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恋人と話し合うのは「妥協点」じゃなくて「おたがいが心地よい関係性」。

先日、「恋人と喧嘩しちゃって、どうしたらいいかな」という相談を受けた。

僕が答えたのは、「おたがいが意見を主張し合って、どちらかが折れて、妥協点を見つける」っていう話し方そのものを変えた方がいいんじゃないかな、ってこと。

二人でお互いに話し合うときに、「どっちが悪い」とか「あなたのここが嫌だからこうしてくれ」みたいに二人が対立軸になってしまうと、結果的にどちらかが折れたとしてもそれから先の関係性が不平等になってしまう。
だから最初から、お互いの困り事や譲れないこと、何を不快に感じて何を心地よく感じるか、といった要素を丁寧に話して共有した上で、相手の問題とはせずに「二人の問題」として、「さぁ、どうやって解決して、二人が心地よい関係を作るか」という協力プレイにしたほうがいいね、って話した。

二人の関係性を作るときに、価値観が違うのは当たり前。どっちが「正しい」とか「普通」とかそんなのは二人の間には意味がない。「相手が〇〇だから、自分は我慢してこうする」って思うのもよくない。目的は無理してでも付き合うことじゃなくて、「二人で心地よい関係を築く」ことなのだから。
だから、「恋人とつい意見が食い違って喧嘩してしまう、どうしたらいいかな?」と思ったら、「本来の目的を思い出す」ってことかなぁと思う。本来の目的っていうのはきっと、恋人を妥協させて自分だけの心地よさを勝ち取ることじゃないんだよね?二人で納得した上で関係性をつくることなんだ。

昔からよく思っているのは、「恋人の何気ない態度にショックを受けて、傷ついた」みたいなときに、「わたしは傷ついたんだから謝って」ってなってしまうと、謝ったところでわだかまりがふえるだけで解決はしないよなぁ、ってことなんだよね。それだと「傷つきやすいほうが王様」みたいになる。
傷つきやすい方も、何気なく傷つけてしまう方も、少なくとも好きで一緒にいる二人の関係性としてはどちらも悪くない。でもそれを放置するとお互いの関係性は心地よくないから「じゃあ、二人でどうするか考えようか」ってなるのがいい。

これは僕とおくさんが10年以上やってきたことで、だから僕らは「ケンカした」という覚えがほとんどない。ケンカじゃなくて「どうしよっか」って言いながら一緒に心地よく暮らし続けている。もちろん、そこにはおたがいに愛があることが前提だけどね。

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文月 煉
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