食業ではよく見てきた光景だけれど、分業、合理化されているアメリカではこれも珍しい。
不意に日本の店でシェフが言った事を思い出した。
一緒に大変さを味わい、一緒の釜の飯を味わっていかなきゃ、仕事の絆なんか生まれないっすよ。きちんとした飯を出すってのは 労いっすからね。いわば働いてもらっているというリスペクトっすよ。
出来立てのお粥は寒い朝に染みた。
初日の私の巻きのスピードと正確さは班長の3分の1以下だっただろう。だけど、やる気を認められた。ぜひ、続けて欲しいとの言葉ももらえた。『誰でも良い、代わりはいくらでもいる』ではなく、自分が求められる、これは働く意義の一つとして大きい。
働くってなんだ?
自分次第でつまらなくも面白くも出来るもの。
中途半端に取り組む仕事は、楽であってもつまらない。労働自体がキツくても打ち込める内容、助け合える仲間がいるならば、給料以上の何かを得られる。そして私はここでやっとそんなチームに入れた。
がんばれ、これからの自分!!
見ていて、ここからが私の本領発揮!!