世の中にはこちらに何の悪意もなくても一方的に嫌ってくる人がいる
ブラッド・ピットという男の「不気味な奴を演じさせたら見事に怪演になる」ということについて話さなければなるまい。ヘッダ画像をお借りしています。ものすごく口が悪いし内容ばれ満載なので気をつけてください。
それはワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの結末にある。だからこれを見ていない人はまだ読むべきではない文が以下から続くことになりますが注意されたい。
なおこのお話はクソ以下の勘違い野郎が集まったカルト集団が起こしたというシャロン・テート殺傷事件という現実の事件について知っておくと意味不明な部分がなくなる。とどこかのレビューに書いてあり、たしかにその通りだった。ぼくは途中よくわからん女の人がやたらクローズアップされるけど本筋になにも関係ないな、と思っていた。
が、そういった事前情報が吹き飛ぶレベルの男がクリフ・ブースであり、ブラッド・ピットが演じているのだ。普通に受け止めれば、むしろ日本の現代ラノベとかでもありそうな「過去に戻ってひどい事件をいい方向に直してくれるわ」系の話であると捉えることが可能だし実際クエンティン・タランティーノはそれを狙っているんだろうが、ブラピの恐ろしさが際立って消し飛ぶ。いや凄惨な事件をしてどうでもいいとかふっとばしたいとかいうわけではない。ブラピが怖い。
なぜ怖いのか。そもそもこの話のキャスト序列的にリック・ダルトンのレオデカ(もちろんディカプリオのことだ)が主役らしいのだが、割とどう見てもブラピが主役に見える。そこにはセブンのような気弱な男やセブン・イヤーズ・イン・チベットのような優しい男やベンジャミン・バトンのような繊細なブラピのかけらもなかった。まるで90年代グランジの中に生きる刹那的な破壊者のようである。
クリフ・ブースだが、単純に恐ろしく強い。何やら戦争上がりらしいんだがぼくはその事実を見終わってから知った。メリケン映画とは些細な小道具とかからいろいろな背景が察せるのがありがちなんだけど、メリケンの歴史をぼくはよく知らない。戦艦アイオワが強いというぐらいだ。
このクリフはリックとめちゃ仲が良くて、一度リックのスタントを演じた縁でその後ずっとリックの付き人みたいなことをして日銭を稼いでいる。リックはそれなりの金持ちだが落ちぶれ始めている。この落ちぶれが上昇していくのが、メインストーリに据えられているととらえられそうだし、別に実際それで何の問題もないんだが、、クリフである。
リックの小判鮫ともいえるクリフの行動ではあるが、リックが信頼を置くほどに割と何から何まで器用にこなす。運転技術は普通にイカれている。普段からカーチェイスみたいな走り方ができる。
そしてクリフはかつて奥さんを殺した疑惑があるらしいんだが、いま実際普通に過ごしているということは確証はなかったのだろう、と最後らへんまでは視聴者は思うはずである。ぼくも例に漏れず、主人公とは悪役だろうが善玉だろうが感情移入できるように監督が作りたがった結果そこに主人公として存在しているのだろうから、監督といいますか作る側に敬意を評し、感情移入先として受け容れる。主人公にあだなすものは警察的キャラクタだろうと嫌いになる。
敵とは、嫌うことこそ礼儀であるという考え方だ。別に他者にこれを強制するつもりはない。これって正しい考えっすよね?とか聞く気もない。
ともあれリックの眼前にも、クリフの眼前にもさまざまな「敵」が現れる。敵どもは時として当初は味方のように振る舞う。味方といいますか、まるでこの先セックスの相手になるのではないかといえるほどの愛想すら持ち合わせて現れる。
しかしながらクリフは持ち前の胆力でそれらを一蹴する。結果的には最後まで一蹴するといいますか、クリフがこの話のすべてを解決する。
だからいうなればこの話で主役二人にあだなすもの達とは、「逆恨み」しかしてこないのだ。これハリウッド系の特徴だと思うんスけど……ものすげー「一方的な理不尽による害」が、「突然」主人公たちを苦しめるものであることが多い。つまり苦しみに根拠がないのだ。でも考えてみるとメリケン映画とはその国の「理不尽の歴史」という下積みのもとに造られているようにも思える。例えば黒人差別とかである。
この国には信じられないほどの理不尽があったから、理不尽があること前提の国民性になってしまっているのかも知れない。それがなぜ起こるのかとか、もう誰も考えないということだ。そしてそれが映画作りにも影響を及ぼした……と考えるのは強引だろうか。
