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文学から離れるとどうにも調子が悪くなる
2025年3月1日(土)朝の6:00になりました。
今日は、おいしいものを食べておいしいお酒を飲む日です。
どうも、高倉大希です。
部屋があまりに汚いと、どうにも調子が悪くなる。
1日に1回は外に出ないと、どうにも調子が悪くなる。
イヤホンを忘れると、どうにも調子が悪くなる。
note を毎朝書かないと、どうにも調子が悪くなる。
これをしないと、生活全体の調子が悪くなってしまう。
そんな事がらが、どうやらいくつか存在します。
ほどほどに長く生きていると、おいおいと泣くことでしか越えられない夜がどうしてもある。ただし、おいおいと泣く場所さえあれば、人はどーにか朝を迎えられる気がしている。
そんな中でも、もっとも顕著なのが今日の記事のタイトルです。
文学から離れると、どうにも調子が悪くなる。
日々仕事に励んでいると、どうしても読書の時間を見失いがちです。
文学作品ともなると、なおさら優先度が下がります。
ところが文学に触れないと、どうにも調子が上がりません。
たとえ数ページだとしても、触れ続けることが大切です。
本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。
大学を受験するときに、唯一継続していたのも文学に触れることでした。
文学作品を読むことをやめた途端に、成績が下がり出すわけです。
なぜなのかは、いまだによくわかりません。
なぜなのかはわからないけれど、間違いなく調子は悪くなるのです。
社会人になってからも、その傾向は変わりません。
文学に触れることを怠ると、たちまちうまくいかなくなります。
絵に集中すると、どうしても絵のことを考えてしまうでしょう。できるだけていねいに描こうとか、そういうことも思ってしまう。すると、描いている絵がつまらなくなっちゃうんです。それよりも、なるべく絵から気を散らして、違うことを考えたほうがいい。そうすると手も自由に動く気がするの。
文学作品を読んだところで、べつに役には立ちません。
仕事に直結するわけでも、モチベーションに繋がるわけでもありません。
でもきっと、そんな時間が大事なのだろうなと思います。
いやむしろ、なくてはならない時間なのだろうなと思います。
目の前の生活から、引き剥がしてくれるのが文学です。
役に立つかどうかなんてきっと、さほど重要ではありません。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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