【人生最期の食事を求めて】行列を結ぶオムライスの誘惑。
2023年12月8日(金)
キッチンハレヤ(東京都港区浜松町)
常々ながら理想的な生き方を夢想し、その実現を模索する。
それは物を所有しないことであり、その究極の形はホテル暮らしである。
それこそ御茶ノ水の山の上ホテルに定住し、原稿を書いて生きるというライフスタイルは学生の頃の遠すぎる憧れである。
私が会社を退職した理由のひとつには、いまだ捨て難い理想の実現のためでもある。
家族も住宅も自家用車も所有せず、物にも他者にも会社にも縛られない。
そんな理想が幼少の頃から私の中で蠢いていた。
それゆれか、自動車免許の取得も拒絶してしまったのだが。
時に他者は私を“奇人変人”と呼ぶが、そう言われても人間の性分というものは変わらないし変えようもない。
山の上ホテルは無理だとしても、ビジネスホテルを転々しながらその地その地の美味や美酒を堪能し、仕事をするというライフスタイルの理想は捨てていないし捨て切れてもいない。
浜松町。言わずと知れたビジネス街である。
まだ私が首都圏に住んでいた頃、その街は古びた雑居ビルが連なり、その隙間を縫う東京モノレールの街という印象しかなく、羽田空港を利用する時に乗り換えるしか接点はなかった。
だが、芝や大門を中心に現在ではインバウンドが集積するエリアと化している。
そんな街も次第に馴染み、東京滞在の際の起点とするようになった。
羽田空港へも東京駅へも、そして地下鉄で都内のどこへでもアクセスできるという意味では、この街の無味乾燥を凌駕する魅力と個人的に思う。
もちろん、昼時はコロナ感染の沈静化とともにどの店も混雑を極める。
その時間を回避するのも心得てはいるが、空腹を満たすためではなく入店できるために時間をずらすという本末転倒ぶりは東京に限ったことではない、と自分に言い聞かせている。
13時30分を過ぎていた。
私の足は新橋方面を向きながらも、浜松町の路地裏に点在する小さな店を見つけてはその足を止めることを繰り返した。
「キッチンハレヤ」というこじんまりとした小洒落た店の前で、それに不似合いな男性客が列を作っていた。
どうやらオムライスを強みにしている店なのだが、なにせ女性客が少ない。
その理由は「ライス全品大盛無料」という三角看板にあった。
ところが行列が店の前にある以上、そこにならうことはない。
別の店を見つければ良いだけだ、と言い聞かせて私は再び歩き出したものの、その試みは頓挫した。
奥に向かうほどに店の姿はなく、すぐさまそそくさとその店に戻った。
14時前ということもあり流石に行列は幾分減っていた。
あらためて最前列に立ち尽くす若者の後ろに立つことにした。
明るく朗らかな女性スタッフが店の奥からやってきた。
「1名様ですか?」
すぐさまに返答すると、
「入ってすぐ右に券売機があります」
と案内されながら店内に入っていった。
外観同様、店内もこじんまりとしていて、それに不相応な男性客が寡黙なまま食する姿が並んでいる。
券売機で「チキンカツオムライス」を選び、席に座ると先程の明るく朗らかな女性スタッフが水とともにチケットを受け取る際に、
「大盛でお願いします」と伝えると如才なく、
「かしこまりました」と返答してきた。
奥の厨房から重厚な音が響いてきた。
待っている客の数を想像すると大量のライスを炒めているに違いない。
そして明るく朗らかな女性スタッフが外の行列に目配せしながら、そつなく配膳している。
先に左隣の若者客にチキンカツオムライスが届いた。
が、若者客はすぐに食べようともせずスマートフォンを右手の人差し指で仕切りにタップし続けていた。
そこに私の前にもチキンカツオムライスが置かれた。
目視だけでも卵の弾力と振動が伝わってくるオムライスの上に、大ぶりのチキンカツが大胆に横たわり、デミグラスソースの深い薫りが緩やかに漂う。
キャベツサラダを食しながらどの位置から食べ進めるか考えるも、ひと切れ目のチキンカツを攻略しないことには前進しない。
デミグラスソースを纏ったチキンカツは、意想外にも優しい風合いで私の口中に押し寄せた。
そしてオムライス本体に切り込んでいった。
ライス自体には粘り気がなくむしろ幾分固い印象で、ライスが口内で解けていくような感覚と言えようか?
他方で、左隣の若者客が食べてはスプーンを置きスマートフォンをいじり続けていた。
スマートフォンを一瞥すると、どうやらゲームらしきアプリに興じ続けている。
私はそれを無視するように努めるために、デミグラスソースを随所に絡めながらチキンカツとオムライスを交互に食べ進めた。
が、左隣の若者客の指先は一向にスマートフォンの画面を叩きつけ、時折小休止のようにスプーンを持つという始末だった。
私のスプーンは俄に速度を上げて食べ進んだ。
異様なほどの苛立ちを覚えたのだ。
喜怒哀楽という日本が有する基本的感情の中で、私には怒の感情は他者よりも低い。
しかしながら、行列店で少なからずまだ待客がいる状況、さらに目の前にある熱量を楽しむ料理を疎かにしてまでゲームに興ずる神経が私の食べ進める速度を早めた。
私は急ぎ足で食べ進めながら、まるでソクラテスが若者に説教するように心の中で彼にこう忠告した。
『若者よ、君はゲームをするために行列店に並び、ゲームのついでに食事をしているのか?
そして、まだ外で並んでいる待ち人がいることを想像できないのか?
禅語に“喫茶喫飯”という言葉を知っているだろうか?
お茶を飲む時も食事をいただく時もそのことだけに集中し、ありがたく丁寧にいただくという意味だ。
昨今、マルチタスクという言葉が流行ったが、人間の脳はマルチタスクを処理するほど自由自在ではない。
若者よ、君はゲームをしながら食事を食べ終えた時、チキンカツオムライスの美味しさを語ることができるのだろうか?』
私までが食べることに集中することができないままに完食に至った。
すぐさま店を離れよう。
この若者から遠ざかろう。
私は慌ただしく店から出ようとすると、
「ありがとうございました」
と背後から明るく朗らかな女性スタッフの優しい声音が届いた。
少しでも冷静を取り戻そうと芝公園で小休止することにした。
初冬とは思えない温もり溢れる午後の日差しは、オムライスの店名のように私を穏やかに包み込んでいった。……
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