【人生最期の食事を求めて】意志と欲望の相克に埋没するカレー南蛮の悲哀。
2024年2月25日(日)
更科布屋(東京都港区芝大門)
あのそこはかとない静謐、張り詰めた緊張感、他者との距離感、そして書籍たちとの緊密感と薫りの放出、……昔から図書館が好きでたまらなかった。
一時期は“図書館フェチ”と揶揄されても仕方ないほどの偏執ぶりを有していたことは否定しない。
その中でも東京都立中央図書館の存在は、どこか抜きん出ていると言ってよい。
緩やかな丘陵地と狭い道幅、世界各国の大使館の点在、そして広大な有栖川宮記念公園の中央に鎮座する中央図書館ほど私に静かな興奮を宿すものはない。
夥しい蔵書の中から珍しい本を見つけ出しては手に取り、時に夢中になりながら、時に睡魔に誘惑されながら、気になった本の中に埋没してゆく感覚はおそらく永遠に忘れることはないだろう。
ひとときの自己埋没を終えて図書館を後にすると雨が強くなっていた。
眼光鋭い警察官が冷たい雨に濡れながら立ち尽くしていた。
現在、緊張状態にある国の大使館を警護する任務とはいえ、どことなく切なそうだった。
坂を下り、六本木を抜け、気がつくと芝公園に辿り着いた。
不思議なことに図書館から芝公園の間、これといった飲食店に出逢うことができなかったのだ。
日曜日の昼下がり、しかも冷たい雨という条件で見逃した店もあることだあろう。
ともあれ、15時になろうとしていたこともあり、空腹と肌寒さも手伝って以前から頻繁に通りかかる蕎麦屋の前で足を止めた。
昼と夕刻の微妙な狭間だというのに、店の中は多くの客で埋め尽くされていた。
礼儀正しい男性スタッフが出迎えた。
「真ん中のカウンター席へどうぞ」
店のほぼ中央を大きな四角いカウンター席とその周囲を取り囲むようにテーブル席が配置されていて、家族連れや男女の2人連れという客がすでに蕎麦をすすっていた。
まずは温かい番茶を飲みながら、今月の変り蕎麦である「梅切りそば」に一瞬興味が注がれたものの冷え切った体がそれを阻み、直感的に「カレー南蛮そば」(950円)を礼儀正しい男性スタッフに伝えた。
その矢先に些少ながらの後悔が芽生えたのだ。
1791年(寛政3年)に創業という230年以上の伝統を、カレー南蛮そばによって打ち消してしまいはしないだろうか?
しかも更科というデリケートな風味なら尚更だろう。
私の意志は確かにカレー南蛮そばを欲していないのに、私の欲求は確かにカレー南蛮そばを欲している。
意志と欲望との二項対立的様相の中で、意志は欲望に屈したのだ。
「はい、お待たせいたしました。カレー南蛮そばです」
カレー風味を漂わせたトレイが私の目前に飛来した。
極めて一般的なカレー南蛮そばである。
鶏肉の中から埋もれた麺を引き揚げた。
黄金が渦巻くような汁の中からカレーに抱かれたそれは、至ってシンプルで特筆すべき特徴はカレー風味によって打ち消されている。
知らず知らずのうちに体は温まってくると、私の欲望は勝ち誇ったように私の意志を嘲笑いながら鶏肉をついばんだ。
もちろんカレー風味をしっかりと纏っているものの、鶏肉の堂々とした蛋白ぶりはカレー南蛮そばの中で異質の存在感を示していた。
完食する頃には全身はすっかり温まっていた。
人間とは我儘なものだとつくづく思ったのは、欲望を満たされた途端に意志が再び気力を取り戻すということだ。
次回こそ、この店の真骨頂を垣間見るために今月の変り蕎麦を注文しよう。
外で吐く息は心なしか白くなりかかっていた。
明日が2月26日であることにふと気づいた。
88年前のあの日は雪が降り積もっていたという。
私は再び意識的に大きく息を吐いた。
その浮薄な存在は虚空の中に矢庭に消えていった……。
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