【人生最期の食事を求めて】銀座の片隅で出逢う四川麻婆豆腐の激震。
2024年2月24日(土)
徐家(東京都中央区銀座)
吹き去る風には晩冬の余韻が幾分残るものの、晴れ渡る空にはもはや春の兆しが溢れているように思われた。
となると私の足取りも軽やかに歩みを刻み、銀座に足を伸ばした。
振り返ると銀座には用もないのにしばしば訪れている。
ただ、土曜日の銀座は久々のような気がした。
混沌とした新橋を抜けて銀座通りに入った。
ちょうど歩行者天国が始まり、蒼穹の下にはパラソルや椅子が設けられ、そこにどこからともなく人々が集まって来る光景も昔と変わりなかった。
変わったものと言えば、紳士淑女が身だしなみを整えて散策する、いわゆる“銀ブラ”は過ぎ去った情景の断片に過ぎず、今では洋の東西を問わず多くの外国人が辺りを占めていた。
そして、百貨店の衰退に合わせて世界のハイブランドやファストファッションブランドのビルが軒を連ねて人々を吸い尽くしていた。
ここ30年の銀座の表情の変貌は、この国の象徴的光景とも言えようか?
いずれにせよ街、とりわけ銀座は世相やトレンド、そして時代を物語る。
あの時代の何か輝きを放つような空気感や勢いは、もう取り戻すことはないのかもしれない。
それでもなお人を呼び寄せながらも突き放す魅力、高尚な文化的な薫りは、この街でしか味わうことができないだろう。
銀座一丁目と銀座桜通りが交錯する交差点で右折し、長く細く伸びる一方通行に足を向けた。
銀座通りとは異なる殺風景な雑居ビルの連なりの中に、四川料理のランチメニューの案内版に出くわした。
時刻は12時30分を過ぎていた。
急に空腹を覚えてもおかしくない頃合いだ。
道の奥のほうには和食やラーメンといった店もあったが、四川料理に出逢ってしまった以上もう前には進むことはできない。
「イラシャマセ」
レジ前に立つ女性スタッフのぞんざいな口調で出迎えられた。
土曜日ということもあってか店内は閑散としている。
テーブル席でスマートフォンを食い入るように身続けながら麻婆豆腐を食べ男性客の横を通り過ぎ、中央のテーブル席に座った。
テーブルには週替りランチメニューが置かれていた。
私にとって四川料理とは、麻婆豆腐が筆頭であり揺るぎのない選択肢に違いなかった。
ぞんざいな口調の女性スタッフを呼び、週替りランチメニューのひとつである「本格四川マーボー豆腐」(1,100円)を告げた。
定期的に入ってくる客は一様に中国語を駆使している。
中国人に親しまれているのだろう、と勝手に想像しているとそれは現れた。
深紅のベールを被ったかのような麻婆豆腐からは山椒の薫りが馥郁と漂い、否応なく私の食欲を揺さぶる。
それどころかスプーンで一口食するや否や、食欲は無言の雄叫びを上げながら次々と麻婆豆腐を招き入れた。
当然のようにライスを欲し、瞬く間にライスが消えてなくなる。
副菜の漬物とスープで小休止を自らに課しながら、ぞんざいな口調の女性スタッフにライスと水のお代わりを求めた。
気づくと私のこめかみから眼の下にかけて、小さな粒上の汗が滲み出てきた。
この感覚だ、と私は強く思った。
強烈な山椒がもたらす目尻に浮き出る汗こそ、私にとっての四川料理の原点なのだ。
ただ辛いだけでなく、ただ激しいだけでなく、痺れる感覚と目尻に浮き出る汗という関係。
なんと淫靡な響きであろう。
私は静かな興奮に浸りながら、最後の一滴まで逃さぬように食べ尽くした。
杏仁豆腐の甘さは、麻婆豆腐が強烈過ぎたせいだろうか?
それはさておきとして、汗を吹いて残りの水を飲み干して外に出た。
コートのジップを上げずに外気を受け入れながらしばらく歩いた。
薄っすらと汗ばんだ上半身に晩冬の微風が優しく流れ込んで落ち着きを取り戻したが、
その微風は確かに冬の終焉、それとも春の到来を告げる歓びを忍ばせていたような気がした。……
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