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精神疾患でも生きやすくなる方法【感動を取り戻す】

こんにちは。翠です。
今日は、精神疾患を持つ私が以前に比べて生きやすくなった体験をまとめたものです。
これをすれば1人残らず楽になれるとは言いきれませんが、治療のステップとしてとても重要なものだと感じています。 

無料閲覧可能な部分を少し多めにしているのでそこだけでも是非読んでください。

今回の記事は、私がうつ病に苦しみ、死を決意するほどの闘病生活の中で得られた知見であることと、大学に通学する交通費を自分で稼ぐように親から言われていることなどから、有料記事にさせていただきます。





本文に入る前に

こんな言葉を見たことがある。

大切なものは、時々、厄介なものに似ている。
だから、人はとんでもない間違いをしでかしてしまう

ヴァニティ 唯川恵

この言葉を見て1番に感じたのは、「命」だった。
大切だったはずの命が、いつしか厄介な存在に変わり、自ら捨てようとしていた自分を思い出した。自殺が間違いなのか、私には分からないけど、生きて幸せになる道を自ら断ってしまう行為が必ず正解に結びつくとは思わない。でも、どん底の私にとって正解不正解などもはやどうでも良くて、ただ今の辛さから解放されるのであれば、それが私の中での最適解なのだと信じていた。
そんな風に思っていた私でも、今、何とか生きている。希死念慮は今もあるけれど、少しだけ上手く付き合えるようになった。ここまで回復した私の存在を知ってもらうことは、きっと無駄にはならないと思う。どん底の、真っ暗闇の遠くの方で微かに見える希望であってほしい。私も、そんな存在がほしかった。


うつになってもなお、理解は得られなかった

私が初めてのうつ状態と希死念慮を経験したのは小学校6年生の頃。受験勉強や家庭環境のストレスからだった。親から暴言暴力を受けていたため、辛いことはもちろん誰にも言えず、そのまま中学生になり、中学でも勉強や部活に追われ、ハードスケジュールをこなす中で悪化し、スクールカウンセラーに精神科を勧められ、受診した。

 診察室で「軽度のうつ病ですね」と言われたとき、母親が泣いていた。暴言暴力してきた本人が泣いていることに困惑したが、それと同時に私は少しだけ安心した。これで私の辛い気持ちを分かってくれるかもしれないと。

うつ病と診断されてからもしばらくは毎日学校に通っていたが、突然エネルギーが切れたように塾や学校を休みがちになった。
「うつ病です」と言われた場に母親もいたのに、母親は私が休むことに腹を立てていた。それが何よりも苦しかった。父親にはうつ病であることは話していなかったし、母親しか頼れる人がいなかったのに、その母親でさえ私の辛さや病気を否定した。

今では閉鎖病棟への入院など、色んな経験を経て以前に比べて多少は理解してくれるようになったが、ここに来るまで本当に長かったし辛かった。

身近な人が苦しんでいるときしてほしいこと。私がしてほしかったこと。

もし、この記事を読んでいる方で、身近な人が精神疾患に苦しんでいるなら、「しっかり休むことが1番の近道だ」と私が断言する。大きく理由は2つある。

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東京の大学に進学予定ですが、親から交通費は自分で稼ぐように言われています。私のような子どもを救える大人になりたいです。応援してくださる方はよろしくお願いします!