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あの人と比べて自分は


2025年1月11日(土)朝の6:00になりました。

今日は、めちゃくちゃ掃除します。

どうも、高倉大希です。




短い鉛筆を見て「短い」と思えるのは、長い鉛筆の存在を知っているからです。

比べるものがなかったら、「短い」と思うことすらできません。


他の人と自分を、比べる必要なんてないんだよ。

そんな言葉を、よく聞きます。


べつに、比べることそのものが悪いわけではありません。

比べる基準が乏しいことが、問題だと思うのです。


何かを絶対的な善にしたり、絶対的な悪にしたりして行動することは簡単なことである。むしろ、善悪の相対化のなかで、その両面をよく認識し、それに正面から立ち向かってゆくことによってこそ、事態が開けてくるのではないだろうか。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


勉強という基準しかもっていなければ、バカな自分が悪になります。

運動という基準しかもっていなければ、足の遅い自分が悪になります。


容姿という基準しかもっていなければ、不細工な自分が悪になります。

経済という基準しかもっていなければ、貧乏な自分が悪になります。


基準によって簡単に、善悪が決まります。

それらの基準が、信用に値するものなのかどうかはよく考えねばなりません。


権力とは何か、を一言で言うならば「状況を定義する権利」であるとする考え方が、私には最もしっくりきます。具体的に言うと、その状況において何が良い/悪いとされるのか、どんな行為が求められて/禁止されるのかを決める権限を持っている、決めることが許される立場にいるということです。

竹中直人(2021)「〈叱る依存〉がとまらない」紀伊國屋書店


ほとんどの基準は、自分で決めたものではありません。

どこかの誰かが知らぬ間に、決めてしまった基準です。


中には、どうなのよと思う基準もたくさんあります。

だからといって、すべての基準を思いどおりに改変することはできません。


人生をかけてでも、改変したい基準を決める。

それ以外は、黙って受け入れるに尽きます。


世の中のほうは、私のためにあるわけじゃありません。私たちが生まれてくる以前から世の中は先にあります。私の好き嫌いとは関係なく、すでに世の中は存在している。だったら、とりあえず受け入れるしかありません。それが大前提です。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


基準なんて、環境が変われば案外あっさり変わります。

基準なんて、時代が変われば案外あっさり変わります。


特定の基準が大きく見えるのは、あなたがその環境に身を置いているからです。

特定の基準が大きく見えるのは、あなたがその時代を生きているからです。


くり返しになりますが、べつに比べることが悪いわけではありません。

比べる基準が乏しいことが、問題だと思うのです。






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高倉大希
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