ふるそぼ
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現代語訳 樋口一葉日記 34 (M26.6.11~M26.7.3)◎中島歌子の門人批判、家族で議論し実業に就くことを決する、実業に就く決意と不安。
日記(明治26年(1893))6月(明治26年)6月11日 晴れ。昼過ぎから芦沢(※芦沢芳太郎)が来た。少し雨が降った。今日は入梅(※梅雨入り)である。 片々(※種々雑多な記事) 燧灘(ひうちなだ)事件がやや収まった。(※広島県と愛媛県の漁民の間で起こった漁場争い。) (明治26年)6月12日 雨。寺島宗則さん(※明治26年6月8日の日記にある、死去した枢密顧問官寺島宗則)の葬式があったということだ。(雨で)道が(ぬかるんで)難儀であっただろう。寺は海晏寺(※かいあん
現代語訳 樋口一葉日記 33 (M26.5.22~M26.6.10)◎北航端艇遭難、西村釧之助が邦子を所望するも断る、故郷は忘れがたし、桃水からの手紙を待つ一葉。
(明治26年)5月22日 曇り。九時頃まで寝床に居た。母上も(私と)同じく血の道(※月経時などに女性の心身に起こる異常。頭痛、のぼせ、発汗、悪寒など。)で、気分が悪かった。今日一日は何もすることなく過ごした。夕方から雨になった。 (明治26年)5月23日も雨であった。母上の血の道は依然としてよくなかった。今日から日課を定めた。(※一葉の雑記(※書付け)の一つである「やたらづけ」にその日課が記してある。本来は歌のように記してあるが、かいつまんで言うと次の通りである。針仕事、洗い
現代語訳 樋口一葉日記 32(M26.5.1~M26.5.21)◎邦子の針穴、筆跡あれこれ、広瀬ぶん失踪、恋は尊く浅ましく無残なもの、半狂乱の小宮山庄司
蓬生日記(明治26年(1893))5月3日より(※蓬生(よもぎう)とは、ヨモギがたくさん生えているような荒れ果てたところ、の意。一葉はこれに限らず同じ題を何度も使っている。) 一束(※いっそく。新聞用語で、訴訟一束、火事一束といったように、いくつかの同類の記事をまとめて掲載する際に用いられた言葉。一葉がそれをまねたもの。もともと「ひとまとめ」の意味がある。) 母上が浅草(※浅草観音)の開帳に行かれたのは、一日(※5月1日)であった。中廻向(なかえこう)で、天童供養(
現代語訳 樋口一葉日記 31(M26.4.12~M26.4.29? )◎桃水の病を聞く、見舞いを乞う一葉と許さぬ母上、円満の恋、ろんどんの女すり、ひそかに桃水を見舞う、日記散佚
しのぶぐさ(明治26年(1893))4月※「しのぶぐさ」は前回の日記「蓬生(よもぎう)日記」と記録が重複している。つまり同じ日付の日記が二つ存在しているのである。具体的には、「蓬生日記」は明治26年4月7日から5月2日までの記録であり、一方「しのぶぐさ」は、明治26年4月12日から4月22日まで(途中散佚、さらに日記の断片があり、これは4月29日頃と推定されている。)の記録である。おそらく、4月7日からつけていた「蓬生日記」が11日頃に一時紛失したか何かで、急遽新しく「しのぶ
現代語訳 樋口一葉日記 30(M26.4.7~M26.5.2)◎香典をどうする、達磨大師の歌、桃水への思慕、雹、雷、頭痛、衣更えの俳句
