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経験なんていつだって不足している
2024年11月15日(金)朝の6:00になりました。
本日18:00より、共同マガジン「万華鏡」の参加者募集を開始します。
どうも、高倉大希です。
学生時代に、もっとこういう経験を積んでおけばよかったな。
若いうちに、もっとこういう経験を積んでおけばよかったな。
歳を重ねれば重ねるほど、こう思うことが増えました。
経験不足を痛感する機会が、山のようにあるからです。
経験のせいにしても仕方がないことくらい、重々承知しています。
だからいまある経験で、どうにかこうにかやりくりします。
人々は「私」という美術館を作り上げています。「私」の経験という履歴の中から、他者に見せたいもの、魅せられるものだけを丁寧に選別し、ガラスケースに入れた美術品のように展示しています。
経験なんて、いつだって不足しています。
足りないことが、デフォルトです。
過去と名のつく時間が長くなるほど、経験できたはずだという後悔も膨らみます。
ところが冷静に考えてみれば、何も経験していないなんてことはありえません。
特定の経験が足りない分、なにかほかの経験を必ず積んでいるはずです。
当人が価値を感じていないというだけで、じつはそこに宝が眠っていたりします。
30代や40代くらいで「成功した」「失敗した」と言うのはやめましょう。不毛です。そもそも何をもって成功というのか難しいですし、それは別にしても、せめて80歳くらいまでは待ちましょう。人生、何がどうなるかなんて分かりません。
友だちと笑い合う経験が少なかった分、数多くの作品に触れる経験を詰みました。
コミュニケーションが苦手だった分、ひとりで熟考する経験を詰みました。
多かれ少なかれ、誰にでもそのような偏りがあるわけです。
そしてそんな偏りこそが、磨けば光る宝になります。
はじめからキラキラしているものだけが、経験ではありません。
不足していると感じるくらいで、ちょうどよいのだと思います。
ぼくは、ひとりの時間を持たない人は、どこか嘘があると思う。できれば、ひとりの時間を持っている人や、それを経験してきた人と付き合っていたいんです。
むしろ、経験に頼ってしまうことの方が危ないとすら感じます。
ひとり分の経験なんて、大したものではありません。
何億光年の、歴史において。
たった数十年の経験なんて、豆つぶのようなものなのです。
それでもわたしたちは、経験を拠りどころにせざるをない現実で暮らしています。
経験なんて、不足していて当然です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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