余裕のある人
2024年7月2日(火)朝の6:00になりました。
僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きているような余裕はない。
どうも、高倉大希です。
ときどき、余裕のある人と出会います。
焦らず、慌てず、翻弄されず。
いつも、なんだか澄ました顔をしています。
どうしてあの人はあんなにも、余裕があるのだろう。
そう思ってからというもの、余裕のある人をよくよく観察するようになりました。
すると、どうやらもう少し細かく分類できそうだということに気がつきました。
余裕のある人の中には、計算どおりだったことにしたがる人が含まれています。
あれにもこれにも意図があって、すべては掌の上だと言いたがる人たちです。
すべてが思いどおりなら、余裕があって当然です。
想定内のことしか起こらなければ、驚くこともありません。
たしかに余裕はあるのかもしれませんが、どうにもカッコよくはありません。
計算可能な範囲で威張っているだけだろうと、ついつい思ってしまうからです。
余裕のある人の中には、諦めたことにしたがる人が含まれています。
あれにもこれにも意図はなくて、すべては決まっていると言いたがる人たちです。
すべてが筋書きどおりなら、余裕があって当然です。
想定外のこともはじめから定められていたと考えれば、驚くこともありません。
たしかに余裕はあるのかもしれませんが、どうにもカッコよくはありません。
考えることを放棄しているだけだろうと、ついつい思ってしまうからです。
計算どおりだったことにしたがる人と、諦めたことにしたがる人。
カッコよくないと言いましたが、おそらく両者ともあながち間違ってはいません。
計算どおりにしたいのだけれど、計算どおりにしたくない。
諦めたことにしたいのだけれど、諦めたことにしたくない。
ここの塩梅が、非常に難しいところです。
カッコいい余裕のある人は、そんな土俵際でなんだかいつも楽しそうです。