「私が悪いっていうんでしょ!」という娘の言葉に弱い私。
#20240530-405
2024年5月30日(木)
「ママママ、なわとび、壊れたから」
下校したノコ(娘小5)が廊下になわとびを放った。
数日前に縄が切れ、昨日は持ち手のパーツが壊れたという。そして、ノコは言葉を続けた。
「明日、いるから」
「はあ?」
思わず声が出た。
壊れたなわとびを持ち帰るのは、後日でもいい。新しいなわとびが必要なら、壊れた時点でいってほしかった。せめて昨日いってくれれば、昨日の習い事待機中に買うこともできた。今日の日中、スーパーへ買い出しに出た際に買うこともできた。買うチャンスはあった。
今日もこれから習い事がある。
だが、今日の習い事は近くになわとびを売っている店がない。
「ノコさーん、この時間にいって明日の学校までに用意するのは、さすがに無理だよ」
洗面所で水を跳ね飛ばしながら手を洗い、ガラガラペッとうがいをしたノコは荒々しい足取りで居間へ向かった。
「へええええ、ママは明日私のなわとびが0回でもいいんだ。私が悪いっていうんだ」
顎を上げ、私を見下すような目つきをする。
「ママは、ワーターシーが、悪いっていうんだ」
言葉を区切りつつノコがいう。なんとも凄みがある。
ノコに不自由な思いをさせたくない。親が用意すべきものはそろえたい。ノコが「悪い」と責めるような物言いをしたくない。
――そうよ。前日の夕方にいうあなたが悪い。
そういいたかったが、まるで売り言葉に買い言葉のようだ。ノコの突っかかりにのってしまうようで、私は口をつぐんだ。
もし私が「ノコが悪い」といったとしよう。
ノコはきっとこういう。
――ハイハイハイ、全部全部私が悪いっていうんでしょ。いつだって私が悪いんでしょ。明日なわとびが0回なのも、ゼーンブ全部私のせいだってママはいうんでしょ!
私は全部ノコが悪いなんていいたいわけではない。こちらはノコの困り事は減らしたい。用意したい意思はある。だが、さすがに前日の夕方にいわれるのは厳しい。
「せめて壊れた時点でいってちょうだい。そうしたら、用意できるから」
今日、どこかで買いに行けるだろうか。むーくん(夫)がもうすぐ帰宅するから、習い事に行っているあいだに買ってきてもらおうか。ただこのところ疲れているようなので、ノコと私が習い事で不在のあいだは家で1人のんびりしてほしい。
今、ノコは少しずつ1人で習い事へ通う練習をはじめている。往路は習い事先まで一緒に行かず、途中で別れてなわとびを買いに行けばなんとかなりそうだ。復路は夜遅いので習い事先まで迎えに行く。
「行きは途中まででいい? そうしたら、なわとび買えるから」
「えええええ」
ノコがへの字に唇をゆがめた。
「怖いし」
「でも、そうしたら明日なわとびないよ」
「帰りに買えばいいじゃん」
「お店、閉まっちゃうもの」
「わかったよ。1人で行けばいいんでしょ! 怖いけど、私が我慢すればいいんでしょ!」
ノコを習い事先に送ってから待機時間に戻り、なわとびを購入して迎えにいくという手立てもある。だが、それだと電車賃がかかってしまう。
1人で行きたいといい張るときもあるのだ。
それとも、ためらわずに「前日の夕方にいったあなたが悪い」といったほうがいいのだろうか。
そのほうが意外と後腐れがないのかもしれない。