魅せられる文章とは、文章からも色気がそこはかとなく伝わってくる
私は色っぽい人が好きです。
容姿のことではなく、文章が色っぽい人のことです。
文章が色っぽい?と思われそうですが。。。
私は文章には、その人の持つ色が出やすいと思っています。
もちろん、敢えて作り込んでいる(過剰演出)場合は別ですけど、普通に書いている分には、どうしても、そこはかとなく伝わってくるもの(色)があると感じています。
文章の内容が、明るいとか暗いとかの話ではありません。
文章の種類が、小説だとか、エッセイだとか、詩だとか、日記だとか、評論だとか、そんなことの話でもありません。
例えば、時に、メール、ライン、ブログのコメント、そんな日常に使われる言葉の中からも、感じられるもの(色)だと思っています。
noteを始めてから、まだそんなに日は経ってないですが。。。
ハッと感じさせられる文章に出逢えると、私は心の底から喜びの感情が湧き上がってきます。
まるで、それは好きな音楽を聴いたように、好きな映画を観たように、好きな詩集を読んだように、心地良さを与えてくれます。
文章の魅力とは、有名な作家や、有名な脚本家や、有名なんとかの肩書が付く人に限ったことではないと感じます。
世の中には、文章を書くことがただ好きで、宝石の原石のように、言葉を紡ぐセンスに恵まれた方がいます。
自分でそれにうっすら気付いているように見える方と、まったく気付いていないように見える方がいて、それはそれで面白いです。
うっすら気付いている人は、辿り着きたい(創造の)世界に向かって、らせん階段を昇っているような(色々な角度から景色を眺めるような)、そんな印象を受けます。
まったく気付いていない人は、その日の気分で(創造の)世界に向かって、寄り道をしたり、気楽に散歩をしているような、そんな印象を受けます。
色っぽい文章を書ける人は、生きるということに、自分なりのポリシーがあるように感じます。
それは確固たる意志とか、強い正義感とか、そういう類のものではなくて、もっと、無自覚な、生(豊かに生きること)への執着のようなものでしょうか。
しかしながら、文豪と呼ばれた人達の中には、自ら命を絶つ方もいました。
彼らはなぜ自ら命を落としたのでしょう。
むろん、本人にしかその真意はわからないのですが、完全に個人的見解ですが、生(死)への美学を全うしたかったのではないかと感じます。
生きることは、まさに死に向かう行為であって、死とかけ離れたものでは決してないのですが、普段、私達はそれを極端に大きくは意識をしません。
ただ、私のように死を意識する病気を経験すると、やはり生きることと死ぬことは、表裏一体のものであったのだと、今更ながらに痛感することになるのです。
これから私は、文章を書くという行為を通して、生と死というものを存分に感じながら、生きていきたいと思います。
そこで、色香を出すことができたなら、私は生きていて良かったと、感じ続けることができるように思うのです。