あの人と比べて自分は
2025年1月11日(土)朝の6:00になりました。
今日は、めちゃくちゃ掃除します。
どうも、高倉大希です。
短い鉛筆を見て「短い」と思えるのは、長い鉛筆の存在を知っているからです。
比べるものがなかったら、「短い」と思うことすらできません。
他の人と自分を、比べる必要なんてないんだよ。
そんな言葉を、よく聞きます。
べつに、比べることそのものが悪いわけではありません。
比べる基準が乏しいことが、問題だと思うのです。
勉強という基準しかもっていなければ、バカな自分が悪になります。
運動という基準しかもっていなければ、足の遅い自分が悪になります。
容姿という基準しかもっていなければ、不細工な自分が悪になります。
経済という基準しかもっていなければ、貧乏な自分が悪になります。
基準によって簡単に、善悪が決まります。
それらの基準が、信用に値するものなのかどうかはよく考えねばなりません。
ほとんどの基準は、自分で決めたものではありません。
どこかの誰かが知らぬ間に、決めてしまった基準です。
中には、どうなのよと思う基準もたくさんあります。
だからといって、すべての基準を思いどおりに改変することはできません。
人生をかけてでも、改変したい基準を決める。
それ以外は、黙って受け入れるに尽きます。
基準なんて、環境が変われば案外あっさり変わります。
基準なんて、時代が変われば案外あっさり変わります。
特定の基準が大きく見えるのは、あなたがその環境に身を置いているからです。
特定の基準が大きく見えるのは、あなたがその時代を生きているからです。
くり返しになりますが、べつに比べることが悪いわけではありません。
比べる基準が乏しいことが、問題だと思うのです。
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