- 運営しているクリエイター
#東京名物
【人生最期の食事を求めて】八丁堀の路地裏に見出す居酒屋の慈愛。
2024年8月4日(日)
お食事処いち(東京都中央区八丁堀)
満ち足りた疲労感のせいだろうか?
それとも熾烈な炎を浴び続けている日々のせいだろうか?
極端に減らしているアルコールを求めて、私は慣れない街を歩き続けた。
隅田川と亀島川とが交錯する町、八丁堀。
江戸時代初期に八町の長さの堀が作られたことから、まさに文字通りの町名が名づけられたという。
この地には江戸町奉行所に司法を担う与力や警察
【人生最期の食事を求めて】灼熱を吹き飛ばす色鮮やかなかつお刺し。
2024年8月1日(木)
和田家(東京都中央区日本橋茅場町)
“芭蕉野分(のわき)して盥(たらい)に雨を聞夜哉(きくよかな)”
江戸時代を代表する俳人の松尾芭蕉の俳句である。
俳句内にある芭蕉とは大型の多年草(バナナ)を刺し、野分とは野を分けてしまうほどの強い風、つまり台風を指す。
「庭に咲く芭蕉が台風によって激しく揺れ、家の中の盥に落ちる雨漏りの音を聞く夜もあるものだ」
を意味する。
その
【人生最期の食事を求めて】変貌と拡張を続ける東京駅で喰らう立ち鮨様式。
2024年6月23日(日)
立鮨 すし横 ヤエチカ店(東京都中央区八重洲)
傘を差すか差さぬか微妙な霧雨がずっと降り続いていた。
日本人なら傘を差すが外国人は一様に傘を差すことがないのは、おそらく文化の中で育まれた習慣だろう。
つまり、彼らは濡れようが濡れまいが多少のことはどうでもよく、そういった自己判断の中に他者の視線を気にするという考慮は微塵もない。
日本橋から東京駅への道程で、開発に次ぐ
【人生最期の食事を求めて】驚嘆すべきポーク生姜焼という山頂。
2024年6月22日(土)
人形町かねき亭(東京都中央区人形町)
谷中から千駄木、そして根津に通ずる路を久方ぶりに歩いた。
いわゆる“谷千根”と呼ばれるエリアである。
太平洋戦争の戦禍を免れたこのエリアは、夏目漱石、森鴎外、高村光太郎といった文人たちが一時期を過ごし、東京大学や東京芸術大学といった文化・芸術が香る、まさしく文教地区という名にふさわしいエリアでもある。
だからこそ、若い頃の私はそ
【人生最期の食事を求めて】意志と欲望の相克に埋没するカレー南蛮の悲哀。
2024年2月25日(日)
更科布屋(東京都港区芝大門)
あのそこはかとない静謐、張り詰めた緊張感、他者との距離感、そして書籍たちとの緊密感と薫りの放出、……昔から図書館が好きでたまらなかった。
一時期は“図書館フェチ”と揶揄されても仕方ないほどの偏執ぶりを有していたことは否定しない。
その中でも東京都立中央図書館の存在は、どこか抜きん出ていると言ってよい。
緩やかな丘陵地と狭い道幅、世界各国
【人生最期の食事を求めて】老舗ロールキャベツシチューへの耽溺。
2024年1月28日(日)
アカシア羽田空港第2ターミナル店(東京)
私は常々、人生最期の食事はシチューが良いと想い募っている。
そこに理屈などなく、この世から去ることを理解した上で最期に何を食べようか、という直感的な問いから見出した答えに過ぎない。
もっともなんらかの病状によって死が迫ってきたとしたら、その時はシチューどころか病院食もままならないはずである。
だからといって、自己の人生の終着を
【人生最期の食事を求めて】古本とカレーの街で唐突に出逢う四川麻婆豆腐。
2024年1月27日(土)
四川料理 川国志 神保町店(東京都千代田区神田神保町)
JR総武線とJR中央線とが擦過する轟音、学生たちの弾むような歓声が御茶ノ水駅の真新しい駅舎に反響していた。
昔の御茶ノ水駅と言えば、現政権政党と結託した怪しい勧誘者や手をかざす不審人物たちが其処此処に跋扈していたものだが、もう一掃されて地下に潜ったのだろうか?
1月とは思えない強い日差しがそんな不意の想念を打ち
【人生最期の食事を求めて】伝統と現代が交錯する江戸前蕎麦の新風。
2024年1月26日(金)
蕎肆 穂乃香(東京都墨田区緑)
歩き疲れていた。
昼前に天丼を平らげたものの、ひたすら歩いているとやはり空腹が訪れるのも早い。
大横川親水公園のベンチで午後の穏やかな陽光を浴びながら、ミネラルウォーターを体内に流し込んだ。
その陽光は春に間違いなく、草花は早々に息吹を取り戻し桜は前のめりに咲こうとしている。
私は再び腰を上げて再び歩き始めた。
街の光景は下町の住宅街
【人生最期の食事を求めて】下町天丼の物静かな気概と伝承の諸問題。
2024年1月26日(金)
天重(東京都墨田区太平)
JR錦糸町駅に降りた。
少し風が強いものの、1月にしては生暖かく過ぎ去っていく余韻に肌寒さの微塵もなかった。
錦糸町自体不慣れな街だった。
敢えて言えば、私は若い頃から下町と言われる東を苦手としていた。
私が首都圏の西側の片隅に住んでいた頃、敢えて東側をあえて避けていた。
それは、第二次世界大戦後の米ソ2大国を軸として東西を分断した東西冷戦
【人生最期の食事を求めて】新橋の片隅に潜むスパイスカレーの秀抜。
2024年1月25日(木)
THE KARIザ・カリ(東京都港区新橋)
宇宙までもが透けて見えるかと思うほどの青い空が、どこまでも無限のように広がっているようにしか見えなかった。
昔の記憶をなぞるように、早朝の山下公園に赴き、変貌したみなとみらい21に聳え立つビル郡の屹立に心静かに驚嘆し、溜池山王に出向いては午前を終え、新橋を歩く頃には12時30分を過ぎていた。
混雑と猥雑極まりない新橋の中
【人生最期の食事を求めて】濃厚なカレー南ばんに宿る老舗蕎麦店の矜持。
2023年12月9日(土)
翁そば(東京都台東区浅草)
上野に降り注ぐ朝の日差しは、あたかも春の装いのようだ。
ロングコートやダウンジェケットを着用する姿が目立ったが、その陽気に表情を緩ませ軽やかな足取りで歩みを進めていた。
東京で芸術の一端に触れるならこの街に限るのだが、およそ30年振りに訪れてもその賑わいは途絶えることを知らないようだ。
しかも、「モネ展」の人気は凄まじく、入場制限と人の群
【人生最期の食事を求めて】行列を結ぶオムライスの誘惑。
2023年12月8日(金)
キッチンハレヤ(東京都港区浜松町)
常々ながら理想的な生き方を夢想し、その実現を模索する。
それは物を所有しないことであり、その究極の形はホテル暮らしである。
それこそ御茶ノ水の山の上ホテルに定住し、原稿を書いて生きるというライフスタイルは学生の頃の遠すぎる憧れである。
私が会社を退職した理由のひとつには、いまだ捨て難い理想の実現のためでもある。
家族も住宅も自家用