美術品の修復をするプロフェッショナルの話
形あるものはいずれ朽ちる。諸行無常です。
それは美術品や文化財も同じです。そのあたりにポンと置いておけば、色は消えていき、形は変形し崩れていきます(当たり前か)。
美術館は、そして学芸員は、その万物の法則にあらがい、可能な限り収蔵品をそのままの形で後世に残すことが責務と言えます。
そのために、なるべく作品が傷まないよう、適切な温湿度に保ち、虫に食われないように注意を払い、展示をする時は照明を絞ります。
それでも時間が経てば、大なり小なり作品は劣化していきます。
日本画であれば、シミや紙焼けが出てきたり、顔料(絵の具)が剥落してきたり、糊(のり)の接着力がなくなって表具の裂がはがれてきたり。
油絵であれば、キャンバスを貼っている木枠が反ってきたり、キャンバスがたわんだり、油絵の具が割れたり、浮いたり、剥落したり。
そんな時、どうしたらいいのでしょうか。
プロの修復家はどこにいる?
残念ながら学芸員は、作品の修復はできません。
海外の美術館・博物館には、コンサバターという作品の保存・修復を行ういわゆる修復家がいる場合もありますが、日本では珍しいです。
もちろん全くいないわけではなくて、東京国立博物館、国立西洋美術館などの国立系のいくつか、あとは岐阜県美術館、兵庫県立美術館などの公立館にも修復担当者がいます。私が知らないだけで、あといくつかはあるはずですが美術館・博物館の全体数からすれば圧倒的に少ないです。
では、修復担当者がいない美術館は、ダメージを負った美術品をそのまま放置しているかと言えばそうではありません。
外部の修復専門家に、修復を依頼するのです。
小説の世界では、孤高の天才修復家みたいな人が出てきますが、現実には単独で仕事を行うよりも会社としてチームで修復を請け負うのが普通です。
いや、フリーで活動している修復家もいるのですが、そういう人は美術館からの公的な仕事を受けるというよりも、個人コレクターからの依頼に対応するパターンが多いと思います。BtoBよりCtoCですね。
美術館が個人ではなく専門の会社に修復を依頼する理由のひとつは、やはり信頼度でしょう。予算をかけて修復をしようとするほど大事な作品を託すわけですから、そこはどうしても法人化しているところが依頼対象となります。
もう一つの理由、こちらの方が重要ですが、本格的な作品の修復には個人でそろえるには難しい大がかりな設備や資材が必要とされるからです。
大型の作品にも対応できるような広い工房、万が一の盗難を防ぐ強固なセキュリティ、X線や赤外線などの光学分析装置。
また、日本画の修復であれば、表具の新調にも対応できるよう、修復作品の制作年代に近い古い裂のストック、繊細な固着力を可能にするため何年も寝かせた古糊(ふるのり)、国産の膠や漆、木材などを入手できるネットワークなども必要になってきます。
というわけで、日本で修復を手がける会社は数社にしぼられることになります。
油彩画(洋画)であれば
日本画であれば
などですね。数名〜数10名の職人さんが在籍しています。
こういったところで働いている人に聞くと、美大、芸大を出て、就職するというパターンが多いそうです。手先が器用であれば、美術作品や文化財を後世につなぐ価値ある仕事なのでやりがいはあると思いますよ。根気のいる作業ばかりですが。
日本画の修復に関して言えば、修復家はまだまだいるのですが、そのための材料となる和紙や絹、そして国産の木材を加工できる職人がのきなみ高齢化して、後継者不足に悩んでいるといいます。どうなる将来の修復業界?
学芸員は何ができるの?
さて、修復は専門家にお任せするので、学芸員は出る幕がないかと言ったら全くそんなことはありません。学芸員と修復家の二人三脚で行うのが美術品修復です。
まず、収蔵品の中でどの作品を修復に出すか、その見極めは学芸員しかできません。
あれもこれも全部一度に修復できればいいのかもしれませんが、予算の関係もありますし、そもそも上記の修復工房(会社)には全国から修復の依頼が来ているので、何点もいっぺんに依頼することはできないのです。
なので、日頃から作品のコンディションチェックを行い、ダメージの深刻度が高い作品はどれなのか、あと数年放置していたら症状がどれぐらい進行するのか、を検討して、緊急性のある作品を選ぶというのが学芸員の大事な仕事になります。
次に、いざ修復を依頼するとなった時には、学芸員と修復担当者とで修復方法について綿密な打ち合わせをします。
今回の修復で、どこまで手を入れ、逆にどこからは現状維持とするのか、そのすり合わせをするのです。
油彩画であれば、絵の表面の剥落を抑えるだけなのか、キャンバスの張り直しもするのか、それともキャンバスを張る木枠自体を新調するのか。剥落して絵が欠けてしまった部分はそのままにするのか、目立たないように補筆するのか。額は補修するのか、新調するのか。新しくするなら、どんなデザインの額がマッチするのか。細かく挙げるとまだ色々と決めなければいけないことがあります。
それによって修復費用も大きく変わってきます。
つまり、専門家に丸投げすればいいのではなく、学芸員も修復に関して技術や手法にある程度精通している必要があるのです。このあたりは年々新技術が開発されるので、専門家に教えてもらいながらですけどね。
その他にも、修復は作品の隅から隅まで調べることのできる絶好の機会です。作品を解体することで、普段は見えなかった部分が出てきて、作家や作品についての新たな事実が発見されることも少なくありません。
赤外線写真をとったら、今ある絵の下に別の絵が描かれていたことが分かったり、掛け軸の軸木を解体したら墨書が発見されたり、思いもよらないことが起こります。
ですので、修復が始まる前に、工房でどんな調査や分析をしてほしいか、そこは学芸員が主体的に考えて、指示をしなくてはいけないのです。
まぁ、話題になりそうな発見をしたくて修復をしようとする風潮もあり、それは本末転倒だろうという気もしますが。
まとめ
あまり知られていない美術品の修復について、今回は紹介してみました。
どんなにダメージの大きな作品も元通りにするゴッドハンドの修復家、なんていうのは小説の世界だけですが、専門家のプロ意識には毎度驚かされます。こうした人たちの助けがあって、貴重な美術品を今だけでなく、さらに未来につないでいくことができるのです。
修復は、本当に奥深いプロの世界なので、まだまだ掘り下げると面白い話がたくさんあります。まぁそれはまた別の機会に。
本記事は【オンライン学芸員実習@note】に含まれています。
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