SOURCE CHORD:グッドウィンの正しい勝ち
ソースコードを見終わってうひ~~と思った。ヘッダ画像をお借りしています。
ぼくは最初よくわからない話といいますか「はっきりと『視聴者がまだ知らないでおいてもらいたいこと』が隠された話」だと思ったためそのように書いたし、
ヴェラ・ファーミガの魅力についても同時に書いたんだけど結果的にどちらもあたっていた。ぼくらが主人公だと思っていたジェイク・ギレンホールはもはや死人であった。何をもって死人と定義すべきか、みたいな考えもこの映画の主訴であるのかも知れない。
とんでもない内容明かしになっちゃうけど、ジェイクの演っていたコルタースティーヴン大尉は戦死してい、ぼくらが見ているコルターとは意識の擬人化だった。つまりコルソーは生命維持装置の中に乱暴につっこまれており、脳に電極が組み込まれており、右半身から上しかこの世には残っていなかった……
これ実際に映像があるんです……よ……ね……またそれを見たときのヴェラ・ファーミガつまりグッドウィンの演技も好きだ。つまりコルターは軍に利用されているからこんな生かされ方をしており、その姿を見たグッドウィンの顔とは心優しい人間のそれだった。つまり「こんな姿にして人を活かし続ける軍」といいますか「ラトリッジの出世欲」について唾棄すべきと思っている顔であったことが感動的である……
もはや正しい姿でコルターを死なせてあげられるのはグッドウィンしかいないわけです。しかしそれを実施することはグッドウィンの更迭どころか……相手は軍と言いますか国家なので命に関わると思うんだけど……グッドウィンがコルターの願い、つまり自分を普通に死なせてくれという訴えを受け入れた理由は、もはやグッドウィンが「正しい軍人」であったからであるという見方はいかがか。
グッドウィンはコルターの尽力のおかげで、もはやシカゴ?とかアメリカ全土で人々がぶっ殺されるテロを鎮火できたという誇りを胸に、このようなコルターの尊厳をぶっ壊したソースコードにこれからも胸を張って頼ってガンガンパリピっていこうとしている国家に対して反旗を翻したのだと。
もうコルターのしごとは終わっただろ、と。当人がもう生きていたくない形でこれからも何度も記憶を消され、生命維持装置の中で生き続ける尊厳破壊を「沢山の命を守るために存在する」国家がやり続けるのか、と。
コルターがその後どうなったかについてはまた別のトピックを立てて考えたいとして、いまグッドウィンがいる現実のコルター(それまでコルター自身もいた現実ではあるものの)は、これからも今回お借りしたヘッダ絵の左側のぶっ壊れたロボットのように、しかも人間由来のロボットのように生かされ続ける。
コルターの父ちゃんはコルターが美しく戦死し、最後に喧嘩別れしたことを恥じている。凄まじい尊厳破壊だ。グッドウィンはコルターの完璧なバディだった……最初の冷徹なイメージを持った自分が情けないが、だってあのマイレージ・マイライフのどセクシー女だったとは思うまい。