蓬生日記(明治26年(1893))4月(※蓬生(よもぎう)とは、ヨモギがたくさん生えているような荒れ果てたところ、の意。一葉はこれに限らず同じ題を何度も使っている。) (明治26年)4月7日 晴天。昼過ぎに嵐が吹き起こり、大雨がしきりに降ってきて大変恐ろしいほどであった。しばらくして止んだ。 (明治26年)4月8日 晴天。山下直一さん(※樋口家の元書生。直近では明治26年3月13日に出ている。)が来た。数時間遊んで帰った。この日、母上が菊池先生(※一葉の父則義が仕えていた菊
現代語訳 樋口一葉日記 29(M26.3.29~M26.4.6)◎伊東夏子と讃美歌を翻訳、迫る貧窮と一葉に迫る母上、桃水への思慕の歌
(明治26年)3月29日 起き出て見ると、春雨が少し降りかかって、軒の梅の花がとても香り高かった。母上が、(昨日の)火事見舞いに行かれた。藤堂邸(※和泉町にあった伊勢久居藩(いせひさいはん)の藤堂家のお屋敷。)より失火、二長町(※にちょうまち)の方へ延焼し、市村座(※歌舞伎の劇場で、中村座、森田座とともに江戸三座と呼ばれた。4か月前の明治25年11月に猿若町から二長町に移転したばかりであった。)も焼失したということだ。母上が帰宅してのち、雨がますます降りに降った。今日の『読売
現代語訳 樋口一葉日記 27(M26.3.1~M26.3.16)◎福島少佐(中佐)のシベリヤ横断、『胡砂吹く風』感想、向かいの商人の話と桃水への消えがたい想い、邦子の失恋、よは夢ぞかしよは夢ぞかし。
(明治26年)3月1日 晴れ。頭痛がまだ治らないので、日が高く上るまで朝寝をした。起き出してのち、『胡砂(こさ)吹く風 後編』を少し読んだ。 「福島少佐遠征のあと判然せず」という変報(※変事の知らせ)があった。(※ドイツ公使館付武官福島安正(ふくしまやすまさ)中佐が、明治25年の帰国の際、冒険旅行と称してベルリンからシベリヤ横断の単独騎馬旅行を敢行した。総距離1万8千Km、期間は1年4か月の壮大なものであった。ちょうどこの頃一部の新聞に中佐がウラジオストックで消息を絶ったと報
現代語訳 樋口一葉日記 26 (M26.2.13~M26.2.28)◎凍り付く寒さ、『都の花』に「暁月夜」掲載、桃水の突然の来訪、『胡砂吹く風』、萩の舎の憂鬱、つむじまがり
よもぎふ日記(明治26年(1893))2月(※蓬生(よもぎう)とは、ヨモギがたくさん生えているような荒れ果てたところ、の意。一葉はこれに限らず同じ題を何度も使っている。) (明治26年)2月13日 昨夜からの寒気が大変厳しい。寒暖計は零度以上五度になった。(※当時気温の単位はまだ華氏である。華氏0度は摂氏零下18度、華氏5度は摂氏零下15度である。日本では大正8年から摂氏が採用された。)私がまだ知らない寒さである。手洗いなどは、熱い湯を注ぎ入れられても依然として氷が解けず、
現代語訳 樋口一葉日記 25 (M26.2.6~M26.2.11)◎完全無瑕の一美人、街中の百鬼夜行、歌詠みの因習と筆を執る者の本意、『文学界』創刊号と三宅龍子の異様な恰好
(明治26年)2月6日 空は曇っていた。「また雨になるだろう。」と人々が言っていた。著作のこと(※金港堂の『都の花』のための執筆。「ひとつ松」という題であったが、これは未完に終わった。)(だが)、思うようには書けず、頭はただもう痛みに痛んで、どんな思慮もみな消えてしまった。志すのは、他でもない、完全無瑕(※むか/無傷)の一美人を創造しようというものであり、目を閉じて壁に向かい、耳をふさいで机に寄り、(※心を集中し、瞑想して、の意)幽玄(※奥深く、微妙で、容易にはかり知れない趣
現代語訳 樋口一葉日記 24(M26.1.1~M26.2.5)◎新年の挨拶回り、三界唯心について詳説、小説「雪の日」完成、真夜中の雪景色、恋は浅ましいもの。
