運動はするまでが億劫。でも、運動したことに後悔はしないというが……
#20241013-474
2024年10月13日(日)
本日、土・日曜日にスポーツの日がくっついた三連休なか日。
暦とは無縁の勤務体制のむーくん(夫)は仕事だが、小学生のノコ(娘小5)は休日だ。のんびり起きて、ゆっくり気ままに朝食を口に運んでいる。
私はいつも通り5時起床。ヨガを20分してから朝食をとり、日記を書いた。
そろそろ走りに出る準備をはじめよう。
雨が降らず、予定もない午前はできるだけ走るようにしている。「スロージョギング」というには照れくさいので、「ゆるジョグ」と私は呼んでいるもので、会話をしても息が上がらないペースで走る。はや歩きとたいして差がないようだが、歩くのとは別の筋肉を使うという。
ノコがほんの20分でも留守番を嫌がったので、今まではノコが小学校の長期休暇に入ると走れない日が続いた。
だが、今夏はさりげなく「走ってくるね」といえば、出られるようになった。20分がたいした時間でないことに気付いたのか、母の目がないところでしたいことを見付けたのか、大抵私が帰ると物音がし、なにもなかったかのようにノコは装う。
ノコの朝食中に私が走りに出たのなら、食事中の離席は禁じているのにフラフラ歩きまわっているらしく、慌てて食卓につく。
宿題中に出たのなら、ソファーで漫画でも読んでいたのか、やはり慌てて宿題をしていた振りをする。
母の目を盗むといっても、まぁ、まだノコはその程度だ。
朝食を終えたノコに宿題を済ませるよういう。
「じゃあ、ママはちょっと走ってくるからね」
ソファーに転がっていたノコが飛び起き、私にしがみついた。
「ダメ! ママ、行っちゃダメ!」
このところ、私の父の病のことで外出が続き、ノコを甘やかす余裕がなかった自覚はある。
「ママはここにいて。行かないで」
自覚があるので、家にいられる日はノコを満たしてあげたい。
だが、私の運動には意味がある。少しでも体重が減ればありがたいが、それよりも体調を整えるためなのだ。ただでさえ走れる日が減っているので、走れる日に走らないと不便なことになる。
思い直して、ノコに声を掛けた。
「一緒に行く?」
今までも何度かノコを誘ったことはある。だが、ノコは面倒くさがって一度ものってきたことはない。
「行く!」
パッとノコは私から離れると、着替えを取りに自室へ向かった。
――ほんとうに行くんかい!
来月には小学校で持久走大会がある。いい練習になるかもしれない。
ノコは私よりずっとはるかに運動神経がよく、走るフォームもきれいなのだが、なかなか成績につながらない。短距離だと後ろを走る子を気にして振り返ってしまい、長距離だとペース配分ができず途中で走るのを放棄してしまう。
並んで走りはじめたが、やはりペースがはやい。
「ノコさん、はやい、はやい。もっとゆっくり。お喋りしても息切れしないくらいがいいの」
そういってもノコはすぐにスピードが出てしまう。つられそうになるのを堪え、私はゆっくりゆっくり足を運ぶ。
「えええええ、そんなにゆっくり走れないしぃ」
ノコはタッタと駆け、角を曲がり、姿が見えなくなった。
かなり先にノコは行ってしまったかと角を曲がると、すぐそこにノコはいた。膝に手をつき、はあはあと肩で息をしている。先程までの威勢のよさはどこへいった。
「ママママ、ぐるじい。もう走れない」
「だから、ゆっくり走るの。ダアアアアとはやく走っては休んで、またダアアアアと走るより、ゆっくりでもいいからさ、ずっと走っているほうが最終的にはやいから」
「もう走れない。ヤダ」
ちょうどそこに公園がある。
「じゃあ、公園のベンチに座ってなさい。ママはいつも通りに走るから。ママが戻ってくるまで待っててちょうだい」
ノコを置いて、私は走る。
いつものペースで黙々と。
私のコースは家を中心に東西に走る。家を出たら西に向かい、その先で折り返し、家を通過して東まで行って戻ってくる。ノコは家を通過せず、帰宅。
通常コースを走り終えて玄関ドアを開けると、ノコがソファーに引っくり返っていた。
「あああああ、行かなきゃよかった。疲れた。だるい。宿題する気もなくなった」
運動はするまでが億劫だが、運動したことに後悔はしないと聞く。私自身もそう思う。
――みなさーん、ここに運動したことを後悔する人がいますよぉ!
そう叫びたくなる。ノコは手足をだらりとソファーから落としている。吹き出してしまうほどのだらけ具合だ。
「三連休の宿題のひとつは、日記だったよね。走ったことを書けば?」
ノコがじっとりと目だけ私に向けた。
「面倒くさぁ」
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