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バスでも本を読めたらいいのに


2024年8月18日(日)朝の6:00になりました。

旅先だろうと、朝の6:00はやってきます。

どうも、高倉大希です。




昨日はひさしぶりに、長いあいだ電車に揺られていました。

やはり電車ほど、読書に向いている環境はありません。


この旅程中に読もうと思っていた本を、往路で読み切ってしまいました。

出先における読み切った本なんて、ただの荷物でしかありません。


帰路の分も購入しなければならないので、2冊を抱えて帰ります。

だいたい、いつもそんな感じです。


旅は読書以上の師だ。旅は多くのものを吸収するが、ぼくにとってはむしろ吐き出す行為だ。つまり空っぽになれるのだ。荷物いっぱいの日常を抱えて出掛けるが、その全部を捨てて帰ってくる。

横尾忠則(2018)「アホになる修行」イースト・プレス


電車に揺られたあとは、バスに乗り継ぎました。

やはりバスほど、読書に向いていない環境はありません。


決して、乗りものに弱いわけではありません。

それでもさすがに、バスで文字を読むのは危険です。


バスでも、本を読めたらいいのに。

だいたい、いつもそう思います。


旅になにかを期待してもしょうがない。遊びに行くってことでいいんじゃないか。そう言われると、なにか意義あるもののように旅を語る人々が、無理をしているように思えてくる。

吉本隆明、糸井重里(2004)「悪人正機」新潮社


調べてみると、どうやら電車でも酔う人はいるそうです。

目が受け取る情報と三半規管が受け取る情報が違うので、脳が混乱するわけです。


そう考えると、なおさらわからなくなってきました。

どうして自分の場合は、電車では酔わないのに、バスでは酔うのだろう。


バスで本を読んだとしても、酔わない人もいるのだろうか。

もしかするとすんなりと実現している人が、この世にはいるのかもしれません。


熟達した選手たちは簡単に技術を調整しているように思えるかもしれませんが、局所で技術を改善すると、必ずそれによって変化した全体のバランスを取り直しています。局所だけを改善していくと、知らない間に全体のバランスが崩れてしまい、パフォーマンスが低下するからです。

為末大、今井むつみ(2023)「言葉、身体、学び」扶桑社


無理してバスでも読み続ければ、耐性がつくかもしれません。

自分が克服できなくとも、子孫は酔わない体で生まれてくるかもしれません。


オーディブルという選択肢があることは、重々承知しています。

バスではラジオを楽しもうと、割り切ることだって可能と言えば可能です。


本なんて読まなくても、退屈がしのげるこの時代に。

わたしは、バスで本を読みたいのです。






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