マガジンのカバー画像

博士の世界史ミュージアム

さまざまな史料翻訳が定額読み放題。『ジェロニモ自伝』、『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー』、『アメリカ人の物語』の予定稿など今後、noteで公開する有料記事がすべて含まれます。…
継続課金すると追加料金無しでずっと新しい記事が読めます。英文読解教室サービスも付いています。
¥398 / 月 初月無料
運営しているクリエイター

2018年12月の記事一覧

ロビン・フッド史料アンソロジー3

※ロビン・フッドに関して書かれた記述を拾って翻訳していきます。 ※順不同。書籍としてまと…

100
西川秀和
5年前
1

憲法制定会議代表一覧

この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

西川秀和
5年前

博士の世界史ミュージアム購読者限定特典

この記事はマガジンを購入した人だけが読めます

西川秀和
6年前
1

サンデー・ワールド・マガジン誌(1902年6月8日)

ルー・ウォレス将軍が大平原で最も有名な盗賊であるビリー・ザ・キッドのロマンスを書く 元ニ…

100
西川秀和
6年前

フロンティアの戦士―第24章 ビリーはまだ生きているのか

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前
1

フロンティアの戦士―第23章 ビリーの人生の終わり

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前

フロンティアの戦士―第22章 ビリー・ザ・キッドとの最後の別れ

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー』についてでまとめています。 翌朝、ビリーと別れた時、私はこれが最後の別れになるとは思っていなかった。我々は悲しそうに握手して二度と会うことはなかった。ビリーは私に一緒に来てほしいと頼んだが、私の答えは決まっていた。 私は「いいや、ビリー。俺は今は一緒に行けない。もしこれまでよりも良い運命に巡り会えなかったら、いつか俺はおまえとともに俺たちが受けた不正に対して復讐しよう。でも俺はもっと

¥100

フロンティアの戦士―第21章 我々一味の無為な時間

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前
1

フロンティアの戦士―第18章 リンカン郡戦争

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前
1

フロンティアの戦士―第14章 悲しい話

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前
1

フロンティアの戦士―第13章 キッドはセブン・リバーズの一党の裏をかく

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前

フロンティアの戦士―第12章 ブレイザー・ミルの戦い

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前

フロンティアの戦士―第11章 ブレイディ保安官の殺害

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー…

100
西川秀和
6年前

フロンティアの戦士―第8章 ビリー・ザ・キッドとタンスタールの殺害

※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー』についてでまとめています。 ビリー・ザ・キッドとして津々浦々に知られているウィリアム・H・ボニーは、1859年11月29日にニュー・ヨーク・シティで生まれた。彼は両親のウィリアム・H・ボニーとキャスリーン・ボニーとともに西部に来て、1862年にコフィーヴィルに住んだ。父親はそこで亡くなり、 母親はビリーと赤ん坊の弟を連れてコロラドに流れた。そこで母親はアントリムという名前の男と結婚した

¥100