ちいさな美術館の学芸員

東京のとある美術館で働く学芸員のお仕事コラム。気楽に書いてるので、気楽に読んでいってください。📕『学芸員しか知らない 美術館が楽しくなる話』発売中です(&新刊準備中)。 https://www.amazon.co.jp/dp/4863113927

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    noteから書籍化した本のこと。そして今後の書籍化を意識したネタの集積場。

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目次ページです。(過去記事多すぎ問題…)

はじめまして、「ちいさな美術館の学芸員」です。東京のそこそこ小さな美術館に勤めています(とか言うと怒られるな…)。 へー学芸員ってこんなこと考えながら働いてるのか。案外大したこと考えてないな、と思われそうですが、まぁ実際その通りなので、気負わず背伸びせずお仕事コラムを綴っていこうと思います。 過去記事一覧全部読むのは大変ですから気になるタイトルなどを手がかりに、過去記事の山に分け入ってください。 247 日本に根付いた展覧会制度 246 日本初の美術館と展覧会 245 

    • 日本の展覧会の黄金時代

      美術館という施設と展覧会という制度が日本に根付くことで、「美術」「アーティスト」などの概念が浸透したという話をしました。 それでは次に、その展覧会がいかに人々を熱狂させてきたのか、実例をまじえて紹介したいと思います。 今では信じられないほどに、展覧会がエンターテイメントとして強大な力を持っていた時代が日本にはあるのです。 高度経済成長期の3大ヒット展1945年に終戦を迎え、焼け野原となったところから、皆さんご存じのように日本は驚異的な復興を遂げます。右肩上がりに日本経済が

      • 日本に根付いた展覧会制度

        (続きです) 内国勧業博覧会はその後も繰り返し開催されました。また農商務省の主催で伝統的な日本画を対象とした内国絵画共進会も開かれました。 こうした政府主導の展覧会に続き、明治時代半ばには日本美術協会、鑑画会、日本青年絵画協会、日本絵画協会、日本美術院、明治美術会、白馬会など大小様々な美術団体が競うように展覧会を開催するようになります。 これらの展覧会は、広く一般大衆にも公開されたため、日本においても徐々に展覧会に行き、美術鑑賞をするという行為が普及していきました。

        • 日本初の美術館と展覧会

          (続きです) 18世紀に入ってヨーロッパで起きたアーティストを取り巻く構造変化は、遅れる形で日本にもやってきました。 江戸時代までの日本では、ヨーロッパと同様に、やはり美術は誰かのため、または何かのために制作されるものだったという話はすでにしましたね。 日本の絵画は基本的に、寺社、城、邸宅などを飾るために制作され、形状をとっても屏風や襖など実用的な調度でした。鑑賞するものであると同時に、使用するものだったわけです。 そして絵を描くのは絵師と呼ばれる職能集団でした。お抱え

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          プレ展覧会時代とポスト展覧会時代

          (続きです) もともとアーティストと注文主は、基本的に1対1の関係でした。 「あなたのためにこの絵を描きます」というシンプルな構図です。需要と供給のマッチングという意味では、数多ある他のビジネスと全く同じです。 しかし展覧会という制度が出来上がって以降は、当然ながらアーティストは不特定多数の人に向けて作品を発表するようになります。これと関連して、様々な変化が起きました。 まず作品はたくさんの中から審査、評価される対象となり、それにともなって批評家という第三の存在も生ま

          プレ展覧会時代とポスト展覧会時代

          そもそも「展覧会」とは何ぞや

          今さらなんだ、と言われそうですが、ここらでひとつ美術館で行われる展覧会について一緒に考えてみませんか(過去記事と重複する箇所もあります)。たぶん連載になります。 芸術作品をずらりと陳列して、それを不特定多数の人がまじまじと鑑賞する。 この制度はいつどこで発祥し、日本に根付いたのはいつなのか、そして展覧会はどんな役割を果たしてきたのか。 それを知ることは、今私たちが美術館に行く意味を考えるヒントになるはずです。 芸術鑑賞が許された特権階級 芸術作品を愛でる。最先端の文化

          そもそも「展覧会」とは何ぞや

          やりがいとプレッシャーは裏表(学芸員の場合)

          展覧会を開催するにはたくさんの人の協力がいるんだよ、という話は何度かしてきました。 それでも、最終的にその展覧会に関して全責任を負うのは、担当学芸員だと私は考えています。 たくさんの人の意見を聞くのは良いことですが、それは責任を分散することにはならないんだよ、ということです。 どんな作品を選び、どんなレイアウトにするか。そこにどんな解説をつけるか。照明や造作でどんな会場にするか。図録の内容はどうするか。 周りのアドバイスをもらいながらも、すべて最終決定をするのは担当学芸員

          やりがいとプレッシャーは裏表(学芸員の場合)

          萬福寺、そこは日本の中の異国【勝手に国宝指定記念note】

          京都・宇治の萬福寺(まんぷくじ)。 その主要建築である法堂、大雄宝殿、天王殿の3棟が、この度晴れて国宝に指定されましたね。 「国宝ってそもそも何?」という人はこちらをどぞ(↓)。 たまたまですが、私も今年萬福寺に足を運んでいたので、せっかくだからこの面白いお寺を紹介しようと思います。 さて、18世紀末の俳人・田上菊舎が萬福寺を訪れた時に詠んだ句があります。 萬福寺の境内に入ると、この句の意味が分かります(最後にちゃんと説明しますね)。 日本には「三大禅宗」と言われる

          萬福寺、そこは日本の中の異国【勝手に国宝指定記念note】

          それはプライドか、それとも縄張り意識か[学芸員の仕事論]

