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相手に届けるところまで


2025年2月16日(日)朝の6:00になりました。

これから、42.195km 走ってきます。

どうも、高倉大希です。




自分はとても好きだけれど、相手は微塵も好きじゃなかったらどうしよう。

自分はとてもやる気だけれど、相手は微塵もやる気じゃなかったらどうしよう。


このような熱量の差が、多くの悩みを生み出します。

不安だけが膨らんで、負の循環に陥るわけです。


頭の中で完結させて、動く前から諦めて。

こうして日常は、何ごともなかったかのように明日へと続いていくのです。


デューイは「不確定な状況」をかき乱された、困った、曖昧な、混乱した、矛盾に満ちた、不明瞭な状態、などと表現している。(中略)わからない、わかりたいという気持ちこそが深い学びを引き起こしていくのである。

藤原さと(2023)「協働する探究のデザイン」平凡社


思ったことは、口に出さなきゃな。

そんな当たり前なことを、最近よく思います。


聞かれたから答える、というわけではありません。

話したいから話す、というわけでもありません。


好きなら好きだと、やる気ならやる気だと、一方的に公言します。

さもなくば、知らぬ間に機会を失いかねません。


愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。

平野啓一郎(2012)「私とは何か」講談社


頑張っていれば、必ず誰かが見てくれている。

この言葉に対して、ずっと疑問を抱いていました。


これは、見る側が努力することであって。

見られる側が、前提に置くことではないだろう。


と、そう思っていたからです。

相手に届けるラストワンマイルを、運に任せてしまうのです。


「誰とでもどんなことでも分かりあえる」というのは幻想にすぎない。そしてその幻想は、分かりあえない相手を切り捨てる力として働きかねない危険な幻想でもある。だが、「どうせ分かりあえないのだから」と諦めてしまい、最初から分かろうとも分かってもらおうともしないのは、もっと危険である。

野矢茂樹(2018)「大人のための国語ゼミ」筑摩書房


黙っていても、わかりやしない。

誰も、見てくれはしない。


熱量に、差があることは当然です。

その差をどうにか埋めるためにも、自分の思いを表現しなければなりません。


思ったことは、口に出す。

簡単なように聞こえるのがまた、厄介なところです。






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高倉大希
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