見出し画像

坂口安吾「復員」——戦後80年目の堕落論(或はたった400文字の小説)


文学界の新発見

2018年、坂口安吾の「復員」という四〇〇文字程度の小説が発見されました。

発見とは文字通りのことで、それまでその作品があると認識されていなかったということです。
「朝日新聞」1946年11月4日第四面の「けし粒小説」という欄に掲載されていたものの、それまでは研究史上でその存在が忘れ去られてしまっていました。

忘れられていたからといって、重要な作品ではなかったということではありません。

なぜなら本作には、安吾の「堕落論」の思想が凝縮されている、研究史上は見逃せない要素があるからです。

だからこそ私はたった四〇〇文字の小説のために、その倍の文字数で解釈を試みたいと思います。

「復員」本文

そのまえに、本作を読んでみましょう。青空文庫にも収録されていますが、非常に短いのでここに引用します。

ちなみに復員(復員兵)とは戦後に中国や韓国の戦地から引き上げた日本兵のことです。戦後の日本は経済が崩壊し食糧事情が危機的状況を迎えていたため、怪我をしたり心的外傷をおった復員兵は腫れ物のように扱われていました。

 四郎は南の島から復員した。帰つてみると、三年も昔に戦死したことになつてゐるのである。彼は片手と片足がなかつた。

 家族が彼をとりまいて珍しがつたのも一日だけで翌日からは厄介者にすぎなかつた。知人も一度は珍しがるが二度目からはうるさがつてしまふ。言ひ交した娘があつた。母に尋ねると厄介者が女話とはといふ顔であつた。すでに嫁入して子供もあるのだ。気持の動揺も鎮つてのち、例によつて一度は珍しがつてくれるだらうと訪ねてみることにした。

 女は彼を見ると間の悪い顔をした。折から子供が泣きだしたのでオムツをかへてやりながら「よく生きてゐたわね」と言つた。彼はこんな変な気持で赤ン坊を眺めたことはない。お前が生きて帰らなくとも人間はかうして生れてくるぜと言つてゐるやうに見える。けれども女の間の悪さうな顔で、彼は始めてほのあたゝかいものを受けとめたやうな気がして、満足して帰つてきた。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/59166_66101.html


考察:ドMな復員兵?

女に「間の悪さうな顔」をされて満足するとは、なんとドMなことか!

いや、そうではないはずですね。そんな性癖を新聞に披露するのが目的ではないはずです。

そこで私は、娘の顔に何故「ほのあたゝかいもの」を感じ満足したのかを論じてみましょう。

まずは先行研究の確認です。先行研究の確認は、「車輪の再発明」をしないためにも、作品批評の立ち位置を知るためにも外せません。

車輪の再発明
古くから皆に使われている技術や技法をそのまま模倣して利用すれば、時間や労力を使わずに済む。それにも関わらずアイディアを練る段階から始めていては時間・労力・コストなどの無駄となってしまうことから、時間の浪費、無駄な努力、愚かなこと、ばかばかしいこと、といったニュアンスで用いられる。

Wikipedia「車輪の再発明」


先行研究(斎藤理生2018)では娘に嫌な顔をされた理由を「以前あった関係を確認」したことと「彼女の充足を理解」したこととしています。また、堕落論に代表される、安吾の思想が濃縮」されていると言及しています。

では私の考察に入りましょう。

まずは現状整理です。
四郎は娘の間の悪そうな顔にほのあたたかいものを感じていましたね。
娘の反応は、彼と深い関係にあったはずの家族・知人の反応とは対照的でしたね。むしろ家族や知人が彼を厄介者扱いするのはあまりにも冷淡でした。

そこでまず家族・知人の反応を分析します。
四郎は三年前に死んだはずでした。本作品が発表された時期を基準にすると三年前は一九四三年十一月で、ちょうど南洋ではタワラ戦など厳しい戦争が起きていました。
そこで四郎は死んだと思われていたために、家族・知人から花々しく散った「英霊」と記憶されていたのでしょう。