(明治26年)1月1日 は、大変のどかな日の光に洗われて、門松の緑に千年(の長寿と幸せ)を祈って、いつものように雑煮を食べ終わった。昔は三が日のうちは年始の(挨拶の)お客様に台所仕事が忙しく、「(羽根突きの)羽根をつく時間もない。」と恨めしく思った(ものだ)が、(今年は)打って変わって全く来る人もない。母上が、近隣に年始参りをされると、そちらからも老母、奥さんなどが答礼に来て、(それが)すべて女性であった。芦沢芦太郎(※正しくは、芳太郎。あしざわよしたろう/山梨県後屋敷村の芦
現代語訳 樋口一葉日記 23(M25.12.24~M25.12.31)◎三宅龍子より『文学界』寄稿依頼、迫る年末の支払い、貧苦の稲葉鉱の家へ、桃水の妻か。
よもぎふにっ記 (明治25年(1892))12月(※蓬生(よもぎう)とは、ヨモギがたくさん生えているような荒れ果てたところ、の意。一葉はこれに限らず同じ題を何度も使っている。) (明治25年)12月24日 気にはかけまいと思うけれども、本当に「貧は諸道の妨げ」(※ことわざ。金がなければ何もできず、貧乏生活では何をしようにも自由にならないこと。)であることだ。すでに今年も師走の二十四日になった。この年(の瀬)の支度、身分相応には用意しているのだが、今月の初めに三枝さん(※三枝
現代語訳 樋口一葉日記 22 (M25.11.9~M25.12.20)◎結婚する田辺龍子を訪問、久しぶりに半井桃水を訪ねて、桃水の弟浩来訪。
道しばのつゆ 明治25年(1892)11月(※道芝の露とは、道の芝草の上の露で、はかないものの例え) (明治25年)11月9日 九日は萩の舎の納会であった。二、三日前より、時の気(け)(※季節特有の病気。はやりやまい。)であろうか、ひどくわずらって頭も上がらず、「出席は難しいだろう」と思っていたが、今朝よりは急に心も清々しく、「これくらいならば(大丈夫)」と思って、(納会に)行った。髪などもしっかりとはたぐり上げもせず、手足なども汚れがついたままであった。田中(※田中みの子
現代語訳 樋口一葉日記 21 (M25.9.4~M25.10.25)◎「うもれ木」完成、野々宮きく子盛岡に赴任、「経づくえ」『甲陽新報』に掲載、『都の花』新年付録の話。
にっ記 明治25年(1892)9月(明治25年)9月4日 曇り。「今日は日曜日なので、野々宮さん(※野々宮きく子)が来られるはずだ。」と思って、その支度をしていたところに、西村さん(※西村釧之助)と、上野の房蔵さん(※上野の伯父さんこと上野兵蔵の妻つるの連れ子が房蔵。直近では明治25年2月11日に出ている。)が来られた。お話を少し。まもなく野々宮さんが来られた。前からいた方々は帰った。(野々宮さんに)歌を二題詠ませた。(野々宮さんとは)宗教(※キリスト教)上のお話がいろいろと
現代語訳 樋口一葉日記 20 (M25.8.24~M25.9.3)◎西村釧之助の縁談、教師としての周旋話、有神論無神論、迫る借金の返済日、渋谷三郎との婚約破談のこと、姉ふじの家出騒動
しのぶぐさ (明治25年(1892)8月)(明治25年)8月24日 「晴れているのに時々雷の音がするのは、まもなくここにも雨が降るということなのでしょう。」などと(妹と)言い合った。着物を三つ、四つ洗ってからのちに、机についた。西村さん(※西村釧之助)が来られた。昨日(西村さんに)細君の世話をしようということで、俵初音さん(※俵田初音。野々宮きく子の知人。後に一葉から毎週日曜日に『徒然草』の講義を受けることになる。)のことを話したので、そのことをなおよく聞きにと思ってである。