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太宰治『斜陽』とヨルシカ 【斜陽】
こんにちは。興味を持ってくれてありがとうございます。
最近、文学小説を好み毎日読み耽ってます。
今日は斜陽について書きたいと思う。
この記事は考察ではなく、個人的感想です。
太宰治の斜陽。
彼が亡くなる1年前に書かれた物語。それが斜陽である。
太宰治といえば、どちらかというと暗いイメージがあり、人間的なグロさを感じる作品が多い印象。
陰湿な印象をお持ちの方が多いのではないだろうか?
そんな彼が残した斜陽の話。
斜陽とは、次のような意味がある。
①西に傾いた太陽。また、その光。夕日。
②勢威・冨貴などが衰亡に向かっていること。没落しつつあること。
太宰が描いたストーリーは紛れもなく②である。
とある貴族が経済的・人間的に衰退に向かって徐々に進んで行くストーリーである。
華やかさが少しずつ平凡になり、最後には貧しくなっていく。
時間の経過とともに人の儚さ、愚かさが鮮明になりこれこそが人間なのだ!。そう思わせられるようなストーリーである。
詳細はぜひ読んでみてほしい。
歳を重ねるごとにこのストーリーのもつ魅力は深くなる。
そんな予感がする。
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この名作を読み終えた後にヨルシカの斜陽を聴いてみる。
ヨルシカの斜陽は先ほどの①、②の双方の意味を表していると個人的には感じている。
直接的な表現の①、暗喩的な表現の②を歌に乗せて曲が仕上がっている。
まずは歌詞を見てみよう。
頬色に
茜さす日は柔らかに 爆ぜた
斜陽に
僕らは目も開かぬまま
悲しくってしようがないんだ
お日様で手が濡れた
眩しくって仕方がないし
途方に暮れた帰り
落ちて
行くように
茜が差したから
もう少しで
僕は僕を一つは愛せたのに
斜陽に
気付けば目も開かぬまま
静かな夕凪の中
悲しくってしようがないんだ
お日様に手が触れたとろとろと燃えるみたいに指先ばかり焦げた
高く成った葡萄みたいだ
届かないからやめて
僕は恋をしたんだろうか
あのお日様のように
落ちていくのに
理由もないのならもう
Ah
まず、この曲では“太陽“を通して様々な表現がなされている。
まずは、斜陽の情景そのまま表現している。
頬色に
茜差す日は柔らかに爆ぜた
斜陽に僕らは目も開かぬまま
この1文には夕日、西陽が照らしているために眩しくて目が開けられない。そんな様子を描いている。
ここで、『頬色に茜差す日』という表現。
これが美しい。
普通なら茜が頬に差している。という表現になりそうだが、ここでは夕日、あくまで斜陽が主人公であることから西日を主語として置いている。
詩全体として斜陽を表現しようとしている。
そんな様子が伺える。
また、②の意味についても考えてみる。
ものごとが少しずつ溢れ、いつしかそれが音もなく暴発した(頬色に茜差す日は柔らかに爆ぜた)。
しかし、そのことに気づかないまま斜陽(衰退へ)進んでいる(斜陽に目も開かぬまま)。
まさに、太宰治の斜陽全体の物語に一致する。
太陽を通した2つの表現をこの短い詩の中に組み込んでいる。
そのような気がしており、このグロテスクな表現を太陽という明るい歌詞と明るいメロディで包んでいる。
まるで、それは人間の本当の姿を表現しているような気さえする。
人は、表面上は明るく人目には分からないことも内側にはたくさんの苦しみを抱えて生きている。
そのような人間的な本質を表現している気さえしている。
ちょうど、直治が姉の不在の時に急に自殺をした様に。。。
そして、次のメロディに差し掛かる。
悲しくってしようがないんだ
お日様で手が濡れた
眩しくって仕方がないし
途方に暮れた帰り
次に太陽は悲しみの表現に使われる。
お日様で手が濡れた。
この表現がものすごく気になる。
まず、情景。それは、光が強すぎて手にまとわりつく光の表現が感じられる。
そして、眩しくてしょうがないし(悲しみで)途方に暮れて帰り道の中。なんとなくその様子は目に映ってくる。
では、人間味の表現。お日様。それは強い光を放つ。
これは、憧れの象徴ではないかと感じている。
その憧れに触れてみたが、水の様な液体を掴む様に手に入れることができない。それが、お日様で手が濡れた。と表現。
その憧れの光が強すぎて、自分では手に入れられない。そうして、途方に暮れてしまった帰り。
こういう、憧れに対する執着と悲しみが刻まれている。そう感じとった。
これは、まさに直治が中途半端な貴族の身から庶民に憧れを抱きながらも、苦悩した表現にも近い。
この表現から太陽の描写に入る。
落ちて
行くように
茜が差したから
太陽の沈みゆく描写と人として落ちぶれていく様なそのような様子を読み取った。
太陽はときどきにその様子を変えている模様。
そして、次に進むと、サビの部分。
もう少しで
僕は僕を一つは愛せたのに
斜陽に
気付けば目も開かぬまま
もう少しで僕は僕を一つは愛せたのに。
なんと悲しい表現。
僕は僕を愛せた。ではなく、僕は僕を"一つ"は愛せた。と自分の中にある少しだけを愛せた。と表現。
自分自身に絶望してしまっていることには変わりない。その様な表現。
直治の遺書に書かれていた日々の絶望。そして、麻薬やお酒に溺れゆく理由。
そうした苦しい過去の中からでも生きようと苦悩した彼の言葉が浮かび上がってくる。
しかし、斜陽に気が付かないまま進んでしまっていた。気づけばもう生きていられなかった。
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そして、2番に入る。
静かな夕凪の中
悲しくってしようがないんだ
お日様に手が触れたとろとろと燃えるみたいに指先ばかり焦げた
今度は、描写される人物が変わる。
次は、かず子。
静かな夕凪の中。それは、母と穏やかに過ごしていた日々の中でも死に近づく母への不運を思い悲しみに暮れている。
そんな中、憧れに触れた(上原)。そして、とろとろと燃えるものを感じている。
しかし、この時はただ触れただけ。特段の恋心は抱かなかった。そのため掌(心)ではなく、触れた手の指先(表面)だけしか燃えなかった。
この表現は、かず子が上原と初めて出会った時の表現。上原との会話は特になく、淡々と過ごした時間だが、この出会いをきっかけにかず子は少しずつ恋心を燃やしていく。
高く成った葡萄みたいだ
届かないからやめて
僕は恋をしたんだろうか
あのお日様のように
そして、次の詩。
手の届かない存在だからやめた(高く成った葡萄みたいだ 届かないからやめて)。
これは、かず子が元々結婚していた人との別れ。
今まで近くにいた夫。しかし、上原の出会いから少しずつ心が離れ、気がつけば届かないところにいた。
そして、別れた。
上原に対する恋心を確信はないものの、ぼんやりと輪郭を感じとる。太陽の様に燃える恋心なのだろうか?という自問。
かず子の心の変化が太陽を通し、情景に照らされながら感じ取れる。
そして、恋に落ちる。
落ちていくのに
理由もないのならもう
Ah
太陽が沈みゆく様にゆっくひと落ちていく。理由もなく。純粋な恋に落ちていく。
そして、この後に続くAhという点。
歌詞が当てはめられていない。
入る言葉は何だったんだろうか?
ここに、この歌詞の美しさがある。
含みを持たせ、なにを入れるか?これは皆さんに委ねられている。
Ah〜の言い方からして、4文字。何だろうか。
ここからは皆さんの想像力に委ねたい。
良い言葉が見つかれば教えて欲しい。
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