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【連載】#15 逆境に感謝する|唯一無二の「出張料理人」が説く「競わない生き方」

職業「店を持たない、出張料理人」、料理は出張先の素材を最大限に生かしたオンリーワンのレシピを考案して提供する――。本連載は、そんな唯一無二の出張料理人・小暮剛さんが、今までの人生で培ってきた経験や知恵から導き出した「競わない生き方」の思考法&実践法を提示。人生を歩むなかで、比べず、競わず、自由かつ創造的に生きていくためのヒントが得られる内容になっています。

※本連載は、毎週日曜日更新となります。
※当面の間、無料公開ですが、予告なしで有料記事になる場合がありますのでご了承ください。

思えば、私の人生は「逆境の連続」でした。

生まれたときから、身体のサイズが桁違いに大きく、同年代の仲間と同じファッションを楽しむこともできませんでしたし、制服や靴も私だけ特注でした。料理の世界で一流になりたくて、遠回りかもしれないけれど、大学まで行き、大阪の辻調理師専門学校にも行って、フランスで修行もしました。しかし、帰国後に勤めたフレンチレストランでは、毎日嫌がらせされたり、陰険なイジメに遭い続けたのは、この連載でもお伝えしたとおりです。

自分の夢を実現するために一生懸命頑張ってきたのに、なんでこんな仕打ちに遭わなければいけないのだろうと、本当に情けなく、死にたいくらい悩みました。人生をやり直せるなら、中卒で飲食店に見習いで入りたいと真剣に思ったこともあります。

30歳で独立し、出張料理を始めたときも、逆境の連続でした。

中学生のときから、将来はお店を持ち、オーナーシェフとして成功する夢を持っていたのに、現実の世界は厳しく、銀行が全く相手にしてくれませんでした。それで仕方なしに、軽自動車にあり合わせの食器や調理器具を積んで、地元船橋から始めた出張料理ですが、最初の4年間は、ほとんど仕事がありませんでした。少し軌道に乗って、仕事をいただけるようになってからも、毎回何かしらのアクシデント、アウェーの洗礼のようなものを受け続けました。何しろ、他に出張料理ということをしている人はいませんでしたから、誰にも相談できずに、道なき道を歯を食い縛って進む毎日でした。

最近でいえば、コロナ禍の4年間は、人生60年にして最大のピンチ、まさに逆境中の逆境でした。自分の無力さを嫌と言うほど感じましたし、結局、今まで偉そうなことを言ってきたけれど、自分ひとりでは何もできないじゃないかと、自己嫌悪の日々でした。今までは、仕事は黙っていても自然に来るものだと思っていましたし、実際に40代のときには、こういう仕事がしたいと思っていると、不思議と希望に合った仕事が来ていたので、「地球はオレ中心に回っている」くらいの自惚れを持っていました。独立したばかりの頃の初心を忘れていました。今思えば、本当に恥ずかしいですし、えらい勘違いをしていました。

コロナ禍では、店舗を持っていれば、休業補償金も出ましたが、私は店舗がありませんので、仕事に関しては一切の補償もなく、今までの自惚れを反省しろと言われているようでした。しかも、ダメ押しするかのように、東京都のホームページでも、千葉県のホームページでも、「ホームパーティーも厳禁」のお達しが出ていて、まさにダブルパンチでダウン寸前でした。

こんなときにありがたいのは、両親や親戚、昔からお世話にになっている方々からの励ましでした。コロナ禍では、仕事以前に人として大切なことに気づかせていただきましたので、これからは、謙虚な気持ちで御縁を大切にして恩返ししていきます。もう間違いません。

このように、冷静に自分の人生を振り返ってみると、確かに逆境が多かったですが、その経験があったから、今の自分がいると感じています。

小さい頃から身体が特大でしたが、コック服を着て、高さ35センチのコック帽を被ると、ヘタなゆるキャラよりも目立ちますし、インパクトがあります。特に小さなお子さんからの人気は絶大で、私のライフワークである「食育イベント」でコックさんの格好をして登場すると、もうそれだけで大盛り上がりです。

「食育」と言うといろいろな切り口がありますが、お子さんが料理づくりに興味を持ち、例えば、忙しいお父さん、お母さんのために、味噌汁と目玉焼きと御飯でもいいのでつくってあげたら、ご両親は「おいしいね!」と言って、涙を流して喜んでくれるでしょう。このように「誰かに感謝される醍醐味」を味わうことが大切で、自分の存在意義も感じられ、さらにおいしくつくろうという向上心が芽生えるものです。料理づくりをうまくやるには「段取り」を考えることが必要で、これは学力アップにもつながる大切な要素です。

フランスから帰国後に勤めたフレンチレストランはかなり封建的で、理不尽なイジメに遭いましたが、その経験があるからこそ「何クソ、負けないぞ」というハングリー精神も生まれ、反面教師として、人に教えるときには、どうすればいいかがわかるようになりました。人が嫌がる下積みの仕事を率先してやる大切さを、身をもって体験できたことは、私の大きな財産です。

独立したときに、銀行がお金を貸してくれずに、仕方なく始めた出張料理ですが、もしそのときに銀行から好きなだけお金を借りられて、お店を出していたら、数年のうちに閉店していたかもしれません。それくらい、飲食店経営は厳しく大変です。そう考えると、銀行から借金できなかったという逆境が、あとになってチャンスに変わったともいえます。

こうして考えると「逆境のすべてがチャンスをつかむために必要なものだった」ことがわかります。

人生にムダなことはない――。
まさに「逆境、ウェルカム」の精神が大切だと心底感じています。

人生、山あり谷ありと言いますが、谷を恐れて行動しない人生ほど、つまらないものはないとつくづく思います。あなたも、つまずきや失敗を恐れずに、自分がやりたいことを思い切ってやってみてください。その積み重ねが、人生を味わい深いものにしてくれますし、気がつけば、より魅力的な人になっているはずです。

【著者プロフィール】
小暮 剛(こぐれ・つよし)
出張料理人。料理研究家。オリーブオイルソムリエ。1961年、千葉県船橋市生まれ。明治学院大学経済学部卒業後、辻調理師専門学校を首席で卒業。渡仏し、リヨンの有名店「メール・ブラジエ」で修業。帰国後、「南部亭」「KIHACHI」「SELAN」にて研鑽を積み、1991年よりフリーの料理人として活動開始。以後、日本全国、海外95カ国以上で腕をふるう「出張料理人」として注目される。その土地の食材を豊富に使い、和洋テイストを融合させて、シンプルに素材の持ち味を生かす「小暮流料理マジック」に、国内のみならず世界中から注目が集めている。近年は、出張料理人として活躍しながら、地域食材を最大限に生かしたレシピ開発を通じた地方再生や、子どもたちの食育講座などを積極的に行なっている。また、日本におけるオリーブオイルの第一人者としても知られ、2005年には、オリーブオイルの本場・イタリア・シシリアで日本人初の「オリーブオイルソムリエ」の称号を授与している。その唯一無二の活躍ぶりは各メディアでも多く取り上げられており、TBS系「情熱大陸」「クレイジージャーニー」への出演歴も持つ。最終的な夢は、「食を通して世界平和を!」。

▼本連載「唯一無二の『出張料理人』が説く『競わない生き方』」は、下記のサイトで過去回から最新話まですべて読めます


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