【読書感想文】東野圭吾「レイクサイド」
こんばんは!
それでも僕なら自主をする。小栗義樹です!
本日はメンバーシップ向けの読書感想文を書かせて頂きます。
メンバーシップとは言ったものの、内容は全部読めます。毎週ご案内しております通り、メンバーが5人になるまでの間は、全編を普通に公開するという形でやらせて頂きます。
今回の読書感想文の題材はコチラ
東野圭吾「レイクサイド」
です。
2023年12月20日に、感想文を書かせて頂きました。ねじまき鳥クロニクルの後に書いた感想文で、メンバーシップでも並びが一緒になっているのですが、これは単なる偶然です。
メンバーシップ記事として読書感想文を書くときは、すでに一度、読書感想文を書いたことのある題材を使うようにしています。1回の読書感想文で感想全てを吐き出すのは難しいですからね。視点や捉え方の変更によって、全然違う感想が出てきたりもします。
ちなみに、以前書いたレイクサイドの読書感想文は下記をタップしてみてください。
以前の感想文では、推理小説ではなく人文学としてこの小説を面白いと書きました。今でもその考えは変わっておらず、僕からすると面白くて好きな小説です。
今日は、読んだときに抱いたまったく別の感想について書かせて頂きます。ネタバレを含みますので、作品を純粋に読みたいという方がいればここで読むのを止めてもらえると助かります。
具体的には、
・では推理小説としては面白かったか?
・衝撃の結末についてどう思っているのか?
です。
まず、推理小説としては面白かったのか?についてですが、推理小説としては普通でした。だって、物語の中盤くらいで犯人分かっちゃったんですもん(笑)
この話にトリックらしいトリックが存在しないという事は、被害者が殺害されて、主人公の奥さんが自供を始めた時点で分かります。この時、物語に没入している人からすると、この辺りから話が面白くなってくるという予感を覚えると思うので、事件に関する予測・推理みたいなものを始めてしまい、話の筋が遠のいちゃうと思うんですけど、ここまでの物語を客観的に読んでいる人であれば、この事件はトリックなどで被害者を殺害したのではなく、必死に何かを隠そうとしているだけだと分かるから、恨みつらみによる犯行ではないということが見えてくるのではないでしょうか?
要するに、余計な情報を差っ引いたら、私怨による犯罪ではないとわかるため、主要な人物の相関関係を鑑みて、全然関係のない人が犯人であると予測が立ってしまうと思うのです。
最初に主人公の奥さんが犯人だと自供した時点で、被害者と深い関係・因縁・私怨を持った人間はいないわけだから、殺した人は主要な人物以外か主人公だろうという2択になります。
もちろんこれ、本の厚みによる推測も含まれるので、ある意味推理小説における「読み」においては反則かもしれません。でも、まぁ本という形のあるものにパッケージされている以上、そういう風に考えてしまうのは仕方がない事です。許して頂きたいなと思っています(笑)
で、この小説、中盤まで子どもがほとんど出てきません。事件は大人の空間で起こっているので当たり前と言えば当たり前なのですが、主人公が犯罪の隠ぺいに加担することを決めつつ、事件の真相を追いかけている事を考えると、必然的に犯人は・・・となるわけです。というか、主要な人物が子供たちと先生以外と考えると、お話に衝撃的な結末をもたらすためにはその線しか考えられないんです。(すみません、少なくとも僕はそう読んだというだけです)
推理小説は「事件とその真相」が肝だと思っています。だから、物語の中盤である程度判明してしまった時点で普通かなと、そう思っています。
それよりは、出てきた人間の「実に人間らしい本能に忠実な姿」を克明に描いている部分が面白いと思うし、この作品はそっちを読んでほしくて書いたのではないかな?と思っています。
事件とその真相をないがしろにするつもりはないが、そこは前菜みたいなもので、メインは社会や世間で生きる人間の、それも親の本能にスポットライトをあてたかったのではないかと思うのです。
僕はこの作品、推理小説ではなく、人文学やホラー小説として読んだほうが面白いと思っています。余計なバイアスは捨てて、ジャンル無き1つの小説として読むと、なんだ単なる最恐ホラー小説だったのかとか、なるほど、確かに親ならそういう考えがよぎってしまうかもなどといった、推理小説とはまったく違う新しい面白がり方を見出せるように思います。
この作品は、そういう視点で読んだほうがいい。でないと、全然納得のいかない終わり方になってしまい、単純な消化不良となってしまいますので。
次に、衝撃の結末についてどう思っているのか?です。
これ、ネットで調べたのですが、結末については否定が多めだなという印象を受けました。まぁ、無理もないかなと。大人がそれやっちゃ・・・ねぇ。みたいな終わり方なので。
ちなみに僕は、賛否で言えば賛成です。
理由はシンプルで、ホラー小説だからです(笑)
人って怖い・親って怖い、そんな人間の狂気や異常性を描いたホラー作品だとすれば、救いようがなくて面白いです。そういう人怖系の話って、世の中には沢山あるじゃないですか?
だから、ホラー小説として読むレイクサイドなら、このオチには賛成です。
推理小説として読んだならダメです。だって、犯人突き止めてないですもん(笑)真相が明らかになっていない推理小説なんて、読むに値しません。僕が推理小説を読む理由はスッキリしたいからです。スッキリできないのなら、それは僕にとって、推理小説ではないのです。
人をよく観察するための創作物としてこの小説を読んだ場合でも、僕はこのオチを肯定します。賛成ではなく肯定です。
そこは読者の想像力ですよね。人は、死ぬまでは終わらない物語を生きています。ということは、小説とはその物語の一部分を切り取っているにすぎません。そうなると、この作品の登場人物は、この先も普通に生きていくわけです。
この物語のオチって、所詮は主人公のこの瞬間の決意でしかないですよね。そうなると、この先の物語はどうなるのか?
多分ですけど、普通に捕まりますよね。もしかしたら、殺した犯人が主要な人物たちを脅し始めるかもしれないし、誰かが裏切っていく可能性もある。レイクサイドという物語の中でも、常にだれかが裏切りそうな場面が沢山ありました。
つまりそういうことです。
この結末を選んだ時点で、主要な人物たちは不幸に向かって進んでいきます。人は、忠誠や忠義に強いあこがれを抱く生き物です。それはつまり、忠誠や忠義なんてものが、この世界にはほとんどないという事を実感しているから生まれる、一種の憧れなんだと思います。
レイクサイドの主人公が下した最後の決断は、分かり切った不幸への入り口を開くための最後の抵抗なんだと思えば、それはそれで面白い結末だなと思えます。
何よりこれは小説です。物語です。現実ではなかなか起こらないであろう展開の1つや2つあったっていいと思います。それが出来るからこそ、物語は面白いのだと、僕はそう思っているわけです。
色々と書きましたが、最終的に言いたいことは1つ。
やっぱり僕はこの作品が好きだし、多くの人に読んでもらいたいなと思っています。古本屋に行けば、恐らく110円くらいで購入できると思います。269ページと、割と読みやすいボリュームなので、さらっと読んでみてほしいです。
というわけで、本日はこの辺で失礼いたします。
また明日の記事でお会いしましょう!
さようなら~