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お題なし

ただただ、適当に浮かんだ思いを言葉にしたい。
書きたいという欲望に従うのみ。

浮かんだ思いに意味はあるのか?ないのか?
そんなことすらも考えたくない。
だから今夜の記事はお題なし。

咳がしんどい。
痰も抜けない。
膠原病(皮膚筋炎)の薬(ステロイド)がなしに近いほど少なくなった頃から、ずっとそうだ。
主治医に相談しても、痰切り薬しか出ない。
効かないと言っても、痰切り薬を2種類に増やされただけ。
結局、効かないから、また1種類に戻る始末。
これ、なんか意味があるのか?

主治医曰く、(皮膚筋炎の合併症で発症した)間質性肺炎は痰が出ないと言う。
痰が出るから、喘息も発症した可能性があると言う。
しかし、ステロイドを飲んでいると、喘息の検査結果が正確に出ないと言う。
そんなこと言ってたら、私はステロイドを飲んでいる間は喘息の検査ができないじゃないか。

いつまで、こんな体でいなきゃいけないのだろう?
疲れる、本当に疲れる。
最近は咳をしすぎて、肋骨を痛めている感じがする。
こないだは肋骨付近に違和感を感じて、呼吸がしにくくなって、少しの間、うめきながら寝込んでしまった。

悲しくなる、健康でないということは、起きていることすらできなくなることなんだ。
寝ていても苦しい、寝返りすらまともにうてない。
なんなんだろう?私、何の為に生きてるのかな?
そんなことをしょっちゅう思う。
だから、書くことが一番、私が生きてると感じやすい場所なのだ。

外で動き回れない私は、言葉で動き回るしかできないのだから。

体の自由が効かないので、せめて、言葉でだけは自由に動き回りたい。

自由とは、誰かに決められた範疇ではない。
自らが、自由の範疇を決めることができるのだろう。
しかし、その自由とは、生きるとは、必ず壁にぶち当たる。
壁にぶち当たった時、変な話だが、生きている実感を強めるような気がする。

生きるとは、壁にぶち当たることなのだろうな。
自由とは、壁にぶち当たった時の対処法、受け止め方なのだろうな。

ここに書いていることは、全て主観、どうぞ誤解のないように読んで頂けたら幸いです。

咳は体力を奪う、痰はとにかく邪魔だ、夜中に痰が絡んで起きた時には咳き込んで死ぬんじゃないかと何度思ったことか?
この状態と上手く付き合っていくしかない、私はまだ生きているしね。

肺よ、頑張れ、心臓よ、頑張れ、頑張って生きてくれ、私よ。


さて、今日も生きるとしよう。




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