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「明日、学校行きたくない」と娘がいった。
#20240312-373
2024年3月12日(火)
専業主婦の私だが、連日予定が入ると気が重くなってくる。カレンダーを見たくない。
会社勤めをしていたときは、どうしていたんだっけ。
そう思い巡らせるが、もう思い出せない。
今週はかなり予定がぎっしりな週だ。どうしても気が張る。
インターホンが鳴る。小さな画面越しでもノコ(娘小4)の様子がわかるようになった。
なにやら沈んでいる。
「おかえり~、ママのかわい子ちゃん」
おどけて玄関ドアを開けると、ノコはムッとした目で私を見た。ご機嫌で帰宅する日の、なんて少ないことか!
そのままノコを膝にのせ、ぎゅうと抱きしめながら話を聞くのがもはや定番化している。
「何があった? ママに甘えたいだけかい?」
背中をなでると、ノコはうつむいたまま、頭を横に振る。
そして、学校で友だちにこういわれた。傷ついて泣いたら、こういわれた。先生までこういった。ノコの話は止まらない。
――そのくらいで泣くんじゃない。
先生にそういわれたらしい。
そのくらいって、どのくらいだ、といいたくなる。
どのくらいなら、泣くに値するんだ。
その基準は人それぞれだし、同じ人であっても状況によって変わる。悲しいことが続いたり、気持ちが沈んでいるときは些細なことでも涙があふれるかもしれない。
学校は集団生活の場でもあるから、泣いたひとりが落ち着くまで待つことは叶わないのかもしれない。それであっても、泣くのに規定はない。
「ママが先生にお話しする?」
「・・・・・・しなくていい。学校にいったら、あのくらいで泣いたことをママにいったって多分いわれるから。来年は○○先生のクラスはヤダ」
それはノコの本音でもあり、今だけの言葉でもある。
数日後には反対のことをいっていることもありうる。
「明日、学校行きたくない」
もうすぐ春休みだ。
来週には給食も終わり、昼にはノコが帰ってくる。今週はまだひとりの時間――つまり「わたし時間」が多い貴重な週なのだ。
「そうかい。学校行きたくないかい」
私はぎゅうぎゅうとノコを抱き締める。
わたし時間を奪わないで、と叫びたいのを堪える。
まぁ、行きたくない日だってあるよなぁ。
明日にならないと、本当に休むかわからないしなぁ。
じたばたしても仕方がない。
慌てなくなった自分が少しだけ頼もしい。これが委託4年目の成長だろうか。
私が動揺すると、ノコにも伝わる。
翌朝、ノコはなかなか着替えなかったが、それでも服は用意してきた。
「ママ、お腹痛い」
胃腸の風邪で痛いのか、お通じが滞って腹が張って痛いのか、精神的なものなのかわからない。
「トイレ、行く?」
「出ないからいい」
「じゃあ、朝ご飯は無理しないで食べられたら食べてね」
促すことはせずに洗濯物を干したり、食器を洗ったりパタパタ動いていたら、いつのまにか完食していた。
「熱、はかってみる」
自分で体温計を脇の下に挟んだ。毎朝の検温は特別なことではない。朝の体温はアプリで学校に知らせることになっている。
電子音が鳴り、ノコが体温計を見てため息をついた。
「熱、ない。36テン1。最近、こればっかだね」
私の子どもの時分と違い、ノコはほとんど腹痛を訴えない。私はよくお腹を壊し、トイレから出られなくなったものだが、ノコは幸いなことにこの家でそうなったことはない。
「痛いのなら、無理しなくていいよ」
ノコが首を振る。
「熱ないし。大丈夫。学校行く」
私が正座し、両腕を広げると、ノコがそそくさと膝に座った。
ゆったりと抱き締める。
「痛くなったら、先生にいうんだよ。そうしたら、お迎えに行くからね」
ノコはぎゅうと強く私を抱き締めると、ランドセルを手に玄関へ向かった。
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