その彼が戻ってきたことは、家族・知人は生き返ったのだと感じたわけです。彼らは四郎を死んだままにして「美しいままで終わらせ」たかったのでしょう。

片手片足で戻ってきた彼は歓迎されるよりも、経済も食糧事情も厳しい戦後において労働力として役に立たない「お荷物」な厄介者にならざるを得なかったのです。

家族らは彼に英霊であれと押し付けた価値観を持っていました。故に「死んだ美しい英霊→ 片手片足の厄介者」という認識を起こさせたのです。

彼は生者ではなく蘇った「死人」として見られました。
彼自身のありのままの存在を顧みられることなく、美しいままの英霊であれと価値観を押し付けられた。
ありのままの姿を認めてもらうことができなかったのです。家族・知人自身は戦後を生きているのに、彼は戦前の価値観の中でしか見て貰えなかった。

一方、娘は四郎を一人の人間として見ていました。
「間の悪さうな顔」とは、彼を「過去の英霊」という時間軸で見ていない証拠です。

ちょっとわかりにくいと思うので詳しく説明しますね。

「間の悪さうな顔」とは、赤子が泣き始めた、あるいは赤子の世話が終わり一息つけると思っていたというタイミングの悪さで彼が来たことへの反応です。
その反応は彼に限定されない反応です。おそらく彼女は同じタイミングで来客があったら彼以外にもその反応をしていたでしょう。

日本のために美しく散った英霊に押し留めようとする家族のリアクションとは異なります。
娘の反応は、家族たちが彼を過去に押し留めようとしたそれとは異なります。娘は「いま、ここに存在する」彼へに対して、生活感のある日常の反応で彼を迎え入れたのです。

それは彼を、今ここに一人の人間として見た故の、間の悪そうな顔なのです。

ちょっと俗な例を出してみます。
四人家族の兄弟を想像してください。あなたは兄で小さい弟がいます。
弟はまだ幼稚園生です。
兄のあなたは両親から「しっかりしなさい、お兄ちゃんなんだから」「長男なんだから我慢しなさい」といつも言われます。その時家族はあなたを、「あなたの本来性」を見ていません。
あなたのワガママを認めてくれません。
兄としての、しっかり者としての兄という虚像を、ありのままのあなたの上に被せて、本来のあなたを認めていないのです。

でも、兄のあなた一人だけが祖父母の家に迎えられたとしましょう。
するとあなたは安心するのではないでしょうか。兄としての役割や押しつけから解放されて、あなた自身を見てくれる存在に「ほっとする」のではないでしょうか。

堕落の肯定

さて、「復員」の考察に戻りましょう。

英霊の四郎ではなく個としての四郎を娘は見ました。

英霊であることを求められず、ただの一人の人間として扱われた。
だから彼は「ほのあたゝかいもの」を感じたのでしょう。
英霊であることを他者から求められないということは、堕落を許されたということです。

ここで堕落論の主張について軽く紹介します。

堕落論』(だらくろん)は坂口安吾随筆評論。坂口の代表的作品である。第二次世界大戦後の混乱する日本社会において、逆説的な表現でそれまでの倫理観を冷徹に解剖し、敗戦直後の人々に明日へ踏み出すための指標を示した書。敗戦となり、特攻隊の勇士も闇屋に堕ち、聖女も堕落するのは防げないが、それはただ人間に戻っただけで、戦争に負けたから堕ちるのではなく、人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ、と綴られている。旧来の倫理や道徳の否定といった次元ではなく、偉大でもあり卑小でもある人間の本然の姿を見つめる覚悟を示している作品である[1]

「堕落論」Wikipedia

生還したことで彼は英霊ではなくなってしまいました。
ただしそれは彼が正確な意味では「堕落した」のではありません。

偉大な英霊でなくなったかもしれないけれども、
そのことで矮小な存在に堕ちたのでもありません。

ただひとりの、ありのままの人間にもどっただけなのです。

文末の「満足して帰つてきた」とは、ただの人間として迎えられたことを実感できた事、それを許された事への満足なのです。



参考文献
斎藤理生、「新発掘・坂口安吾「復員」とその背景」、『新潮』、二〇一八年四月
坂口安吾、「堕落論」、銀座出版社、一九四七年

この記事が参加している募集