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失敗を笑ってくれる人
2025年2月23日(日)朝の6:00になりました。
連休は、よいものです。
どうも、高倉大希です。
子どもが失敗したら、多くの大人は気持ちに寄り添おうとする。
寄り添うことは誰かがやってくれるから、お前は笑う人になれ。
かつての上司から、いただいた言葉です。
失敗を笑うなんて最低じゃないか、とかつての自分は思っていました。
いまなら、よくわかります。
笑ってくれる人がいるという事実は、目の前のできごとの意味を変えるのです。
他人と一緒に住むって、失敗を笑ってもらえるということでもあるのだなあと、うれし恥ずかしい感じ入り、そういう、私たちの、はじめての夜だった。
転んだ子どもに対して、大人が「大丈夫!?」と寄り添います。
子どもはそんな大人の慌てぶりを見て、目に涙を浮かべます。
すり傷が痛いから、泣くのではありません。
大ごとなのだと勘違いして、泣くのです。
経験が少ない分、目の前のできごとを相対化する術がありません。
大人が慌てるできごとは、子どもにとっては一大事です。
子どもが保守的で変化をおそれるかというと、無力だからですよね。身体もちいさいし、弱い立場にいる。生存戦略として、保守的にならざるをえないのが子どもなんですよ。
誰かが、笑ってくれさえすれば。
自分にとっての大ごとが、大したことではなくなります。
決して、笑ってごまかそうという話ではありません。
実際に、ほとんどの問題は大したことではないのです。
たまたま近くで起こっているから、大きく見えているだけです。
笑ってくれる人がひとりいるだけで、一歩離れて見ることができるわけです。
現実のつまらなさを、一瞬でも忘れさせてくれる希望は、人には本来欠かせないはずだ。全部だめで、なにひとつ希望が叶わなかったとしても、友と一緒に酒を飲んで笑い話にすればいい。そのために友がいる。
軽んじるわけでも、侮るわけでもありません。
ちゃんと受け取って、ちゃんと笑います。
これをくり返していると、子どもたちの失敗のハードルが下がります。
笑われるとわかっていて、報告してくるようになります。
言い換えるなら、大事なことにも気づいてもらいやすくなります。
本当に大事なときだけ、笑わなければよいからです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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