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小雨に打たれて原敬 酔いどれ張り子の原敬

昨日ぷれすてについて考えたからか、トルネコについて考えないわけにはいかなくなった。

つまりトルネコにはぼくらは凄まじいストレスを強いている。夢のために意味不明な勝手に地形が変わる洞窟に行かせ、ずたぼろになるまで戦わせる。

もちろんそんなことできるわけないので、トルネコの抵抗としてパンがないと生きていけないというものがある。逆に「パンだけでいいのかよ……」と思わないだろうか?

パンを食わせろ然とした抵抗は示すものの、最後の方の洞窟になると拾えるのは普通サイズのパンと朽ちたパンのみになる(風来人にも言えることだが……)。

味もつけられないというのは非道ではないだろうか。おそらくトルネコも現代日本のような電子機器こそないものの、文化的で最低限度の生活は送っているはずだ。なんらかの乳製品をまぶしたり甘いなんかをつけたいはずだ。じゃなかったらこんなに太らないだろう

だが、どんなに強い龍を殺そうが大部屋で大目玉に混乱させられて切り抜けようが、といいますかアークデーモンみたいな悪魔の化身と戦わされても褒美といえばパンぐらいしかない。

これをかわいそうかどうかと見るにはゲームキャラクタをデータと見るかどうかの結果がそのまま反映されそうです。といいますか普通はゲームキャラなんてデータでしかないはずですね……

ともあれどんだけトルネコがかわいそうでもパンぐらいしか与えられない。トルネコはどう思っているのだろうか。

そして血の通った極悪非道なゲームで遊ぶ側は、そんなトルネコを見るにつけ、パンをしばらく食っていないのであればあろうことかパンを食いたくなるわけです。あの恐ろしく小さなドット絵にして10×10すらなさそうなあのオレンジといいますか肌色といいますかつまり恐ろしくちいさなピクセルで再現したパンに対し、食い気という情欲を抱けるほどあさましくできている。

ドット絵の水着に興奮するような性欲と何ら変わりがない。昔ゲーム帝国で総統なんて二次元どころか単なる点つまり一次元にハァハァするようなド変態であると語り部に言われていたが、まんまとそれを笑えないわけである。語り部はどうやっても後出しで読者の葉書よりも極まったことを言うようにできているためこんなこと自体を言うのが野暮ですけど

トルネコを魔境に送り出しておいて、プレステの蓋を開け締めするなりゲーカセを抜くなりした後の遊び者はパンが食いたくなる。そこにママレードとかJAMをかけたりはしないわけです。なぜならトルネコが食ってたのは何もつけてないパンだから。

なんなら夜中にゲームをしまいにして、居間に降りてきて誰もいない、夏休みかなんかで誰もそいつに飯なんて作ってくれるわけない環境下において、何も調理されていないパンこそが正解なわけである。なんなら、切り離されてないあの巨大な形のパンに食らいつきたいはずだ。トルネコのように。

そのような次元まできてしまうと、もはやパンになんらかを塗るなんて行為こそが邪魔になってくるだろう。何も塗らないことこそが目的つまり最強の贅沢なのであり、数多のトルネコがパンが食えないがためにいくつもの戦いを強制終了させられたのに、お前の目の前にはいつでも食えるパンがあるわけだ。何も塗らないで食うことこそがトルネコへの最大の尊厳破壊にすらなる。余計なものを塗ったらそんなものはトルネコでもなんでもないわけです。

斯くして焼かない無味のパンを食ったそいつに、何が残るだろうか?次はバターを塗って食ってやろう、とかでしょうか。無味のパンを食ったあとに、焼いたパンを食ったらそれは地獄の窯が開いたような味なことだろう。でもどうしてシレンの握り関係ではそのようなことを感じないのだろう?和製ローグでありながら、文化が西洋なのかエスニックなのかよくわからん文化背景となり、移入しづらいのか。

あまりにもトルネコの西洋ファンタジー感ある洞窟に落ちているパンが異国の最強グルメのように見えてしまっているのか。全くわからない。

というわけで「パン食のすすめ」のコーナーでした。

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中村風景
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