フロンティアの戦士―第24章 ビリーはまだ生きているのか
※ジョージ・コー『フロンティアの戦士』に関する詳細は『ビリー・ザ・キッド史料アンソロジー』についてでまとめています。
ビリー・ザ・キッドはリンカーン郡戦争で最も有名な人物である。彼は絶望のあまり無法行為に駆り立てられ、命という代価を払うことになった。もし恵まれた環境になければ、私もビリーに与えられたような運命を共有することになっていたかもしれない。
息子の死に関するタンスタールの父親の調査は、事件全体に関する真実を明るみに出していて、ビリー・ザ・キッドのせいだと噂されている多くの残虐行為について公平な説明をしている。
ビリー・ザ・キッドは、フロンティアの歴史的人物の中で第一の地位を占め、旧友の心の中に温かいものをもたらした。彼についてどのようなことが言われようとも、この優れた個性を持った若者は、多くの人々から共感を得た。50年が経って、彼の墓所には草が生い茂っている一方、主要な新聞は彼の驚くべき障害について第一面を飾る話を発行し続けている。ビリー・ザ・キッドはテキサス州オデッサ近くの牧場にひっそりと暮らしているという話を新聞は伝えている。それはまったく真実ではない。あまりに多くの友人たちが彼の墓の前で泣き、蝋燭を燃やしたので間違えようがない。さらにもしキッドが世界のどこかで生きているとすれば、私はそれを知っているはずだ。彼に限ってそのようなことはないだろう。彼の遺灰に平安あれ。
数年前、私は彼の遺体を私のもとに移そうと決定した。ミゲル・オテロが私に会いに来て、遺体をサンタ・フェに移葬したいと望んだ。彼は私の家からフォート・サムナーに行って関係者と話し合った 。 関係者が言うには血縁者しか移葬できないので彼も私もビリーの遺体を移葬できないと彼は言った。そういうわけで旧フォート・サムナーの最も遠い場所にビリー・ザ・キッドの墓所はある。1932年まで墓所には墓標がなく管理されていなかった。1932年にチャールズ・W・フアー氏の尽力で墓石が立てられた。
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