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失敗を笑ってくれる人


2025年2月23日(日)朝の6:00になりました。

連休は、よいものです。

どうも、高倉大希です。




子どもが失敗したら、多くの大人は気持ちに寄り添おうとする。

寄り添うことは誰かがやってくれるから、お前は笑う人になれ。


かつての上司から、いただいた言葉です。

失敗を笑うなんて最低じゃないか、とかつての自分は思っていました。


いまなら、よくわかります。

笑ってくれる人がいるという事実は、目の前のできごとの意味を変えるのです。


他人と一緒に住むって、失敗を笑ってもらえるということでもあるのだなあと、うれし恥ずかしい感じ入り、そういう、私たちの、はじめての夜だった。

小原晩(2023)「これが生活なのかしらん」大和書房


転んだ子どもに対して、大人が「大丈夫!?」と寄り添います。

子どもはそんな大人の慌てぶりを見て、目に涙を浮かべます。


すり傷が痛いから、泣くのではありません。

大ごとなのだと勘違いして、泣くのです。


経験が少ない分、目の前のできごとを相対化する術がありません。

大人が慌てるできごとは、子どもにとっては一大事です。


子どもが保守的で変化をおそれるかというと、無力だからですよね。身体もちいさいし、弱い立場にいる。生存戦略として、保守的にならざるをえないのが子どもなんですよ。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


誰かが、笑ってくれさえすれば。

自分にとっての大ごとが、大したことではなくなります。


決して、笑ってごまかそうという話ではありません。

実際に、ほとんどの問題は大したことではないのです。


たまたま近くで起こっているから、大きく見えているだけです。

笑ってくれる人がひとりいるだけで、一歩離れて見ることができるわけです。


現実のつまらなさを、一瞬でも忘れさせてくれる希望は、人には本来欠かせないはずだ。全部だめで、なにひとつ希望が叶わなかったとしても、友と一緒に酒を飲んで笑い話にすればいい。そのために友がいる。

燃え殻(2023)「ブルーハワイ」新潮社


軽んじるわけでも、侮るわけでもありません。

ちゃんと受け取って、ちゃんと笑います。


これをくり返していると、子どもたちの失敗のハードルが下がります。

笑われるとわかっていて、報告してくるようになります。


言い換えるなら、大事なことにも気づいてもらいやすくなります。

本当に大事なときだけ、笑わなければよいからです。






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高倉大希
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