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申し訳なさを更新する
2024年6月2日(日)朝の6:00になりました。
しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか。
どうも、高倉大希です。
力不足で、申し訳ない。
小学校の学級担任を務めていたころは、毎年のようにこう思っていました。
べつに、何かがあったわけではありません。
子どもたちは健やかに、次の学年へと進級します。
それでも1年を終える度に、申し訳なさでいっぱいになります。
彼らのためを思うと、本当に自分なんかが担任でよかったのだろうか。
人に本を薦めるのは怖い。人の時間を奪ってしまうかもしれないし、好きな作品を「あんまりだった」ちょ思われてしまうのも寂しい。なにより、勝手にほんと読者を引き合わせておいて失敗するなんて、作者に申し訳ない。
他の先生だったら、もっとうまくやっただろうな。
卑屈なときは、こんなことも考えます。
だからといって、立ち止まるわけにもいきません。
申し訳なく思うからこそ、よりよい方法を模索します。
よりよい方法があるのに、実行しない。
その方が、子どもたちに失礼です。
僕は〆切に間に合う作家です。理由は、完成品を何度も更新させているからです。「そこまで!」と言っていただければ、そこで区切って提出できます。どこで切っても完成品は完成品です。
親も、同じ気持ちなんだな。
そんな事実に気がついたのは、もう少し時間が経ってからのことでした。
本当に自分なんかが、この子の親でよいのだろうか。
他の親のもとに生まれていた方が、この子は幸せだっだのかもしれない。
言いはじめたらキリがないことくらい、十分にわかっています。
それでもやはり、申し訳ない気持ちがどこまでも付きまとってくるのです。
いつか「何の問題もない状態」に到達できるのではないかという幻想を抱いているからだ。その結果、目の前の具体的な問題ではなく、「問題がある」こと自体が問題であると感じられ、二重に苦しまなくてはならない。
申し訳なさを抹消しようと思っても、それは無理な話です。
人間という生きもの自体が、万能ではありません。
わたしたちにできるのはせいぜい、申し訳なさを更新することくらいです。
ひとつの申し訳なさを抱えるのではなく、次の申し訳なさに更新します。
あのときは、申し訳なかった。
そう思えるということは、前に進んでいる証拠です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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