この世は『夢』。
この間、リーマンおじさんと呑んだ時に、
「定年後は子供の頃にやりたかったミニ四駆をやりたいんだよね~」
と仰っていた。
毎日クソつまんないルーティンワークをこなしている御方だ。
私はある種の衝撃を受けた。
大学出て結婚して家買って子供育てて会社でルーティンやって、
「ミニ四駆」をやりながら死んでいく人生とは、、、
さて、
よく睡眠中の夢の中で「これは夢だ!」と気が付くことがある。
その時は「ああ、これは夢だから何をやっても大丈夫だ」と
高い場所から飛んだりして、そのまま飛行したりする、
「やっぱ夢だったな」と思いながら。
此の世も同じである。
「これは夢」なのであり「いつか必ず終わる」のである。
だから「何をやっても大丈夫」なのである。
例えば「女に食わせてもらいながらミュージシャンやる」でも全く問題ない。
何度も言うが、
これは夢だから「何をやっても大丈夫」なのである。
だったら飛んだ方がいい。
一方、
「夢」であることを忘れて「生活がー、家庭がー、ローンがー」と言って、やりたいことをやらない人がいる。
あるいは「音楽じゃ食えないしな~」とくすぶりながら下北沢の音楽バーのカウンターで若い女相手に「いや~、オレも昔はいいところまで行ったんだよ」と語るオッサンがいる(実話です)
私はコレを「不死モデル」と呼んでいる。
老いたり死んだりしなければ「そのうちやるよ」「いつかやりたいね」
でオッケーなのだが、実際は時間も体力も「有限」なのである。
そんな私は「有限=夢は醒める」モデルを採用している。
つまるところ「堅実なリーマンおじさんより私の方が遥かにリアリスト」という衝撃の結論に達するのである笑。
あの世も家も家族も神もお金もすべて「夢」なのであり、
そのことに「夢の中で気がついたら」どうするのか?
極めて現実的な問いである。
「不死モデル」なら、家も家族もお金も土地も「永遠にある」ものなのでそれに拘泥する意味も分かる。
しかし、それらの物体は最後は消えてなくなる。
つまり「不死モデル」とは「幻覚」なのである。
そんな私は毎日仕事のBGVで「動物捕食動画」を観ている。
彼らは「リアリスト」だ。
なんの「幻想」もなく、産まれたての可愛いインパラの赤ちゃんがサクっと食べられちゃう。
と、何を書いてんのか分かんなくなってきたが笑。
そうそう、
「定年後に子供の頃にやりたかったミニ四駆をやりたいんだよね~」
というおじさんは100%「幻覚」に生きている。
彼は現実世界に身を置きながら「ミニ四駆やっている定年後の自分」というイメージに生きているのである。
つまり「夢の中で見ている幻覚」である。
物凄い倒錯である。
現代は、殆どの日本人が「夢の中で幻覚を見ている」状態だろう。
田舎のチャペルでコスプレ結婚式して、ハウスメーカーの建材ハリボテに住んで、軽自動車に乗って郊外のショッピングモールに行き、フードコートで飯を食い、帰ってから地上波TVの関西芸人バラエティショーを観て、ベッドでスマートフォンでYouTubeを観ながら眠りにつく、、、
全てが「書き割り」の世界である
(つげ義春の頃よりもずっとチープな)。
言い方を変えると、
「幻覚に浸っていないと生きていけない」状態なのだ。
だから、シラフの若者はスーサイドしたりするのだろう、
この「現実という夢」から強制的に醒めるために、、、