この世は「やった方がよさそうなこと」だらけ
2024年11月19日(火)朝の6:00になりました。
書くことで身につくものは、あらゆる場面で活きてきます。
どうも、高倉大希です。
自分がやらなくてもよいことは、とことんやらない。
いわゆる「仕事ができる人」を観察していて、気がついたことのひとつです。
はじめは、あらゆる仕事を手際よくこなす人が該当すると思っていました。
ところがそのような人は大抵、一定のラインで頭打ちを迎えます。
本当にできる人は、やらなくてもよいことを見事なまでにやりません。
言い換えるなら、自身の役割をこれでもかというくらいに理解しているのです。
ひとりの人間にできることなんて、せいぜい限られています。
スキルも時間も体力も、無限につかえるわけではありません。
そんな限られたコストを、どこにどのくらい割くのか。
この判断が言わば、その人の成果に直結するというわけです。
やらなくてもよいことに、コストを割いている場合ではありません。
大切なのはやるべきことではなく、やらなくてもよいことを見極める力です。
「やった方がよさそうなこと」と「やらなくてもよいこと」に分けられる。
かつては、そう思っていました。
ところが、その状態で仕事をはじめると戸惑ってしまいます。
なぜなら、目の前には「やった方がよさそうなこと」しかないからです。
「やらなくてもよいこと」が、見事なまでに見当たりません。
要するに「やった方がよさそうなこと」を、さらに分けねばならぬのです。
問題っぽいものをみつけると、ついつい解決したくなってしまいます。
もっとよくできそうなものをみつけると、ついつい改善したくなってしまいます。
これがまあ、厄介です。
目の前のそれに取り組んでいるうちに、ほかの可能性が失われてしまうからです。
だからわたしたちは、勇気を出して立ち止まらなければなりません。
目の前にあるものは、すべて「やった方がよさそうなこと」に見えるのです。