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#エッセイ
「誰かに必要とされないと生きていていいと思えない」からの卒業。
好きな人と話していて、僕、いい感じに歳を取って38歳まで来たなぁ、ってあらためて話した。
若い頃からわりと、メサイアコンプレックス気味でつらそうな人を助けてあげたくなるんだけど、それって誰かに頼られて必要とされていないと自分が生きていていいって思えなかったから。
要はそれって、「自分を削って誰かを助けていることに、生きている意味を感じる」ってことで、破滅的なんだよね。
自分の手の届く、できる範
変わること、手放すこと、また手を取ること。
「一生変わらず好きでいたい」という気持ちはあるけれど、変わらないことは枷でもあって、かつて好きで好きで仕方なかった人のことを、今ではそれほど好きじゃない、というかあまり気にならなくなっていることもある。寂しいような気もするけど、それもいいのかもしれないな。関係性も都度更新制で。
僕は単純だから、好きな気持ちを返してもらえていると、何度でも僕からの好きの気持ちも更新できるんだけど、連絡が途絶えたり
グレーのままで抱え続けるということ
白と黒のあいだ、1と0のあいだで、簡単には決めつけられないもどかしさに耐えながら考え続けること、その場しのぎのインスタントではなく、じっくりと時間をかけて消化し、深化させていくこと。今、なによりないがしろにされていて、でも本当はいちばん大切なこと。
先日、深い話ができる大好きな友人と、そんなことを語り合った。
「若者たちが生きていく未来の世界を少しでもよいものにするためにできることはなんだろう」
「失敗」が、今の僕をつくったんだ。
愛しい人が失敗して落ち込んでいたので、慰めようと思って「失敗は、した方がいいんだよ」という話をした。
失敗しないためのいちばんいい方法は「挑戦しないこと」なんだけど、失敗の少なさを誇るのは虚しい。
もっと失敗しておけばよかったって思うくらい。
もし僕が、最初の職場で挫折しなかったら、我慢できてしまっていたらというのをときどき考える。
きっと、今みたいな僕は存在していなかっただろう。
今の僕は、失
いつでも離れられるからこそ、離れないでいようとする行為が尊いと思う。
ずっと前から何度も同じことを言ってるんだけど、僕はいつまで経っても「去る者は追わず」の境地にはたどり着けてなくて、「仲良かったはずなのに急に去って行った人たち」のことを定期的に思い出してはウジウジしてしまうな。
ネット上での繋がりだからこそはかないし、それはいいことなのだけど。
でもいつでも離れられるからこそ、離れないでいようとする行為が尊いんだよね。
そう思うと、今つながっている人たちのすばら
「未来はわからない」と認めること。
「一度メンタルを壊すと一生元には戻れない」みたいな表現、よく見かけるし、「だからメンタルを壊さないように無理するな」っていう注意喚起なのはわかるけど、これはこれで「呪い」な気がして嫌になっちゃうな。
未来のことは断言できないんだからさ、あんまり決めつけた言い方しない方がいいと思うな。
「過去に囚われるな、未来を見据えろ」みたいな言葉はもてはやされるけど、僕は「過去にも未来にも囚われるな」がいい
「整理整頓が苦手」なことがコンプレックス
実家を出て、一人暮らしをしてからもう15年経っているけど、未だに「整理整頓」的なことにコンプレックスがある。
それをおくさんに指摘されたらちょっとヒステリックに反論してしまって、自己嫌悪になったりする。
これまでどうにかこうにか生きてこられたのは「細かいことは気にしない!開き直る!」と心に決めたからなんだけど、コンプレックスを完全に克服したというわけではないんだよな。
洗い物を効率的な順番で片
思考の層とSNS。同じ深さで息をしている人と、つながりたい。
僕は、職場の飲み会とか、それほど仲良くもない人と一緒に行く交流会がとても苦手だ。何を話していいかわからない。当たり障りのない「浅い」雑談ができなくて、いつもうまく笑えなくなってしまう。
おそらく思考には、深さというか層のようなものがあって、同じ話題で話しているのに話が噛み合わないのは、存在している層が違うからかも、と思ってる。僕の場合、層が合う人と話すことができることはかなり限られていて、一致す