それが例外なくこの映画にも適用され、といいますかタランティーノの頭の中に自然と浮かび、リックとクリフを襲う。
その中でクリフはブルース・リーすら殴り倒し、過去に自分が世話になった映画関係者が換金されてボケ老人化され、その資産を行くあてのないヒッピーの名を借りたようなカス連中に食いつぶされようとしていてもそれを受け容れた。そのかつての恩師と別れたあと、別にクリフはなんらの害も連中になしてないのにクリフがそこへ来た手段であるヒッピー(あまりこいつらをヒッピーと扱いたくない。ヒッピーに失礼だから)の一匹であるプッシーキャッツという女(どういう名前だ)をわっざわざ送り届けてやったという大恩がある「リックの愛車」を別の一匹がパンクさせる。クリフは直せと命令する(当然の権利だ)。
もうこの時点で理不尽だが、クリフがパンクさせたゴミ虫に修理を強要するために戦う。余裕で勝つ。するとそいつの女?がこのゴミ集団のまとめ役みたいな奴を呼び戻そうとする。自分で「何もしていないクリフ」に喧嘩を売っておいて、クリフを叩き潰そうとしている。どういう秩序でこいつらの集団が成り立っているのかについてはマジでわからないし、タランティーノがそのように造ったのだろう。そう見せることに成功している。
果たしてまとめ役のバカが来る頃には恐ろしい速さで修理が行われたのか(出来損ないのヒッピーの一匹にどのようにそこまでの処理能力があったのかは不明だ)クリフは新しいタイヤの車でその場をあとにしていた。優しいクリフはその場の全員を潰すこともできただろうにそれをしていない。
このためなのかどうかは知らないが、こいつらは暴徒化し、シャロンを殺しにくるわけです。縁あってクリフはそいつらも返り討ちにする。といいますか……その実際にあった凄惨な事件へ正義の鉄槌として意趣返しするかのように、おもにクリフによって、ある部分はリックによって、歴史的事実によればシャロンを殺しに来たであろう連中が惨殺される(もちろん正当防衛だ)。
この段におけるクリフとは、それまでの映画におけるやさおとこなイメージを一気にぶち壊しにする。素晴らしいぶち壊しだ。ぼくはグロい映画はガチ目に見ないようにしているが、この理不尽かつ突発的に誰にも迷惑をかけていない平和な人の幸せを奪いに来たクソ虫共がクリフによってぶっ殺されるシーンを見て、まさかいくらクリフでも殺しまではしないだろと思っていたのにも関わらず、非常に気持ちよく見れてしまった。一方的に惨殺されるのであればクリフを糾弾していたかも知れないが、クリフに発砲したりナイフで刺し殺そうとしたりと別に一方的じゃないのだ。
そしてクリフの反撃とは見事なまでに精錬されている。確かに軍事行動を何件も成功に導いてきた手腕があると思えるほど正確に敵を殺す。完璧なタイミングで犬に指示を出し、一匹ずつ戦闘不能にしていく。確かにこのカス集団において野郎はひとりで残りは女だったが、どいつも武器を持っていたし出口も裏口も塞がれた状態でクリフはしかもLSDでラリっていたので明らかに形勢不利である。でもクリフは惨殺に成功してしまった。これほどの爽快感はかつてどのような映画でもなかった。タランティーノの「正義が正しく、悪は討滅されるべき」というメッセージを感じずにはいられない。
命が軽いとは言えない。クリフは殺されるに決まってると(少なくとも視聴者は)思えるほどの物量の戦いだったからだ。クリフがこんな敵相手にならないと計算ずくであったかどうかはどうでもいい。実際そんな気はするけど
またこの犬もクリフの愛犬であり、この襲撃に置ける大活躍の直前まで、クリフにふざけられて夕めしをストップさせられていたのにこの戦いぶりだ。めしの邪魔をされて怒り狂っていたのかも。あるいはそれとクリフが刺されたりしたことに対する怒りか。
クリフとリックが利害関係異以上に仲がよい感じも良かった。クリフが仕留め残ったカスをリックがなぜか所持している火炎放射器で焼き殺すシーンはもしかしたらギャグに見えるかも知れないが、当人は至って真剣であると伝わってくる。クリフは素手てこいつらを殺せるが、リックには火炎放射器がないと無理だという描写だったのかも。リックは一応救急車で運ばれるクリフを、泥酔していたはずの状態から復帰して最後まで心配する。まずこの夜が二人の別れの日であり、飲み明かそうとしていたのである。
そしてぼくは気が大きくなった気がして、友達の急病のために薬を買いに行った。クリフみたいに車を運転できているかどうかを思い、しばらくその気分に浸っていた。