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文学から離れるとどうにも調子が悪くなる


2025年3月1日(土)朝の6:00になりました。

今日は、おいしいものを食べておいしいお酒を飲む日です。

どうも、高倉大希です。




部屋があまりに汚いと、どうにも調子が悪くなる。

1日に1回は外に出ないと、どうにも調子が悪くなる。


イヤホンを忘れると、どうにも調子が悪くなる。

note を毎朝書かないと、どうにも調子が悪くなる。


これをしないと、生活全体の調子が悪くなってしまう。

そんな事がらが、どうやらいくつか存在します。


ほどほどに長く生きていると、おいおいと泣くことでしか越えられない夜がどうしてもある。ただし、おいおいと泣く場所さえあれば、人はどーにか朝を迎えられる気がしている。

燃え殻(2023)「ブルーハワイ」新潮社


そんな中でも、もっとも顕著なのが今日の記事のタイトルです。

文学から離れると、どうにも調子が悪くなる。


日々仕事に励んでいると、どうしても読書の時間を見失いがちです。

文学作品ともなると、なおさら優先度が下がります。


ところが文学に触れないと、どうにも調子が上がりません。

たとえ数ページだとしても、触れ続けることが大切です。


本のなかには、私たちが欲望していることを知らない知が存在している。知は常に未知であり、私たちは「何を知りたいのか」を知らない。何を読みたいのか、私たちは分かっていない。何を欲望しているのか、私たちは分かっていないのだ。

三宅香帆(2024)「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」集英社


大学を受験するときに、唯一継続していたのも文学に触れることでした。

文学作品を読むことをやめた途端に、成績が下がり出すわけです。


なぜなのかは、いまだによくわかりません。

なぜなのかはわからないけれど、間違いなく調子は悪くなるのです。


社会人になってからも、その傾向は変わりません。

文学に触れることを怠ると、たちまちうまくいかなくなります。


絵に集中すると、どうしても絵のことを考えてしまうでしょう。できるだけていねいに描こうとか、そういうことも思ってしまう。すると、描いている絵がつまらなくなっちゃうんです。それよりも、なるべく絵から気を散らして、違うことを考えたほうがいい。そうすると手も自由に動く気がするの。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


文学作品を読んだところで、べつに役には立ちません。

仕事に直結するわけでも、モチベーションに繋がるわけでもありません。


でもきっと、そんな時間が大事なのだろうなと思います。

いやむしろ、なくてはならない時間なのだろうなと思います。


目の前の生活から、引き剥がしてくれるのが文学です。

役に立つかどうかなんてきっと、さほど重要ではありません。






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高倉大希
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