          学芸員の仕事に関して、最近ようやく自覚できたことがあります。 それは うーん、言葉にするとものすごく幼稚に思えてくるな……。 違うんです。もうちょっとだけ説明を聞いてください。 私は自分で言うのも何ですが、和を以て貴しとなす「ザ・日本人」タイプです。大抵のことにはそこまでこだわりが強くないし、波風を立てるのは嫌いだし、色々な人の意見を聞いて取り入れるのも割と好きです。 なのに、なぜか展覧会のこととなると、少し思考回路が変わるのです。 展覧会にはコンセプトなりテーマな

          それはプライドか、それとも縄張り意識か[学芸員の仕事論]

          モノは残る。でも想いは受け継がれないんだよなぁ。

          千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館が話題ですね。来年1月からの休館を発表したためです。 採算が取れない事業のため、このまま閉館となるか、または東京都内へダウンサイズした上での移転のどちらかになるようです。 いずれにしても、佐倉駅からさらに専用バスに数十分間ガタゴト揺られて、緑あふれるあの美術館に行く、という体験はもうできなくなります。 そしてマーク・ロスコの作品を飾るためだけに作られたロスコ・ルーム、またの名を「瞑想部屋」(というのは今勝手に付けただけですが)も当然楽しめ

          モノは残る。でも想いは受け継がれないんだよなぁ。

          「こういうのでいいんだよ」は知ってるけど、それではだめだと思っているから(以下略)

          美術館の展覧会を企画する立場で思うことがあります。 最初に現実的な話をしましょう。 各学芸員に展覧会を企画する役目が回ってくるペースが2年に1回くらいの美術館なら、その展覧会に一球入魂できますが、学芸員の人数が少なく1年の間に複数回展覧会を担当しなければならない場合だと、どうしてもそのうちの幾つかは流しの展覧会になってしまいます。 流しの展覧会という言葉はいま作りましたが、要するに挑戦的なテーマでもなく、新発見や新機軸があるわけでもなく、すでに自明になっていることをそのま

          「こういうのでいいんだよ」は知ってるけど、それではだめだと思っているから(以下略)

          見なくていいけど見てほしい展覧会あいさつ文

          私は展覧会を見る人に「会場入り口のあいさつ文から真面目に読まなくてもいいですよ。疲れちゃうから」とアドバイスすることがあるのですが、あいさつ文が重要じゃないかと言えばもちろん違います。 あいさつ文というのは、あらためて説明すると(説明しなくても分かるとは思いますが)展覧会会場の最初にパネルなどで掲げられている文章のことです。 あいさつ文の最後には、主催者名が入ります。おそらく皆さん見たことがあるでしょう。美術館名、会社名、寺院名などの組織名である場合と、その組織の代表者名

          見なくていいけど見てほしい展覧会あいさつ文

          自分の「好き」の旗を立てよう

          どうも、お久しぶりです。美大教員と美術館学芸員という二足のわらじで慌ただしく過ごしている今日この頃です。 今回の記事タイトルは「自分の「好き」の旗を立てよう」。なんのこっちゃ、と思いますよね。個人的にはっとした出来事があったので、その話をさせてください。 先日、美大を目指す高校生たちに向けて大学説明会を行いました。いま、大学はどこも厳しいのでリクルート活動を積極的に行っています。 それはさておき、そこで集まった高校生たち(つまり美大生の卵)を見ていて気づいたことがあります

          自分の「好き」の旗を立てよう

          どとうのお引っ越し(なんで本て、こんなに重いのだ)

          ぜぇぜぇ。 ぜ、全然、noteが書けない……! 大学の授業準備が忙しすぎる……! あ、そんなてんやわんやの状況でも、『学芸員しか知らない 美術館が楽しくなる話』は重版がかかり、まさかの4刷となりました。ありがたやありがたや。 私の手を離れた我が子(本ね)がどんどん成長している一方で、当の本人は3月末からずっとあたふたしています。環境ががらっと変わったから仕方ないんですけどね。 そんなドタバタも喉元を過ぎてしまえば、きっとすぐに忘れてしまうでしょうから、ちょっと備忘録的

          どとうのお引っ越し(なんで本て、こんなに重いのだ)

          「セルフ・ブラック」ができる人とできない人で、おそろしいほど差がついてしまう残酷なホワイト社会

          「セルフ・ブラック」ができる人とできない人で、おそろしいほど差がついてしまう残酷なホワイト社会。それが現代日本だと思っています(海外は知らない)。 民間企業や役所に限っての話にはなりますが、昭和、平成に比べれば、今は働く人の権利がしっかりと守られています。もちろん「うちの職場はまだまだだよ」と思う人もいるでしょうが、それでも傾向としては改善の方向に向かっているはずです。正面切って「残業代はつかないけど、仕事が終わるまで帰るなよ」とか「新人が有給とろうなんてずうずうしいんだよ

          「セルフ・ブラック」ができる人とできない人で、おそろしいほど差がついてしまう残酷なホワイト社会

          企画を通す学芸員のコミュニケーション術

          ふだん私たちは日本語で会話をしています。日本に暮らしている限り、日本語が使えればどんなシチュエーションでもコミュニケーションがとれます。でも、言葉が通じるからと言って、必ずしもきちんと意思疎通ができているとは限りません。 とりあえず私の仕事を例にしてみます。 美術館では展覧会を実際に企画する役割の学芸員と、美術館運営のために必要な事務作業を行う職員(美術館によって色々な呼び方があるので、とりあえず雑に「事務方」と言います)とがいます。企業などではフロントオフィスとバックオフ

          企画を通す学芸員のコミュニケーション術