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2025年2月3日(月)朝の6:00になりました。 来年度は、交通費を惜しまない生活を送りたいところです。 どうも、高倉大希です。 ランニングをはじめて、2ヶ月が経過しました。 ここ最近は、毎日5km走っています。 はじめはキツかった5kmも、いまでは余裕のよっちゃんです。 玄関の扉を開ければ、自動的に5kmを走り終えています。 場合によっては、足が重い日もあります。 それでもやっぱり、5km は余裕で走れます。 下振れしたときの結果が、実力というものだ。
2025年1月23日(木)朝の6:00になりました。 カレンダーなんて、空白が多いに越したことはありません。 どうも、高倉大希です。 制服を、廃止しよう。 そう主張したければ、制服が現存している理由を考えなければなりません。 制服が現存している理由を考えないままに、デメリットだけをただただ並べる。 それだとただの水掛け論に、なり下がってしまいます。 何かを主張するということは、対にあるものに思いを馳せるということです。 A について考えるということは、not
2025年1月20日(月)朝の6:00になりました。 フルマラソンまでのこり約1ヶ月、毎日5kmラン継続中です。 どうも、高倉大希です。 仕事のことを知りたいならば、仕事に関する本をとりあえず10冊読んでみる。 歴史のことを知りたいならば、歴史に関する本をとりあえず10冊読んでみる。 10冊読めば、大体わかる。 20冊読めば、間違いない。 極めて個人的な、経験則のひとつです。 大体わかった上で、さらなる深みに進むか否かはまたべつのお話です。 読んでほしいと思
2025年1月3日(金)朝の6:00になりました。 大晦日と元日を犠牲にして、すこしの健康を手に入れました。 どうも、高倉大希です。 誰にも、読まれない。 書くことは、ここからはじまります。 こんなことを書いても大丈夫かな、とか。 こんなことを書いたら変だと思われるかな、とか。 そんな不安を、抱く必要はありません。 なぜならあなたの文章は、誰にも読まれないからです。 過去の自分の文章を読み返すと、鼻をつまみたくなります。 自我のにおいが、鼻をツンと刺すから
2024年12月30日(月)朝の6:00になりました。 何か成し遂げるとも、成し遂げずとも。 どうも、高倉大希です。 2023年1月1日に毎朝投稿をはじめて、今日で730日目になりました。 2024年はうるう年なので、731日目にあたる明日でちょうどまる2年です。 いつもスキを押してくれていた人が、忽然と姿を消したり。 長らく見ていなかった人が、唐突に戻ってきたり。 これだけずっと note にいると、いろいろな変化があるものです。 窓の外で変わりゆく景色を、
2024年12月4日(水)朝の6:00になりました。 棄てた一粒の柿の種、生えるも生えぬも甘いも渋いも畑の土のよしあし。 どうも、高倉大希です。 書いたら、走る。 新しい習慣づくりに、挑戦中です。 走るというのはおもしろいもので、その日の身体の調子が一発でわかります。 日によって足の重さが、驚くほどに違うのです。 そんな中で、気をつけていることがひとつあります。 それは、どれだけ調子がよくても頑張らないということです。 今日は調子がよいから、すこし距離を伸ば
2024年11月24日(日)朝の6:00になりました。 このnoteが公開された、その瞬間が6:00です。 どうも、高倉大希です。 継続しよう。 そんな決意の大半は、挫折という結末を迎えます。 ダイエットをはじめてはみたものの、痩せているような気がしなかったり。 読書をはじめてはみたものの、賢くなっているような気がしなかったり。 わかりやすい変化が見えないせいで、継続の意義を感じられなくなるわけです。 こうして多くのものごとは、尻切れトンボで終わります。 何
2024年10月13日(日)朝の6:00になりました。 5連休3日目、会いたい人に会いに行く旅スタートです。 どうも、高倉大希です。 この文章は、若すぎる。 そう思って、書きかけていた文章を消すことがよくあります。 妙な熱が、残っていたり。 真面目すぎて、つまらなかったり。 あまりにも尻が青くて、嫌になってしまいます。 そんなときは遠慮なく、全選択して消去します。 歳相応の文章というものが、あるような気がするのです。 ここで言う歳とは、必ずしも実年齢を指す
2024年10月5日(土)朝の6:00になりました。 9時間の往路が待ち受けていようとも、朝の6:00はやってきます。 どうも、高倉大希です。 淡々と、粛々と、行っていることがふたつあります。 ひとつは書くこと、もうひとつは撮ることです。 書くことで、出会うこともなかったであろう人たちと出会うことができました。 撮ることで、行くこともなかったであろう場所に行くことができました。 両方とも、明確な目的があって行っているわけではありません。 その先に何があるかがわ
2024年9月14日(土)朝の6:00になりました。 ぼくは時間よりも、何を何回したかという回数のほうが大事じゃないかと思う。 どうも、高倉大希です。 毎朝6:00投稿をはじめて、今日でちょうど623日が経過しました。 書くことがなくて困る、なんてことはありません。 なぜなら、自分のことを書いているわけではないからです。 自分の内側にあるものなんて、せいぜい限られています。 広い世界のほんの一部を頂戴して、テキストに落とします。 あまりにも広いので、どれだけ切
2024年9月9日(月)朝の6:00になりました。 恥の多い生涯を送って来ました。 どうも、高倉大希です。 毎朝6:00という〆切の中で、日々文章を書いています。 この〆切を自分に課していなければ、おそらく三日坊主でやめています。 本当にこんな文章を公開してもよいのだろうかと、不安ばかりが大きくなって。 黒歴史になるかもしれないと、公開してはまた消して。 いつまで経っても、記事の数が増えることはなかっただろうと思います。 〆切のおかげで、「えいやっ」と投稿ボタ
2024年8月28日(水)朝の6:00になりました。 精神は、支えであることをやめるときにはじめて自由となる。 どうも、高倉大希です。 note なんて、いつやめてもいい。 これだけ書いておいて何ですが、このくらいの距離感が最適だと思っています。 note はあくまでも、生活のほんの一部です。 べつに note をやめたところで、とくに支障はありません。 もちろん、読んでくださる人の存在はありがたいなと思います。 書いていなければ会うこともなかったであろう人と
2024年8月19日(月)朝の6:00になりました。 やはり、文章を介した出会いはおもしろいものです。 どうも、高倉大希です。 信頼している人が紹介していたり、読んだ本の参考文献として挙げられていたり。 読む本はできるだけ、自分の意志では選ばないようにしています。 自分で選んでしまったら、いまの自分に近いところにしか広がりが生まれません。 Connecting The Dots の Dot を増やすためにも、偶然性を取り入れます。 ある程度の冊数を読むと、自動的
2024年8月16日(金)朝の6:00になりました。 何度でも反復する。変化とは反復を繰り返すことだ。 どうも、高倉大希です。 1回では、伝わらない。 教育業界に身を置く中で、痛感したことのひとつです。 伝えたいことがあるのなら、反復してなんぼです。 「あの人、いつも同じこと言ってんな」と、思われるくらいがベストです。 反復することと、同じことを繰り返すことには、若干の違いがあります。 ここで言う反復とは、ひとつの抽象に複数の具体を紐づけていくという意味です。